本・映画・音楽紹介
Vol.2


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No20(6/15)

「本欄のレギュラー」とも言うべき(あまり嬉しくない?)、佐伯一麦氏による「群像」連載中の「Norgeノルゲ」(第6回)。今回は、Eメールの接続にまつわる涙ぐましい奮闘ぶりが、詳細に描かれています。でも、読者からすると、悲劇と喜劇の境目に映ってしまうのが、お気の毒です(でも本人必死)。
原稿を日本にメール送信したくて、まるでハムスンの「飢え」の主人公のように(!)、首都クリスチァニア(失礼、オスロだ)を彷徨する主人公。必読です。





No19(6/7)

今回は、珍しく雑誌を取り上げましょう。雑誌と言っても、マニアックな専門誌で、タイトルは「言語ニュース」(Språk nytt)。発行元は「ノルウェー国語審議会」(Norsk språkråd)です。雑誌を紹介する前に、ノルウェーの特殊な言語事情について簡単に説明しましょう。

ノルウェーは、人口400万強の小さな国にも関わらず、ブークモールニーノシュクと呼ばれる2つの書き言葉がある珍しい言語事情の国です。ブークモールとニーノシュクは、平等の権利を有していますが、ニーノシュクの使用人口は西ノルウェーなどを中心に15%位で、新聞やテレビ、出版物などの分野では、ブークモールが大多数を占めています。ちなみに、ブークモールとニーノシュクで同じ文章を書いてみると、以下のようになります。

ブ:Jeg er fra Norge.(私はノルウェー出身です)
ニ:Eg er frå Noreg.

高校になると、ブークモールを使用している自治体は、ニーノシュクの授業と試験、ニーノシュクを使用している自治体は、ブークモールの授業と試験が義務付けられていますが、オスロを中心としたブークモールを普段使っている高校生たちに、このニーノシュクの授業や試験は評判が悪く、度々、授業や試験の改革の必要性が訴えられてきました。
そして昨年、オスロ市議会の保守党議員たちが「オスロの高校においては、ニーノシュクの授業を選択制にすべき」と提案したことをきっかけに、他の政党も交えて、新たな言語政策問題が勃発しました。

ただでさえ、ニーノシュクを取り巻く環境は厳しい上に、保守党からのこの動き。更なるニーノシュク劣勢をおそれて、「言語ニュース」の2001年の1-2号では、ニーノシュクの授業改善への様々な提案を行っています。
執筆者は、大学教授、研究者、高校の先生などですが、内容やテーマに違いはあっても、みな一様に「ブークモールを使っている高校生たちのニーノシュク嫌い」について言及しています。アンケート調査によると、
  • ブークモール・ニーノシュクを使う高校生のうち、それぞれ自分が使っていないニーノシュク・ブークモールの試験に反対...71%、賛成...14%
  • ブークモールを使う高校生のうち、ニーノシュクに対して否定的...82%
  • ニーノシュクを使う高校生のうち、ブークモールに対して否定的...16%
という数字からも、ブークモール使用者の「ニーノシュク嫌い」が確認できます。
普段使っている話し言葉では、むしろ、ニーノシュクと共通点が多いのに、「正しくニーノシュクを書く」となると、生徒はおろか、先生までが、自信が持てない状況が今までも指摘されてきました。
ニーノシュクは、ドイツ語やデンマーク語の影響を排除するため、an-, be-, for-で始まる単語や、-het, -elseで終わる単語を、より「ノルウェー式」の単語に置き換えています。
an
grep →åtak(攻撃), bety → tyde(意味する), forbrytelse→brotsverk(犯罪), kjærlighet→kjærleik, undersøkelse→undersøking
上にあるのはほんの一例で、同じような言い換えはまだまだたくさんあり、加えて、動詞や名詞の活用法が、ブークモールと異なる点もあるため、高校の授業では、しばしば「暗記中心」になりがち。ますます生徒たちの「ニーノシュク嫌い」に、拍車がかかる悪循環になっているようです。

