フィンツアー掲載エッセイ

「ノルウェー語講師・青木順子さんのエッセイ」として
フィンツアーのサイトに2010.11~2014.8の間、
全46回掲載されたものをまとめました。
【01】


そうだ、公園へ行こう

それにしても、なんで東京に来るノルウェー人は、みんな「代々木公園」に行きたがるのか、不思議な気がします。あんなに自然に恵まれた国から、大都会の東京にわざわざ来るんだから、別に「公園」に行かなくてもいいと思うのですが、「東京の公園に行きたい」と言って、「代々木公園」に足を運ぶのです(明治神宮とセット売りです)。やはり、ノルウェー人にはある程度の「自然」がないと、空気がなくなるように、生きていけないのでしょうか?ナゾは尽きません・・・・。

・・・でも、分かるような気がするのです。

オスロに行ったら、どこに行けばいいのか?という質問に対して、「フログネル公園」(Frognerparken)と、まずは公園を勧めていますから。

そう、オスロに行ったら、「フログネル公園」がオススメの観光スポットです。

露店

この公園内には、ヴィーゲラン(Vigeland)というノルウェーを代表する彫刻家の彫刻が、何百も並んでいます。どこが終わりか分からないほど広大な公園の歩道の両サイド。そこに肉づきの良い裸の老若男女の像が、さまざまな姿態で私たちを迎えてくれます。さらに歩を進めると、121人もの人間が折り重なった「人間の塔」(モノリッテン/Monolitten)がでーん、と「どうだ!参ったか!」という感じで、そそり立っています。そしていろいろな国からの観光客が熱心に写真を撮っていたりするわけです。

怒りん坊の像

モノリッテン

実は私、この「フログネル公園」は好きなのですが、ヴィーゲランの彫刻はあまり好きではありません。「秘すれば花」の文化圏の人間には、真っ裸でポージングを決められると、どうにもこうにも落ち着かないのです。なので、公園に行っても彫刻の鑑賞は、あまりせずに、もっぱら公園内のカフェでまったりするのが、好みのスタイルです。

公園

今年の初夏、公園内のオープンカフェに座っていました。日曜日で天気が良いという条件が重なって、たくさんの人であふれかえっています。もちろん、お決まりの団体観光客もいるのですが、家族連れのノルウェー人たちも、散策や芝生で寝っころがったり、思い思いに公園を楽しんでいるのが印象的でした。そこで知り合いの日本人家族にも、偶然、会ったりして、「やっぱりみんなに愛されているスポットなのね」と再認識した次第です。

公園2

この公園は四季を通じて、見せる表情も変わります。

夏は観光客が大勢いて明るいですし、秋は紅葉がすばらしい。冬の雪景色も風情がありますし、春になれば、「これからどんどん日が長くなる」という期待感に満ちてきます。

10年ほど前、オスロ大学に留学中は日々、勉強に追われて肩でゼイゼイ息しているような感じでしたが、たまに「どうしても行きたい!」と欲求に駆られて、訪れていました。

公園3

先ほど、彫刻は好きではないと書きましたが、公園全体の雰囲気が、好きなのです。うまく言葉にはできませんが・・・。入口には、ワッフルを焼いて売っている女の子がいたり、スケボーを楽しむ男の子たちがいたり、ひとりただずむ異国人(←わたしのこと)がいたり、みんなが好き勝手をしていいんだ、と公園の持つ「懐の広さ」に惹かれているのかな・・・と。強いて申し上げますと。

