●Vol.5〜 (ブログより転載) ●Vol.4 No31〜 ●Vol.3 No21〜No30 ●Vol.2 No11〜No20 ●Vol.1 No 1 〜No10 |
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音 楽 の 話 題 ・ 特 別 編 |
No39(2013/5/29) ■エドヴァルド・グリーグ(2) ![]() 今年は5月22日から、グリーグの故郷ベルゲンにおいて、ベルゲン・インターナショナル・フェスティヴァルが始まりました。 これは実は歴史あるフェスティヴァルで、初回は1898年、グリーグ(55歳)やスヴェンセン等、ノルウェーの音楽家たちが中心となって開催されました。 もちろんそれから今日までには戦争等もあり、毎年欠かさず行われてきた訳ではありませんし、昔とは形態も変わってきています。 私は、グリーグの生誕150年の1993年と、没後100年である2007年に、このフェスティヴァルでコンサートを聴くために、ベルゲンに行きました。 フェスティヴァルでは、今では音楽だけでなく、演劇やダンス、前衛的なパフォーマンスも含み、5月下旬から2週間ほど開催されます。 音楽の分野では、北欧の過去から現在までの作曲家や、人気演奏家が活躍しますが、ヨーロッパ各地からも演奏家が招聘されたり、北欧以外の作曲家の作品も普通のクラシックコンサートのような演奏もあります。 しかしグリーグ・イヤーでは例年よりもグリーグに特別にスポットが当たりますから、更に貴重なプログラムを楽しめるという訳です。 ![]() 12世紀に建てられたドーム教会や、ヨハネス教会・・マリア教会や、ホーコンスホール、国立劇場などは、観光スポットの一つですね。 また本格的音楽ホールであるグリーグ・ホールでも大規模なコンサートが行われます。(写真) それから一番ありがたいのは、グリーグの家トロルハウゲンをはじめ、19世紀に活躍したヴァイオリニスト兼作曲家オーレ・ブルの家や、20世紀の作曲家ハラール・セーヴェルーの家でもコンサートが行われることです。 作曲家のぬくもりを感じながら、当時の家具に囲まれ、彼らの愛したピアノの音色を堪能する・・・ これはたいへん幸せなことです。 また、グリーグの家のそばにトロール・サロンという近年建てられた小さめのホールがありますが、これはステージの向こう側がガラス張りになっていて、その向こうにグリーグの作曲小屋、更にその向こうに、グリーグが作曲しながら見ていた景色が見えます。 つまりグリーグが作曲しながら見た風景を見ながら、グリーグの音楽が聴けるという素敵なシステムになっています。(写真) ![]() 演奏中でも出入りする聴衆が時々いること・・日本では考えられません。 世界中から来日する演奏家が日本人のマナーは最高と言うのはこういう意味もあるのかなと思いました。 また、大ホールであるグリーグ・ホールにはクロークがなく、コート等は(5月でもコートが必要な日があります)ホワイエのフックに適当にかけておくことです。(写真) キャパ約1500人のホールで、これはスゴイと思いました。 大規模なコンサートでは男性も含めて民族衣裳の方も多かったです。 それから、それぞれ作曲家の家は、ベルゲンの中心からは遠いので、コンサート専用のバスが出ます。 フェスティヴァルの小冊子に、集合時間や出発場所が書いてあります。 オーレ・ブルの家は島なので、船で行きます。(写真) 経費が含まれているようで、コンサートチケット代が高かったです。 ![]() 更に、終演後の帰路も、お客の点呼をとったりしません。乗り遅れても全て自己責任です。 行きのアナウンスで、帰りの出発時間を聞き逃さないように必死に注意していました。 でもセーヴェルーの家から帰る時、専用のバス停が少し離れていて道に迷い、ついに乗り遅れてしまいました。 誰も人が歩いていなくて、尋ねることもできません・・・ コンサートには結構人がいたのに、あっという間に人がいなくなります。 