「言語ニュース」の中では、実際に、高校で教鞭を取っている先生たちの投稿もありますが、ニーノシュクの授業を成功させるための具体例が載っています。
親との懇談会でニーノシュク授業の大切さを説き、家で子供たちを励ますようにお願いしたり(両親のニーノシュク嫌いが、子供に悪影響を与えるため)、黒板や配布プリントに使用するのはニーノシュクとして、ニーノシュクに「公的性」を持たす工夫をしたり、実際に、ニーノシュクの知識が必要な職業を列挙させたり(例えば、公務員の場合、市民からニーノシュクの手紙を受け取ったら、ニーノシュクで返事を書く必要がある)など、ご苦労さまです。

たとえ、2つの書き言葉の平等をうたっても、実際には、ブークモールであふれている現状が、高校生たちに「ニーノシュクなんて勉強してもしょうがない」という気分にさせてしまうのではないでしょうか?もっとも、70%の高校生たちが、ノルウェーの言語問題全般に無関心と答えています。ニーノシュク授業の改革案には、ぜひ、当事者の高校生たちも、参加して欲しいですね。
今後、ノルウェーの特殊な言語事情が、どのようになっていくのか?私は、とても興味があるので、これからも「関係ないよ」と言わず、注目したいと思います。





No18(5/25)

今回は、映画の話です。日本でも3年前くらいに公開された「ジャンク・メール」というノルウェー映画について、北欧留学情報センターが出している小冊子「OSV」に、以前、文章を書いたことがありました。最近、読み返してみたら、懐かしかったので、以下、再録させて下さい。ビデオにもなってま〜す。

ノルウェー映画「ジャンク・メール」(Budbringeren)雑感オスロ東

「ほんと、変わりもんばっかなんだ、あそこはね」。
あれは、もう5年前の夏休み。寮のわが隣人、アウドゥンは、彼のバイト先であるオスロ中央郵便局の同僚たちをけなすのが、日課になりつつあった。夜間のバイトで給料はいい、仕事も仕分け作業で簡単、といいことづくめに見えたのに、彼から聞かれる言葉は、愚痴ばかり。
仕事は、死ぬほど退屈、休憩時間にはお決まりの、うんざりするポーカー。そして、極めつけは、同僚たちの変人ぶり。アウドゥンはよく、言葉だけではなく、身振り手振りを交えたものまねで、同僚たちの変人ぶりを再現してくれた。

ノルウェー映画「ジャンク・メール」は、オスロの郵便配達人ロイが、主人公。この主人公や、郵便局で働く彼の同僚たちを見る限り、アウドゥンの厳しい批評が、誇張でなかったことがわかる。これはすごい。

映画では、人々が抱いている北欧およびノルウェーのイメージを思いっきり裏切ってくれる。
ノルウェーが誇る美しく壮大な自然風景は、一切、出てこない。ロイの住むバラックアパートは、高度福祉国家へのアイロニーのよう。長身・美形の宝庫といわれる北欧とは思えない、冴えない登場人物のオンパレード。でも、この映画に、すごくリアルティーと親しみを感じでしまうのは、なぜだろう?

多くの都市がそうであるように、オスロにも表の顔(観光客用とも言える)と、裏の顔がある。
フログネル公園地区に代表される高級住宅地を配する西オスロは、前者であり、様々な移民の店が軒を並べる東オスロは、後者と言えるだろう。西と東では、人々の言葉使いも違うという論文があるほど、その差は大きい。
「ジャンク・メール」の舞台は、はっきり言及されていないが、東オスロと推察される。地下鉄の駅名が、1回ちらっと映ったが、やはり「Carl Bernes Plass」という東地区の駅だった。
私自身、留学中、東オスロ地区は、何度も訪れているが、最初の頃は、「ノルウェーなのにノルウェーらしくない」通りを歩いた時、珍しく緊張したことを覚えている。だが、この地区にある得がたい物は、私を惹きつけた。安くておいしい店や、珍しい野菜が売っている八百屋、ユニークな雑貨屋など、町のにおいから違いが感じられた。
肌の色が様々な、移民の姿も多く見うけられ、逆にノルウェー人の方が浮き上がってしまうほど。私のような東洋人は、どこにいても、「外国人」と目立ってしまうが、ここでは、逆だ。