今では年に1回しかノルウェーに行くことはありませんが、オスロに行くたびに必ず訪れる場所です。

オスロは、ここ10年で街が大きく変わりました。
でも、変わらない場所の一つが「フログネル」なのです。
昔と今の自分に思いを馳せながら、歩くのも乙なものです。

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クリスマスにまつわるエトセトラ

ノルウェー語でクリスマスはjul(ユール)と言います。

このjulという単語には、それ自身に不思議な力があるように感じます。みんなが自然と微笑みを浮かべる力。小さい頃のクリスマスの思い出に浸ったり、ふんだんに出てくるクリスマスのご馳走を連想したり、どんなプレゼントを用意しようかとそわそわしたり、そして何よりもなかなか会えない家族や親せきとの集い・・・。ノルウェーの冬は暗く厳しいですが、クリスマスのデコレーションや窓辺のアドベントキャンドルは人々の心を温かく照らしてくれます。

しかし、近年、クリスマスの商業化がひどくなったと嘆くノルウェー人は多いです。極端なところでは10月からクリスマスのデコレーションやライトアップを始めるお店もあるようです。確かにクリスマスでお金を儲けようという商魂がそこにはあるでしょう。でも、人々が明るい光を求める根源的な心が、そうした動きに呼応しているのでは?と思うこともあります。

特に私のお気に入りは、クリスマス前から家々の窓に飾られるアドベントキャンドルやクリスマスの星をかたどったライティングです。

一番最初に留学した先は、のんびりとした田舎で派手なイルミネーションとは無縁なところでした。

クリスマスに近づくとどんどん日が短くなり、15時頃の帰宅でも外はもう真っ暗。でも、家々の窓からもれる光がとてもハートウォーミングで、何だか懐かしい気持ちになりました。日本とは違ってカーテンは基本的に閉めないので、窓辺のデコレーションを楽しむことができたのです。ぽつ、ぽつ、ぽつ、と暖かい光が真っ暗な夜に映えて、商業的なデコレーションとは違う素朴な味わいを私は何よりも楽しんでいました。

あとjulのマジックはいろいろな「言いわけ」を作ってくれることです。

julだから、ご馳走とたくさんのお酒でもてなされる席を、会社がセッティングしてくれるjulebord(ユーレブール)は、日本でいうところの忘年会。この時とばかりに華やかに着飾って、滅多に仕事の後のお付き合いはしない職場の同僚たちと、ダンスをしたり、羽目を外して騒いだり。それもこれもjulという大義名分があるから、許されます。

またjulだから、ダイエットに夢中な人でもヘヴィーな料理を食べることがOKです。伝統的なクリスマス料理は豚のリブ、マトン料理、タラなど。それに山盛りのソーセージや付け合わせが大皿に盛られて、見ているだけでもお腹いっぱい。それにたくさんのデザート!

お酒だって負けてはいられません。アルコール度数の高いアクアビット(じゃがいもの蒸留酒)は、胃のためにいいからという理由で好んで飲まれます。それに特別なjuleøl(ユーレウル)というクリスマスビールが販売され、どんどん飲みたくなるのもご愛敬。お酒に強い多くのノルウェー人にとって、julという立派な言いわけのもとに、杯を重ねます。

そして最も大切なことは、julには仕事を休んでいいという言いわけです。大切な家族との集いを妨害することは、ほとんど人道問題に関わること。これを私たち日本人も忘れてはいけませんね。

少し早いですが、God jul!(グーユール=メリークリスマス)

クリスマス

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きっかけはオーロラツアー☆

今では、もはや「冬の定番」のオーロラツアー。
でも90年代初め、旅行代理店のパンフレットで「オーロラツアー」なる文字を見つけた時は、「お~!!」と感動したものでした。極寒の地でオーロラを観測、昼間は犬ぞり体験や少数民族サーメ人のキャンプ訪問など、まるでTV番組?と思えるようなレア感をそそるものでした。こんなに「秘境」チックなのに、ツアーのお値段も手ごろに感じた私は姉とともに、ツアーの申し込みをすることに。行先はノルウェーのトロムソ(Tromsø)。
はて?当時の私は「ノルウェー」なる国に何の思い入れも知識も、ほとんどありませんでした。ただ、パンフレットの注意書き「スキー場に行くような服装でご参加ください」が妙に引っかかって、完全防備で成田空港へ赴いたところ・・・。