幸い後から乗り遅れた人と会い、国道まで歩いて公共バスを待ちました。 ベルゲン・フィルのチェリストだというので、ちょうど明日聴きに行く予定だと、話をしました。 ノルウェーってやっぱり人口が少ないというか、狭い世界なのかなと思ってしまいました。 1993年と2007年の両方とも、ベルゲンでハーラル国王をナマで見た時にもそう思いました。 その2007年では、フェスティヴァルのオープニング・コンサートでグリーグ・ホールでした。 開演間近、国王陛下がご入場というので、私は普通に席を立って、拍手の姿勢を取ったのですが、ノルウェーでは特に何も起こりませんでした!・・・ ちょっと気まずい思いをして慌てて座りました(笑)。 日本では皇室の方々がコンサートにご来場の際は普通そうするので、なるほど国よっても違うのかと思いました。 2007年のフェスティヴァルは、音楽之友社から同年の出版の「音楽の友」8月号でもレポートさせていただきました。 そちらはコンサートレポートが中心で、上記のような珍道中は書いていません。 音楽は空気の振動です。最新技術の録音を、高音質のヘッドフォンで聴く楽しみ方もありますが、空気には匂いがあります。 その曲が生まれた国の空気を吸いながら、その曲を生んだ人の息遣いを感じながら聴くというのは、最高の音楽の楽しみ方かもしれません。 フェスティヴァルの時でなくても、グリーグ・ホールやトロール・サロン等でコンサートが行われていますので、まだという方は、ぜひノルウェーでクラシックのコンサートも楽しんでいただければと思います。 (文・写真: 田邉 英利子 日本グリーグ協会理事) ←このページのトップへ戻る |
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音 楽 の 話 題 ・ 特 別 編 |
No38(2012/8/22) 本コーナーは超久々の更新です。サボり癖のついた編集人はここに音楽の話題の特別編を作って、ゲスト執筆者をお迎えすることを思いつきました! これまで夢ネットではあまり書くことができなかった、でもノルウェーを知るためにははずせない偉大な作曲家「グリーグ」。それならこの人に聞くのが一番ということで、日本グリーグ協会理事の田邉英利子さんに筆を執っていただきます。 今後も気が向いた時にお越しくださるそうですので、皆様もゆるりとお楽しみくださいね♪ (frosk編集人) ■エドヴァルド・グリーグ(1) 皆様こんにちは。 この度ご依頼をいただきまして、こちらの「音楽の話題」で作曲家エドヴァルド・グリーグ(1843生-1907没)について書かせていただくことになりました。 ノルウェー好きの皆様ならグリーグの名前はご存知かと思いますが、どんな作曲家だっけ?と訊かれることもしばしば。 そこで私はいつも「ペール・ギュント」の中の「朝」の出だしを歌います。すると、「ああそれか〜、聞いたことある〜。」と必ず言われます。テレビCMなどでもよくかかりますし、年代によりますが音楽の授業で「ペール・ギュント」を鑑賞したことのある人が多いからです。 「ペール・ギュント」はイプセンの戯曲に音楽をつけたものですが、オペラとはまた違います。また、グリーグの「ピアノ協奏曲」も巷でよく流れます。フィギュアスケートの競技で華々しく使われたり、バラエティ番組でも冒頭部分がよく使われたりしています。 ![]() このようにグリーグのポピュラーな曲は誰でも耳にしたことはあると思うのですが、ではどんな人物だったのでしょうか? バッハやベートーヴェンのように学校の音楽室に肖像画は飾られてはいません。後年のグリーグを、アインシュタインに似ていると言う人も多いです。 クラシック音楽史の上では19世紀後半の民族楽派(または国民楽派)と呼ばれる作曲家のひとりです。 ドイツなどヨーロッパの中心で発展し、変遷してきた西洋音楽ですが、いつまでもそのような形式を踏襲するのではなく、自国の民謡・民族音楽やその形式からインスピレーションを得るなど、自己のアイデンティティーを重視しようという動きが出てきました。 