都市が表の顔だけで成り立っていないように、ノルウェー人がみんなハンサムや美人ではない、という当たり前の事実が「ジャンク・メール」で再発見できる。
背が低く、お腹もぽっこり、おまけにせこいロイ。フェリーニ映画に出てきそうな、こわくて太った娼婦ベッツイ。ヒロイン役のリーナさえ、飛びぬけた美人とは言えず、人生に疲れたような表情しか、終始見せてくれない。
わざと、きれいな人を使わなかった監督のもくろみは、私を喜ばせた。スクリーン上の人物を見ながら、「こういう人いそう」と、うなずくことしきり。とりわけうなずけたのが、郵便局の同僚役ジーナ。ぽっちゃりして声はでかく、パーティで上司のおじさんと、トイレで怪しいことをしてしまう。

うけを狙っていないのに笑えるシーンの数々。劇的とは、ほど遠い人物や場所。それを見事に、映画にしてしまった監督の力量は、すばらしい。
最後まで、犯罪の謎解きをしてくれない「不親切」な映画だが、説明過多なテレビドラマに慣れてしまった身には、そのそっけなさが、新鮮に映る。
映画パンフレットに掲載された監督のインタビューによると、彼は、「少しシケた人間の方が、興味がある」そうだ!(監督の顔も、美男とは言い難い。失礼!)
次回作には、どんなダメ男が出てくるだろう?「ダメ男三部作」なんて、どうでしょうか、 監督?





No17(5/13)

すっかり、本欄でもお馴染みの佐伯一麦氏による「群像」連載中の「Norgeノルゲ」(第5回)ですが、前回同様、ノルウェーでの生活を確立していく上での細かい作業、例えば、郵便局での荷物引取りの様子などが記述されています。初めてゆえのとまどい、疑問、不安などが丁寧に綴られていて、ともすれば、忘れがちな些事にこだわった記述だと思いました。
ノルウェー留学、赴任、などが予定されている方には、特にお薦めです。






No16(4/10)

イースターのことを、ノルウェー語で"påske"(ポースケ)と言いますが、ポースケ休暇中、映画館はカキイレ時で賑わいを見せます。
新聞もテレビも映画紹介に力が入りますが、ダーグスアヴィーセン紙の映画紹介記事を読んでいたら、"Eva og Adam"(エヴァとアダム)のタイトルを見つけて、「あれ?」。これは、スウェーデンで人気の子供番組と同じタイトルですが、映画化したみたいですね。

「Mitt liv som en hund」(マイライフ・アズ・ア・ドッグ)、ロッテちゃんシリーズを引用するまでもなく、スウェーデン人は本当に子供を主役にした映画やドラマ、小説を作るのが上手!お見事、名人芸の域ですね。
この、「エヴァとアダム」は子供向けの作品ですが、私も好きでよく見ていました。最初はスウェーデンのチャンネルで見ていましたが、後にノルウェーの国営放送NRKでも、放送を始めたのです。

主人公のエヴァとアダムは、テレビでは小学5年生くらいでしたが、映画では、14歳になっているようです。2人はれっきとした恋人同士ですが、イニシアティブは常に女の子のエヴァが取ってます。小学生でもディスコパーティを開いて、好きな子同士で踊ったり、「ふーーん、結構、スウェーデンの子供ってませてる!」と感心しました。女の子は、メイクをしたり、おしゃれなかっこうで背伸びしているのが可愛いです。
テレビ同様、映画も高い評価を受けているようです。わざわざこの映画を観るために、ノルウェーに行きたくなりました。日本には、来ないですよねー、きっと。





No15(4/10)

たびたび本欄で紹介している作家の佐伯一麦氏が、3月末、幻冬舎からノルウェーの芸術家をモチーフにした小説を発表しました。タイトルは、「マイシーズンズ−Dear Bjørg og Helge Abrahamsen」です。
Bjørg Abrahamsenという今は亡き、実在のテキスタイル作家の作品に惹かれた染色作家を妻にもつ男性が主人公で、不思議な縁に導かれるように、 Bjørg Abrahamsenの作品を辿るノルウェーの旅の様子が描かれています。Bjørg Abrahamsenの夫、Helgeをはじめ、Bjørg にゆかりの人々が登場し、彼女の作品を知らない読者が、いやがうえにもBjørg の作品に興味をかきたてられます(本に彼女の作品をうつした写真がありますが、やはり実物を見たくなります)。
小説は、主人公が亡きBjørg Abrahamsenに対して手紙を書くというスタイルを取っていますが、ノルウェーの歴史や文学、作家、果ては鯨漁に関することまで、記述が及んでおり、ノルウェーについて知りたい人にはお勧めの1冊。