異様に着膨れした一団が見えたところが、ツアーの集合場所でした。参加人数は30人以上いたでしょうか。みなさん、これから秘境に行くぞ!という気合で満ち満ちています。何度か飛行機を乗り継ぎ、いよいよ目的地のトロムソに到着したら、なんと天気は雨!雪ではなく、雨です。気温も思ったほど低くなく、「こんな気候で、オーロラが見られるの?」とみんなの心は、少しブルーに・・・。

犬ぞり出発!(イメージ)
犬ぞり出発!(イメージ)

結果としてツアーの間中、オーロラの観測は叶いませんでした。それでも、全然がっかりしなかったのは、他のアクティビティーが楽しかったこと、トロムソの素朴な街並みに魅了されたことに尽きますね。犬ぞり体験では、頭のいい犬たちに翻弄され、そりから振り落とされそうになったけど、「きゃほ~」と爽快感を満喫。また、サーメ人のキャンプ訪問では、直火でトナカイの肉が焼かれて、それをアメリカンなコーラと共に食すという貴重な体験をしました。トロムソ観光では、有名な北極教会を訪れました。教会の内部は暖かい木目調。突然の極東からの訪問者たちを地元の人々は驚きながらも、受け入れてくれました。

トロムソの北極教会
トロムソの北極教会

さらに忘れ難かったのは、ノルウェー人ガイドの女性が、私たちツアー一行を全員、自宅に招いてくれたことです。ちょうどクリスマス前の時期で、お家はクリスマスのデコレーションで彩られ、ほっこり度マックスでした。日本のちんまりした家に慣れた身からすれば、こんな大人数を一度に呼べる家ってすごい!と感心しきりです。仕事を離れたノルウェー人の優しい心持に、感激しました。

そうなんです、何だか観光ずれしていない「純な心」に魅了されたツアーでした。

ガイドさんもそうですし、ホテルでも枕銭を置いても受け取らない。当時、バブルに浮かれた日本人は、海外でお金がらみの不快な思いをすることもありましたが、それとは異なるノルウェー人の対応が印象に残ったのです。

「こんな北の果てで、人々はどうしてこのような豊かな暮らしができるのだろう?」この「“豊か”には」物質的、精神的、両方の意味を含みます。私の疑問と興味は帰国後も続き、次の夏にはフィヨルド地帯を観光し、さらにノルウェーに魅了されました。挙句の果てには、学べる場所が限られていたノルウェー語の語学教室へ通うことを決意。OLをしながらのノルウェー語学習は、久しぶりに「勉強するぞ!」という意欲を掻き立て、仕事以上に真面目にやっていた記憶があります。

いや~、若さって怖いですね。なんと会社を辞めて、ノルウェー留学という道を選びました。そこから先は・・・・。はい、現在につながっています。

今まで数限りないほど「どうして、ノルウェー語なんてやっているの?」という質問には、本当はこうしたマイストーリーがあるのですが、適当にはしょってきました。でも今回は納得していただけたでしょうか?

一つのツアー旅行がきっかけで、こんなに人生が変わるとは・・・・。今の時点では、「おもしろい!」と断言できます(先のことはケ・セラ・セラです・・・)。 

森の中に浮かぶオーロラ(イメージ)
森の中に浮かぶオーロラ(イメージ)
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旅の快感コミュニケーション

さて前回は、オーロラツアーについて書きました。

ノルウェーに興味を持った私は、会社勤めのかたわら語学学校でノルウェー語を学び始めたのですが、本当に楽しかった思い出があります。余暇時間はほとんどノルウェー語教室の予習と複習をしていました。そしてノルウェーに行っては、少しでもノルウェー語を使ってみようと、鼻息荒くしていたのです(嗚呼、若いって素晴らしい!)