グリーグも、若い頃の作品にはドイツ的音楽的要素が見られますが、次第にノルウェーの民謡を題材にしたり、民族音楽からヒントを得たりして曲を生み出していきました。 ノルウェーの民族楽器ハルダンゲル・フィドルによる伝承曲も収集し、独特なピアノ曲に編曲したりしました。ここにグリーグの音楽の魅力が溢れています。 独特なリズムやハーモニーは、他の作曲家の誰とも違います。他の国の人には書けません。グリーグにしか書けない、独自の世界があります。 それは涙が出るほど美しい旋律だったり、激しく、カッコいいリズムだったりします。 「ペール・ギュント」の中の「山の魔王の宮殿にて」は「ロックである」という人もいます。 しかし、ピアノ曲の中には、楽譜を見ると音符の数が少なく、一見簡単に思える曲もあります。 そのため、音楽評論家の方に「グリーグのピアノ曲は易しく〜」などと書かれることもありますが、北欧のことをよく知らないと、理解しないで演奏されてしまう場合もあるのです。 曲名の意味も誤解されることがありますし、ノルウェーの民族音楽から派生したリズムを演奏するのは、本当に難しいことです。 ![]() グリーグは当時から現在まで、ノルウェーを代表する偉大な作曲家であり、生誕150年の1993年には、国を挙げてグリーグを祝い、様々なイベントがありました。 グリーグの、トロルハウゲンと呼ばれる終の棲家は名所で、ベルゲン中心からバスで20分ほどですので日本人観光客もよく訪れています。 家の周辺には、本人の作曲小屋、とグリーグ夫妻の墓があります。 妻ニーナはグリーグの従姉妹で、教養深い優秀な歌手でした。身長およそ152cmという小柄なグリーグの等身大の像もあり、コンサートホールや、ミュージアムもできました。 ノルウェー夢ネットの常連さんでしたら、実際にいらした方も多いかもしれませんね。 作曲小屋はこの他に、ハルダンゲル地方のロフトフース、ウレンスヴァングホテルの庭にも保存されています。ホテルは、建物自体は新しくなりましたがグリーグも滞在した老舗ホテルです。 グリーグは作曲家だけでなく素晴らしいピアニストでしたが、演奏前は緊張することもあり、カエルの置物をお守りとしてポケットに入れたりしていたそうです。 ![]() ベルゲンで生まれ、市場の臭いの中で育ち(魚の臭いが好きだったようです)、64歳でベルゲンで迎えた最期、葬儀は国葬として執り行われ、多くの人に惜しまれました。 ノルウェー好きの皆様には、ぜひグリーグの音楽にも触れていただきたいと思います。 (文・写真: 田邉 英利子 日本グリーグ協会理事) ←このページのトップへ戻る |
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本 の 話 題 |
No37(2004/5/9) ノルウェーでも、あまり読んでいる人はいないと思われる「言語ニュース」(”Språk nytt”、ノルウェー国語審議会発行)の2004年1号から、幾つか興味深い記事・原稿が載っていたので、ご紹介しましょう。 ![]() ・「ノルウェー語を勉強すると、他の北欧語が理解できるようになりますよ」が裏付けられた調査結果! 長い見出しで恐縮です。 北欧言語審議会(Nordisk språkråd)の調査によると、ノルウェー人、スウェーデン人、デンマーク人、フィンランドのスウェーデン語を母語とする人々を対象に、それぞれ隣国の言葉をどの程度理解できるかテストした結果。。。 1.ノルウェー人 2.スウェーデン人 3.フィンランドのスウェーデン語母語の人々 4.デンマーク人 という結果になったそうです。いつも日陰のノルウェー人、おめでとうございます! デンマーク人がビリという結果は、十分納得できますね〜。 あと、スウェーデンではブークモールよりニーノシュクの方がより理解度が高く、デンマークではブークモールの方が理解度が高かったという結果も、うなずけます。 ・Bacalao それとも bakalao −外来語のつづり方問答 なぜかノルウェーでよく食したスペインのタラ料理、バカラオ。 そのつづり方が、bacalaoとbakalaoの形の両方OK! とノルウェー国語審議会は結論を出しました。 その他、snacksでもsnaksも、同じく両方のつづりが認められました。めでたし、めでたし。 ・ノルウェー語では何というの? 上の例のように、日々増殖を遂げる外来語。 ノルウェー国語審議会では、そうした傾向に抗すべく、同じ意味のノルウェー語での表現を推奨しています。 今号では、以下の例が載っていました。 ・campus → universitetsområde (その通り!) ・disc jockey → platerytter (なるほど!) ・catering → matlevering (たしかに!) ・cover charge → inngangspenger (その通り!でもノルウェー語の表現だと、ビンボーくさい印象を受けるのはなぜ?) もっと興味のある方は、http://www.sprakrad.no/paanorsk.htm をクリックしてみましょう。 ←このページのトップへ戻る |
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本 の 話 題 |
No36(2003/12/14) 「夢ネット」の師走恒例! 「2003年の本」(「Årets boker2003」)から、面白そうな本、興味深そうな本、ヘンな本をご紹介いたしましょう。 なお、このカタログはウェブ上でも見ることができます。サイトでは、各本の表紙チェックのみならず、今年度版カタログの最大のキモとも言える、カタログの表紙も必見!(有名作家陣の集合写真なんですが。。。良く言えば自然体、悪く言えば、マーケティング戦略を無視した写りと構成でしょうか。。。)
蛇足(または長い愚痴): 本カタログは、毎年、ノルウェーの本屋さんNorliから送ってもらっています。 海外担当部に、Ellinorさんというすばらしいスタッフがいました。 レスポンスは素早く、「こんな本を探している」という漠然とした問いかけにも、親身に相談にのってくれた彼女のおかげで、いつもNorliへ注文をしていました。 しかし今秋、退職されたことを知り、とても残念でなりません。 まだノルウェー語を習い始めた頃、本の注文ファックスをノルウェー語で送ったら、「とても上手なノルウェー語ね」と誉める返信をくれました。本当は、ノルウェー人の留学生に書いてもらったファックスだったんですけどね。。。でも、嬉しかったことを覚えています。 ああ〜、一目会ってお礼が言いたかった。。。 For sent....! ←このページのトップへ戻る |
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本 の 話 題 |
No35(2003/11/2) 日本におけるノルウェー語学習人口って、どれくらいいるんでしょうか? 確実に言えることは、一つ。「少ない」。または、「多くはない」(←一緒?)。 根拠を挙げてみましょう。 私は電車の中で、結構、人を観察(というかぼーと見とれている)することが多いのですが、今までノルウェー語の本を読んでいる人を見かけたことがありません。。。そんな電車の中で一人、ノルウェー語の本を開いてみると、まさに「群衆の中の孤独」というか、へそ曲がりというか、はい、気分はマイナーです。 マイナーな道を選んだ「同志」のみなさまへ。 No.30でノルウェー語の語学書紹介をしましたが、その中で触れた「Ny i Norge」の2003年新版が、ようやく手元に届きました! 今回は、1990年版(以下、旧版)を基に、2003年版(以下、新版)との新旧比較をしてみましたので、ご一読頂けると幸いです。 なお、同書の出版元である「Fag og Kultur」のウェブサイトは、こちらから。
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本 の 話 題 |