「群像」に連載中の「Norgeノルゲ」(第4回)の方は、オスロの中央警察署があるGrønland地区の描写を読むことができます。オスロの中でも外国人が多く住むこの地区は、観光で訪れる地区とは、異なる雰囲気があります。
ちょっと疑問に思う箇所もありました。文中に、「デンマークやスウェーデンが外国人の受け入れを制限している中、ノルウェーは制限していない」といった主旨の記述がありましたが、これは本当でしょうか?スウェーデンやデンマークに比べてノルウェーの外国人移民の受け入れ数は少ないですし、制限も厳しいと読んだ記憶があります。もちろん、「Norgeノルゲ」は、小説ですから、事実のみで構成される必要はありませんが。

追記(4/24)
「リンクリンクコーナー」でも追加しましたが、佐伯一麦さんのサイト「Dear Norge」が、公開されましたので、ご覧になってくださいませ。
http://homepage1.nifty.com/k-saeki/





No14(3/13)

No9, 12で取り上げた「Norgeノルゲ」佐伯一麦(かずみ)著の第3回連載が、群像4月号に掲載されています。
オスロの芸術アカデミーに、留学する妻に伴ってやって来た夫である「俺」が主人公のようですが、学生寮に到着してから、生活を確立していく過程がつづられています。

文中、ちょっとしたノルウェー語が登場しますが、「ひとことノルウェー語講座」と重なる単語があって、「今まで、日本の小説でこんなにノルウェー語が使われたことなんて、あったのかしらん?」と感慨深いものがあります。
また、オスロの地名も所々、登場しますので、在オスロ経験があった方には、追体験できるかもしれません。貴重です。
それにつけても、日本で語られる外国って、本当に偏っているのだなーと思うことしきり。アメリカやフランスに留学した人にはわからんだろう、この気持ち。





No13(3/4)

日本人による日本人論というジャンルは、本屋さんに行くと本棚がきしむほど並んでいますが、ノルウェー人によるノルウェー人論、しかも外国人にも読み易い本となると、そう多くはないと思います。

その中で、国民的人気者の皮肉屋じーさん、Odd Børretzen(物書き、講演もするし、なぜか歌もうたう)は、「ノルウェー人をどうやって理解し、使用するか」("Hvordan forstå og bruke en nordmann"; Avenda 1991)で皮肉交じりの愛情をこめてノルウェー人を赤裸々に解剖、というかまるで電気製品に見立て「取り扱い注意法」を教えてくれました。
この本は、英語、ドイツ語、フランス語などに翻訳された人気本で、同じ皮肉を外国人から言われると怒るノルウェー人も、彼の本なら笑って読んでいます。

もう1冊、簡単なノルウェー語で書かれた面白いノルウェー人論として、「ほとんど人間のいない遠くて、寒い国」(”Et langt kaldt land, nesten uten mennesker"; Universitetsforlaget, 1998)を挙げてみましょう。
作者は、テレビなどにもよく出演するオスロ大学の有名な文化人類学の教授、Thomas Hylland Eriksen。学者のわりに見栄えもいいので、「よく女子学生からプレゼントや花をもらった」と大学新聞で告白してました。Hmmm。

本書は、若者向けに書かれた本で、平易で風刺交じりの文体で、多角的にノルウェー人を解剖しています。またノルウェーという国を知るのにも便利な本で、「10分間で学ぶ何千年ものノルウェー史」など、なかなか笑えます。
彼は文化人類学が専門ですから、異文化とノルウェー文化の比較にも説得力があります。例えば、南欧からノルウェーにやって来た人が、ノルウェー人に会うたびごとに、ビールやお茶などをおごったりしたが、じきにやめてしまった。というのも、ノルウェー人はすぐその場でお金を返そうとするからである、なぜなら「ノルウェー人は自分が借りのあることに耐えられず、すぐに返すことを考える国民性」と書いてありましたが、そういえばそうかもしれないなーと思い当たる節も。