ホテルのチェックインでは、「日本から予約しましたJunko Aokiです」
(Jeg har betsilt fra Japan og heter Junko Aoki)とノルウェー語で披露。
すると、ノルウェー人は日本人の観光客がまさかノルウェー語を話すと思っていないので、大げさに喜んでくれます。単純な私はそれだけで、「ふふん」と快感を得ていました。

こんなこともありました。お土産屋さんで、「Can I help you?」という英語の問いかけに、「いいえ、見ているだけです」(Nei, bare kikker.)とノルウェー語で返したところ、店員さんが混乱してしまったのです。まず英語でそれからノルウェー語で、「まさか日本人がノルウェー語を話すと思わないから、びっくりしてわけが分からなくなったの」と心理状態を説明してくれました。
「単純を絵にかいたような」私はさらに「えっへん」と快感度がマックスに!

セーター

そうなんです、英語は今では話せて「当たり前」と思っている人多いですが、ノルウェー語は違いますよね。

日本人はちょっとでも外国人が日本語を話すと「日本語、上手ですね」とよく誉めますが、これは「日本語のように特殊で難解な言語を話すとは、異国の者なのにおぬし、やるな」という意識が働いているかと思います。ノルウェー人も外国人がノルウェー語を話すと、手放しに誉めてくれますが、それは「ノルウェー語みたいなマイナーな言語をわざわざ貴方が話してくれるなんて!」というへりくだった意識があるような気がします。
「ありがとう」=Takk(タック)、一つだけで喜んでくれる素朴なノルウェー人が愛おしいです。

くつろぐ人々

ただ、旅先でノルウェー語を使ってみると、快感ばかりではありません。私がちょっとノルウェー語を話すと「とってもできる人」と勘違いされ、すごい勢いでノルウェー語の洗礼を受け、「??」となることもしょっちゅうでした。すると、「もっともっと勉強しよう、みんなが言っていることが分かるようになろう!」と学習意欲がさらにUP、という思考回路でした。

会話のコミュニケーションは、テニスのラリーにも似ているかと思います(テニスできませんが・・・)。
相手と自分のボールの応酬。思いがけず、相手を笑わせることができると、「1本取りました!」の気分です。

と、会話で得られる快感は大きいのですが、言葉が分かると、新聞の見出しや看板の意味も分かってくるようになります。歩いていて、「サルサ教室」の張り紙を見つけ、「ゲルマンなノルウェー人がラテンに憧れる?」とクスクス笑ったこともありました。言葉が分からないと、文字は意味のない記号の羅列に過ぎませんが、分かるようになると、大げさかもしれませんが、文字がキラキラと輝きを放ち、意味をもった存在として私の前に迫ってきます。
う~ん、これぞ快感。

ノルウェー語の案内

それから長期短期4回もノルウェー留学をしたのは、ひとえに「みんなの言っていること、書いてあることを理解したい。そして私の言っていること、書くことを理解してもらいたい」という欲求に突き動かされたからだと思います。

今日、ノルウェーへは再び「旅人」という立場で訪れる私ですが、「ノルウェー語、上手だね」とおだてられて、鼻の穴をふくらます、という図式は昔も今も変わりありません。
私にとっては、おそらく一生続きそうな「カ・イ・カ・ン」なのです。

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体感するオスロ

日本でノルウェーに関わる仕事をしていると寂しく感じることが、多々あります。

例えば、「北欧特集」とか「スカンジナビア特集」という雑誌を見つけ、嬉々としてページをめくると、コペンハーゲン、ストックホルム、ヘルシンキのページだけで、オスロはスルー、というパターン。
よくあります!(ヘルシンキはスカンジナビアじゃないのに・・・・)

こんな「日陰者」のオスロですが、果たしてそんなに魅力がないのでしょうか?