No34(2003/8/23) 「ノルウェー語ができると、デンマーク語やスウェーデン語も分かるんですか?」 という質問。たまに聞かれます。 答えは、その時のノリや相手によって、「ええ、もうばっちりです!」だったり「いや〜、そんな簡単なもんじゃないですよ」と、いい加減。。。本当のところは、「書き言葉ならばデンマーク語の方がわかって、会話ならばスウェーデン語の方がわかる」。 ね?本当の答えって面白くないでしょ? あと下心がある場合は、「ノルウェー語は、スウェーデン語とデンマーク語の中間に属しているから、最初にノルウェー語をやっておくと、お得ですよ!」って言ってるんですけど、この勧誘で落ちた人は、まだ誰もいないです。 そんなこんなで。 もう何年も前から、「スウェーデン語やデンマーク語も勉強したいな〜」と思いつつ、「でも、ノルウェー語忘れそう!」という情けない理由で放置していた矢先に出版された本が、「北欧3カ国語で読むストリンドベリイの赤い部屋(第1章〜第3章)」(古城健志編著、大学書林刊 ISBN4-475-02445-5)。 長いタイトルですね。。。でも、内容を見事に表現してます!(←少なくとも「語学王」よりは。。。) 本書は、タイトルが語っている通り、スウェーデンの作家オーギュスト・ストリンドベリイ(August Strindberg)の小説「赤い部屋」(Röda Rummet、1879年)のテキストを、オリジナルのスウェーデン語にノルウェー語、デンマーク語の翻訳テキストを並べています。さらに、古城氏の日本語訳も付いている「痒いところに手が届く」本作りとなっております。 と書いてもイメージが湧かない方のために、冒頭部分を引用してみましょう(s.2−3) スウェーデン語:Det var en afton i början av maj. ノルウェー語 :Det var en aften i begynnelsen av mai. デンマーク語 :Det var en aften i begyndelsen af maj. 日本語 :五月はじめの夕方だった。 似ているようで微妙に違う3カ国語。日本語だけ浮いてますね〜。 書いてみるとノル−デン語が近いですけど、発音してみると、ノル−スウェ語が近くなると思います。 今度は会話部分を見てみましょう(s.32-33)。 スウェーデン語:Inte? Nå, så gärna som vi tala om något annat, så. ノルウェー語 :Ikke det? Nå, vi kan godt snakke om noe annet. デンマーク語 :Ikke det? Når vi nu alligevel taler om noget andet. 日本語 :恐ろしくないかですって?ええ、他の何かのお話しをするのと同じですよ(注:直訳でない部分あり)。 「話す」という単語が、スウェ語とデン語ではtale、ノル語ではsnakkeになっていることがわかります。 一読した感想ですけど、「デン語とスウェ語。似ているといえども、違いはいろいろある。やっぱりちゃんと勉強しないと、ダメ」でしょうか。 しかも相当、勉強しないとダメそうです。しょんぼり。いっそ、アイスランド語かな〜(←もっと難しい!)。 いずれにしても、3カ国語の違いが再認識できる内容といえるでしょう。 最後にストリンドベリイについて。 芥川龍之介の作品で度々引用されていたり、森鴎外が翻訳したり、ムンクが肖像画を描いていたり。「名前だけは聞いたことはある」人、多いと思います。「令嬢ユリー」(または「令嬢ジュリー」)が有名ですね。 私はそれほど作品も読んでないし、詳しくありませんが、イプセンと並んでストリンドベリイは「上司にしたくない有名人ナンバーワン」でしょうか。だって、カミソリのようにコワイですよ、この人。 「赤い部屋」の中では、スウェーデンの役所内部や官僚制度を描写した件がありますが、まさに「ザ・辛辣」。 作品を鑑賞するだけならば良いのですが、身近にいたら一日に10回は泣かされそう。でも作家は、それでいいんですよね。 ←このページのトップへ戻る |