「あなたのノルウェー人度チェック」というクイズ(?)も面白いです。全部で20項目の設問のうち、半分以上Jaという答えなら、あなたは立派なノルウェー人。その中から、幾つか挙げてみましょう。

・たとえ、水が冷たくても、泳ぐべき。
KLMとは、オランダの航空会社以外に意味がある事を知っている。(注:同名の古いお笑い人気番組を指している)
・好き嫌いに関わらず、長い距離のクロスカウントリーをしたことがある。その後で、オレンジと"kvikklunsj"(日本のキットカットに似たチョコレート)を食べた。
「ノルウェーは世界一の国」と何度も聞いたことがある。

ちなみに私、半分以下でした。やはり「夢ネット」編集者としては、切磋琢磨し、全問Jaを目指します。

この2冊は、ノルウェーに興味がある方はもちろん、ノルウェー人と結婚して向こうで暮らす人(Lykke til!)などにも強くお勧めします。また、ノルウェー語を習っている人も、たまにはテキストを離れ、こうした本を読むのも、面白いですよ。






No12(2/8)

大島渚監督の「愛のコリーダ」なんて、若い人はもう知らないかもしれませんが、現在、ノルウェーのマスメディアは、この映画についてよく取り上げています。
2月8日付のアフテンポステン紙は、1999年、ノルウェー国内で上映禁止処分を受けた本映画が、今年になって、苦情処理委員会により、上映禁止処分が無効となったことを受け、オスロ内の映画上映作品を決めるインゲボルグ・M・ハンセン氏が、「愛のコリーダ」(ノルウェー語タイトル"Sansens rike")を、オスロで上映することを認める発言をしたことを報道しています。
彼女は、オスロのフィルムクラブで、本映画に関する観客を交えたパネルディスカッションを行う提案もを併せて行っています。
オスロのほかにも、ベルゲン、トロンハイム、オーレスンの映画館でも、映画上映が行われる動きもあるとか。
ダーグスアヴィーセン紙でも、同映画にまつわる報道を行っています。

ノルウェー滞在中に観た日本映画は、ことごとくつまらなく、退屈な代物ばかりでした(でも、海外の映画祭で賞を取っている不思議!)。この映画は観ていないので、何とも言えないのですが、これだけ騒がれたからには、ノルウェー人の期待もいやがうえにも高まっている(どんな期待?)と思うので、却って「幻の名作」のままの方が良かったかもしれませんね。





No11(2/8)

No9で取り上げた「Norgeノルゲ」佐伯一麦(かずみ)著の第2回連載が、群像3月号に掲載されています。今回は、立ち読みではなく、ちゃんと買いました!..というのも、同号に文芸評論家・斎藤美奈子氏の座談会を見つけたからです。
彼女の評論は、とても的確かつユニークなのですが、座談会の中にも「作家のホームページは、すごい自意識過剰。大した作家でなくてもお山の大将状態になれる」といった主旨の発言があり、ドキ。私はもちろん、作家ではないですけど、気をつけなくては..!

で、肝心の「Norge」の第2回目ですが、まだまだこの段階では、どういう話に発展するのかわかりません。寮の細部にこだわった描写が続いてます。
2人の知人から、佐伯氏とノルウェーの関連性情報が入りました。Takk skal dere ha!
1)佐伯氏は、新聞のエッセイでも、ノルウェーでの体験を書いていた。
2)佐伯氏は、ノルウェーの作家タリエ・ヴェーソースの名作「鳥」を英語から翻訳中と、雑誌に書いていた。

2)に関して言えば、「鳥」は、大学の講義で読みました。ニーノシュクで書かれた作品なので、当初は読むのに苦労しましたが、作品を流れるポエジー、研ぎ澄まされた言語表現の美しさに惹かれました。本作品は、ポーランド人監督によって映画化されていますが、作者自身も出来映えには、ほぼ満足していたようです。私もビデオで見ましたが、監督の原作に対する深い愛情が感じられました。
ノルウェー人作家の作品を映画化や演劇化する場合、ノルウェー人がするよりむしろ、外国人監督・演出家の方が良いのかも。そうした事例はいくつか知っています。


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