オスロは確かに他の3都市に比べて規模は小さいかもしれませんが、オスロならではの「素朴な魅力」があると思います。

私はほぼ毎年、オスロを訪れています。日本からはるばる到着すると、何だか懐かしい気分になります。オスロには1999年から2000年に留学していたのですが、基本的な街並みは変わっていません。シンプルな王宮から、ノルウェー随一の目抜き通りカールヨハン通りが、オスロ中央駅までつながっています。

オスロの街並み
オスロの街並み

オスロのいいところはたくさんあるのですが、まず言えることはサイズがコンパクトで、徒歩での観光巡りがしやすい、ということです。前述のカールヨハン通りをまっすぐ歩いてもいいのですが、ちょっと横道に入ると、いろいろなお店や施設が並んでいて、ぶらっと歩くのに最適です。

私が好きな散歩コースは、王宮の庭をてくてく下りながら歩き、3年ほど前にできた「文学の家」(Litteraturhustet)にちょっと寄って、カフェで一休み。
そこから、マヨースチューエン(Majorstuen)駅まで、両脇のお店を冷やかしながら、坂を上がっていくルートというものです。基本は変わらないオスロですが、お店はいろいろと変化しています。
「お!こんなおしゃれなパン屋がオスロにもできた!」
などと驚きながら、歩くのも乙なものです。

他には、中央駅の近く、オスロ大聖堂の周りをぐるっと囲んで回廊式の建物があります。
ここには八百屋さん、カフェ、隠れ家的セレクトショップまであって、よく立ち寄るスポットです。

オスロのデザインショップ
オスロのデザインショップ

東京ではこんなに歩かないかも・・・。オスロでは、不思議と「よし、歩こう」と思えるんですよね。

徒歩よりももっと広い範囲を見てみたい、という方にお勧めなのが、トラム[路面電車]=trikkenを使った観光です。時間に余裕がある人は、幾つかある路線の始発から終点まで乗ってみるのも面白いですよ。
私は去年、中心地からオスロフィヨルドを一望できる高台まで40分くらい乗りました。
高級住宅地、中心地、ショッピングセンター、それから自然エリアごとに変わりゆく景色を楽しみました。

トラムのある街っていいですよね。

オスロのトラム
オスロのトラム

留学中も、地下鉄の方が便利だけど、勉強の息抜きにトラムに乗っていたな~と思いだしました。

地下鉄といえば・・・。ノルウェーで地下鉄が走っているのはオスロだけです。

でも「地下鉄」T-banenの定義があいまいというか、ほとんど地上を走っています。
地下を走っているのは中心地の何駅かだけで、あとはすぐに地上に出ます。

オスロの魅力として、「すぐに自然にアクセスできる」もあるでしょうか。地下鉄で5~10分走れば、すぐにあなたを自然が包み込んでくれます!

緑豊かなオスロの風景
緑豊かなオスロの風景

また留学中の話で恐縮ですが、当時の学生寮はソグンスヴァン(Sognsvann)という湖の近くにありました。ソグンスヴァンは地下鉄の終着駅です。中心地から20分ほどで行けますが、そこはもう森と湖が広がっている自然の宝庫です。やはり時間のある方にお勧めなのが、湖一周のお散歩。冬になると湖が凍結して、湖の上を歩く猛者もいます!
(私は怖くてやったことがありません)

「歩く」といえば、3年前にオープンしたオペラ座は、なんと屋根の上を歩くことができます。
真っ白いモダンな建物の上を歩けば、あなたも立派なオスロっ子。ただ夏はサングラス必需です。

いかがでしょう。一見、「何もないように見える」オスロですが、素敵なところはたくさんあります。

ぜひ足を運んでみませんか?

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スウェーデンはお好き?

お隣の国というのは、よくも悪くも、いいところ、悪いところが目につきませんか?