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本 の 話 題 |
No33(2003/7/10) 私が毎朝利用している駅に、気になる映画ポスターが、もう2ヶ月以上貼られっぱなしだ。 そのポスターには、大きく「ミニミニ大作戦」と描かれており、その語感が頭から離れず困っています(おまけに、すごく似合わない髭を付けたE.ノートンの写真も気になる)。 だが、その「ミニミニ」の語感からヒントを得て、今回の更新テーマは「ミニミニ」!(といっても、元サッカー選手Miniについて語るわけではありません、念のため)。 コメント少なめに、通信社方式でニュースを箇条書きする「ミニミニ」方式(=「手抜き方式」)で参りましょう! ![]() ・「Kingdom」のアメリカ版リメーク計画 デンマークの映画監督ラーシュ・フォン・トリアーのテレビシリーズ「Kingdom」(ノルウェー語タイトル「Riket」。何のヒネリもなし)が、アメリカでリメークされる運びへ。 脚本を手がけるのは、人気作家のスティーブン・キング氏で、同氏は作品にも登場予定とか。他のメイン・キャストはオリジナルに忠実にし、タイトルは「Kingdom Hospital」。O.Aは2004年で、チャンネルはABCになるそうです。 (2003年6月27日「Aftenposten」紙より) ・書店員が選ぶお気に入り作家たち 日本の書店では、「書店員●●のオススメ!泣けます」みたいな稚拙文体Pop広告をたまに目にしますが、ノルウェーの書店では、目にした記憶がありません。 でも、「書店員が選ぶお気に入り作家リスト」なんていうものを公表してます。Popより威力ある? 見事ベストワンに輝いたのは、最近日本でも翻訳本が出版されたアーレン・ロー(Erlend Loe)。特に児童書の「Kurtシリーズ」が好評のよう(同書は、NO.21で取り上げています)。 2位以下は女性作家が並び、ハンネ・ウシュタヴィーク(Hannne Ørstavik)、リン・ウルマン( Linn Ullmann)、ハイディ・リンネ( Heidi Linde)など。 (2003年6月29日「Aftenposten」紙より) ←このページのトップへ戻る |
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音 楽 の 話 題 |
No32(2003/6/8) このコーナーのタイトルは、「本、映画、音楽紹介」。 しかし私は今まで一度も、ここで音楽を紹介したことがない。不当表示、失礼しました。 今回、初めて音楽について取り上げてみましょう。気分は音楽ライター!...には程遠いけど。ま、気分だけ。 ★ ★ ★ ★ ★ 2003年5月の最終週。「これでもか!」とばかりに、いろいろなノルウェー人が来日した(そして、あっという間に帰っていった)。 その中に、「ヘルゲ・リーエン・トリオ」(Helge Lien Trio)というジャズバンド(ノルウェー語だと”ヤズバンド”)が、含まれていたことをご存知だろうか? ★ ★ ★ ★ ★ 今年の冬、「ヘルゲ・リーエン・トリオ」のCDをAさんから貸してもらった。タイトルは、「Spiral Circle」。 一曲目「Liten Jazzballong」のはじまりは、とても美しい−静寂と深遠。すぐに、彼らの音楽に惹かれていった。 そのCDを聴いていた頃、私は疲れ切っていた。そしてその晩から、彼らのCDを聴いてぼーとするのが習慣になってしまった。 ★ ★ ★ ★ ★ そして春。 5月末に「ヘルゲ・リーエン・トリオ」が来日することを知り、当然ライブに行くことに決める。が、同時に不安もあった。 あまりにCDを気に入ってしまい、実際のライブはそう良くなかったら、どうしよう?? ライブ当日、まるで演奏する当事者のように緊張しながら、新宿「Pit Inn」へ足を運んだ。 ★ ★ ★ ★ ★ 「ヘルゲ・リーエン・トリオ」は3人編成。 ピアノのヘルゲ・リーエン(Helge Lien)を中心に、ベースのフローデ・バルグ(Frode Berg)、ドラム兼パーカッションのクヌート・オーレフャール(Knut Aalefjaer)がメンバーだ。 3人は、大道具さんかと見間違うほど、いたってラフな普段着姿でステージに上がる。 ヘルゲの顔は、ケネス・ブラナーをより熊っぽくした感じだな〜と思っているうちに、1曲目が始まった。CDと同じ「Liten Jazzballong」である。 ★ ★ ★ ★ ★ オープニングというせいだろうか、何となく硬い感じがあった。 何となく不安なまま1曲目が終わり、そのまま2曲目の「Quiet now」に演奏が続く。徐々に硬さが取れて、CDとは違った魅力、躍動感が伝わってきた。そのまま勢いは衰えず、曲が進んでいく。 圧巻は、同じCDに収められている「Speak no evil」。静けさと激しさ。時に攻撃的な、迫力の演奏。 すばらしい、の一語に尽きた。 もし自分の心にも「琴線」なんてものが残っているのならば、彼らの音楽は確かに、それに触れている。 ★ ★ ★ ★ ★ 途中休憩をはさんで、次の新作CDに収録される曲を何曲かお披露目する。 ヘルゲのピアノはもちろん素晴らしかったが、クヌートのドラム&パーカッションも印象的だった(3人の中では、お顔も一番かわいい)。 ジャズを知らない人でも、一度は耳にしたことがあるであろう「Take Five」も彼らのレパートリー。その日のライブでも、あのお馴染みの曲を、彼らは演奏した。大胆と言えば、大胆。 アンコールの拍手は当然、沸き起こり、すごい早さで3人はステージに戻ってきてくれた。 (私の席の近くに、「Pit Inn」のスタッフらしき人が座っていて、会話を漏れ聞いたところによると、3人はライブ終了後、ビールを飲みたがっていたらしい。だからすごーく早く戻って来たのかな?と邪推) ★ ★ ★ ★ ★ その日の観客には、いろいろな人がいた。 サラリーマン風の人、妙齢のご婦人、若い人、全身から「ジャズ通」のオーラを発している人。 休憩中やライブ終了後、「ジャズ」通の人たちが、「いや〜、すごいもの見ちゃったね」と言い合っている姿を見て、自分のことのように嬉しくなったことをここに告白しよう(...図々しい?)。 ★ ★ ★ ★ ★ だが不思議だ。 こんなに好きになったバンドなのに、まだCDは買っていない。借りっぱなしである(Aさん、ごめんなさい)。 次回作は、買ってみよう。 もうその頃には、夏がを過ぎて秋になっているだろうか? ←このページのトップへ戻る |
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本 の 話 題 |
No31(2003/5/5) 某オフ会での会話より。 (季節外れのノルウェーセーターを着込んだ2人) 「最近、何か面白い本読みました?」 「う〜ん、初めてカーリン・フォッスム(Karin Fossum)の小説を読んで面白かった。こわかったけどね」 「知らないな...誰それ?」 「え、と。推理小説で有名な作家だけど、最近は純文学の小説も書くようになった人。これでイメージわく?」 「日本の作家でいうと誰?」 「あ、またそーゆー聞き方する?前にも講演会で、同じような質問で困ったことがあるのよ。 例のY社長がね、”じゃあ〜、あなたが紹介したハンネ・ウシュタヴィーク(Hannne Ørstavik)は日本の作家でいうと、山田詠美ですか?”って質問するから困っちゃって。ほら、イメージ全然違うでしょ?焦って”イケてない山田詠美って感じですね”なんて、変なことを口走った記憶がある」 (ひどい落ち込み) 「はは。そんなことあったんだ〜」 (気を取り直して)「それ以来、この作家は日本でいうと誰かな、と考えるようになったんだけど、意外と難しい。 