一番初めに留学した時のこと。
イースター休暇の旅行で、スウェーデンに行くことにしました。
「スウェーデンに行くんだ」と寮の仲間たちに話すと、みんな真顔で「スウェーデン人はアホばっかりだから」と言うのです。キリスト教を信心する真面目なおじさん学生までが同じことを口にするので、とてもびっくりしました。そしてノルウェー語の授業で、ノルウェーのジョーク集をまとめたプリントを読んだのですが、やたらとスウェーデン人をからかう内容のものが多かったことにも、「なぜ?」と疑問に思ったのです。

スウェーデン国旗&ダーラナ馬
スウェーデン!

いうまでもなくスウェーデンは隣国です。同じ隣国でもデンマーク人のことは「陽気で楽しい」と手放しに誉めるノルウェー人。でもなぜスウェーデン人のことは馬鹿にしようとするのか、最初は理解に苦しみました。
でも馬鹿にする割には、みんなスウェーデンのテレビを喜んで見ているし、スウェーデンのミステリーも人気だし、スウェーデン映画はノルウェー映画よりヒットするし、H&MやIKEAもたくさん店舗があります。こんな具合で、スウェーデンの影響をかなり受けているのです。何よりも、「北欧」というくくりで語られる時、スウェーデンが真っ先に名前を挙げられることに、みんな納得している様子(フィンランドだと「え?」と怪訝な顔になりますが・・・)。

ノルウェーのIKEA
ノルウェーのIKEA

実のところあまり相手にされていないようですが、ノルウェーはスウェーデンを「ライバル視」している節があるようです。ヨーロッパで開催される大きなポップミュージックの祭典「メロディーグランプリ」でそれは顕著です。番組では、各国から代表の歌手が歌って、他国の人がいいと思った国の歌手にポイントをあげるシステムになっています。その時、必ず「スウェーデンはノルウェーにあまり点をくれませんね」
とか、「スウェーデンよりノルウェーは上に来ました!」
とノルウェー人司会者が半ば「様式美」のようなコメントをするのです。そしてやっぱり学生寮でこの番組をみんなで観ている時、スウェーデンに「勝った」とか「負けた」とか言って盛り上がっているのでした。
でもみんな真面目に怒ったりするのではなく、すごく楽しそう。これって一種のゲーム?
となんとなく、愛憎まじりのノルウェー人の対スウェーデン人観の機微に触れた気がしました。

メロディ・グランプリ
メロディ・グランプリ

あと印象的だったのは、2005年5月終わりから6月にかけてノルウェーに行った時のこと。
ノルウェーは毎年5月17日がナショナルデーで、盛大にお祝いをします。民族衣装に国旗を持って、ほとんどの国民が行進を行います。そして、なぜかその年、スウェーデンでもナショナルデーを祝う初めての年とかで、ノルウェーのテレビがスウェーデンから中継しました。
あいにく天気に恵まれず、ノルウェーのナショナルデーの熱狂とはほど遠い雰囲気が映し出されると、ノルウェーのテレビはあからさまに「ノルウェーの5月17日より、全然、盛り上がっていませんね」と、嬉々としてコメントしていました。う~ん、スウェーデン人は張り合っていないような・・・。

ノルウェーのナショナルデー
ノルウェーのナショナルデー

ただ前述したように、ノルウェーはスウェーデンのテレビを見ている人が多いので、スウェーデンに関する知識が豊富です。でもスウェーデン人はノルウェーのことをあまり知りません。そしてその事実をまた「自虐的に」ノルウェー人は自覚しています。

「どれほどスウェーデン人はノルウェーのことを知らないか」という特集記事を読んだことがありました。現ノルウェーの国王の名前を知らないスウェーデン人が結構いる、という残酷な結果に、悔しがりながら、どこか「やっぱりね」とマゾ的に喜んでいるノルウェー人。

本当はスウェーデンが気になって、大好きなのではないでしょうか?
でも愛情をストレートに表現するのは恥ずかしいのかしら?
小学生の男の子みたい、と言ったらノルウェー人に怒られるかな?でも、私にはそう感じられます。
  