唯一思いついたのが、アーリ・ベーン(Ari Behn)=辻仁成。両方とも、結婚を機にいろいろ非難が集まったところでね」(注:アーリ・ベーン=作家兼王女の旦那さん)」 「ふ〜ん(←あまり感心してない)。で、そのカーリン・フォッスムは日本の作家でいうと?」 「Ummmmm。エンターテーメント系の作家として、文章が読みやすく職人的という共通点で桐野夏生とかかな。 私が読んだ”ヨーナス・エッケル”(Jonas Eckel)は、サスペンス仕立てで最後まで一気に読んじゃいました。悲惨なストーリーだけど」 「そのタイトルは人の名前だよね?でもエッケルなんて苗字は、聞いたことない。だって”不快な”とか”嫌な”とかって意味でしょ?」 「うん。でも綴りが"ekkel"じゃなくて“eckel”なの。微妙に違うでしょ? これは主人公の苗字なんだけど、みんな彼の苗字を聞いて一瞬ギョッとするんだよね。日本式にいえば”不快太郎”みたいなもんだから」 「じゃあ、そのヨーナスは、自分の苗字のせいでイジメに遭ってグレる話しなの?」 「ブー。その逆。とても平凡で冴えないヨーナスは、その変わった苗字こそが、自分に注目を集めるものだから、名前を聞いて驚く相手の反応を見て、密かに喜びを感じているんだよね」 (...気まずい沈黙) 「...なんか暗い話だ。それで一体、どうなるの、彼は?」 「38歳まで独身だった彼は、やはり冴えないリリアンという女性と結婚するんだよね。結婚したら充実して幸せな毎日を送れると思っていたのに、そうはいかないんだ、やっぱり。だって2人とも互いのことを全然理解してないし、理解しようともしていない」 「そのストーリーが、どうサスペンス仕立てになっていくのか不思議...」 「物語は、ヨーナスが語り手になっているんだけど、彼はリリアンのことをわかっているつもりで、でも一緒に暮らしてみると、謎だらけなのよ、彼女は。時間があれば、古着屋へ行って似合わない服を大量に買いこんできたり、あとすごく長時間、バスルームに入っている。 2人の関係が悪くなるにつれて、中にこもる時間と回数は増えていくんだけど、読者もヨーナスと同じように、”一体、彼女は中で何してるんだろ?”って、こわくなってくるんだよね」 (半ば投げやりに)「まあ、2人で暮らしているとバスルームだけが、唯一の避難所って感じなのかもね」 「うん。この2人の食事シーンも結構、こわいんだよね。全然会話はないし、リリアンがどんどんヨーナスを憎んで、蔑むようになってから、彼女が口にする言葉は、相手への敵意と皮肉しかない。 こういうシーンを読んでると、”あたしは、1人でもいいから、定食屋でご飯食べてる方がマシ〜”、って思っちゃう...」(同意を求める視線) (視線を外しながら)「まあ何をもって、悲惨とするかは人それぞれだから。どんなに仲が悪いつれあいでも、いないよりはマシって考えだってあるでしょ?」 「まあね。もはやリリアンに愛情を感じなくなったヨーナスは、夫婦の現状を変えるために、ノルウェー人にはお馴染みの南欧旅行を実行するんだけど、ことごとく裏目に出ちゃって」 「想像つくよ。海が冷たくて入れなかったとか、とんでもなく日焼けしちゃって大変だとかでしょ?」 「その通り。今までの感じだと、とんでもなく悲惨で暗い小説に思えるかもしれないけど、全編にブラック・ユーモアの味わいがあって、南欧の慣れない環境であたふたするノルウェー人観光客の描写とか、なかなか笑えます」 (結論を急ぐように)「じゃあ、とてもじゃないけど、夫婦の関係修復にはならないのね?」 「うん、全然。おまけに最後、人が死んじゃうし...」 「それは、どっち?知りた〜い!」 「だーめ。ここまでネタばらししちゃっただけでも、非難の嵐なのに。エンタ系の読者は、ネタばらしにとっても厳しいんだって」 「でもさ〜、日本でこの本のネタばらしして、一体誰が怒るの?」 「....(無言)」 (気まずい2人) 参考文献:"Jonas Eckel" (Karin Fossum著、2002年、Cappelen社) ←このページのトップへ戻る |