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失われた太陽をもとめて

現代のノルウェー人は、それほどキリスト教を熱心に信仰しているようには見えません。
ですが、別のものを熱狂的に崇めているような気がします。そのものとは?
はい、「太陽」です。もはや「太陽教」の域に入っていると思います。

芝生で日焼け
芝生で日焼け

私の目元にシミがあるのは、ノルウェーに何度も行ってノルウェー人と行動を共にした結果です。
最初に留学した時は、8月でした。まだ残夏といった気候でしたが、なぜかノルウェー人は外で本を読んだり、おしゃべりをしたがるのです。ちゃんと調査をしたことがないので分からないのですが、かの地は日本より紫外線が強い気がします。長時間、外にいるとジリジリと肌に日光が侵入してきます。でもノルウェー人は日焼け止めをきめ細かく塗り直すこともなく、肌を日光のもとにさらします。その結果、あの人たちのとんでもなく白い肌は・・・・
はい、赤くなります。もっともっと焼いて小麦色の肌になんとかしようと必死のようですが、なかなか簡単にはいきません。「ブロンドの髪に、茶色い肌が理想なの」とノルウェー人の女の子が言っていました。「美白」信仰の日本人には、この時点でついていけません。

海辺では当然・・・
海辺では当然・・・

ノルウェー語では、わざわざ「外で飲むビール」という意味の単語utepils(ウーテピルス)があるくらい、彼らは太陽のもとでビールを飲めることにも命をかけています。
日本人には肌寒いくらいの気候でも、ノルウェー人は半そでorノースリーブといった気合の入った服装で、オープンテラスでアルコール摂取にいそしみます。
それに付き合わされる時には、ストールまたはショールといった防寒態勢が必要で、唇がチアノーゼくらいになります。「もう中に入ろうよ!」と何度、叫びたかったことか・・・。
はい、でも今では全てが良い思い出です。

ひたすら日焼け
ひたすら日焼け

ただ留学して分かったことがあります。ノルウェーの冬は、日照時間がとても短く、暗い時間が長く続くという事実。冬至を過ぎて、少しずつ日が長くなっていくありがたさ。
まだ若かった私でも「ありがたいものよのぅ」とすっかりご隠居気分になったことを覚えています。
ですから3月~4月のイースターには、みんなの「太陽をもとめる心」がスパークします。
ある者は山スキーにいって、またある者はもっとダイレクトに南欧に足を延ばして、思う存分、日焼けに興じます。そういえば4月に来日したノルウェー人の学生たちは、都内のファミレスの外に座って、顔を太陽の方へ向けて日焼けに興じていました。ノルウェーでは「アクセプト」な行為でも、日本ではしかも東京では、なかなか異様な光景で、ガイド役の私は焦りましたっけ。

太陽の下のスキーは最高
太陽の下のスキーは最高

長い冬を経て、念願の夏がノルウェーにもやってきます。日本のような気温にはなりませんが、太陽はたっぷり長時間出ます。極端じゃないの、ってくらい夜の遅くまで明るいです。

こんな忘れられないエピソードがあります。夏の日、とあるノルウェー人のお宅にお邪魔し、バルコニーでワインを飲んでいた時。いつまでも沈まない太陽を見ながら、彼女は「今から、これから来る冬のことを思うと憂鬱だわ」とつぶやきました。

なぜか「メメント・モリ」(死を想え)という言葉が浮かびました。たくさんあふれている生の中でも死を忘れないように、太陽がたくさんある夏に冬を思い出すという行為が重なったのかもしれません。
そして私もゆっくりと、地平線に入ろうとする太陽を眺めながら、来るべき冬に思いを寄せました。

もしかしたら、私も少し「太陽教」の信者になりつつあるかもしれません。

オープンテラスが人気
オープンテラスが人気

ノルウェーに行くと、迷わずオープンテラスを選ぶようになりました。
ええ、シミは大きくなっていますが、それだけの代償はある気持ちの良さです。

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ノルウェー語を仕事にすること

本当は良くないことなのですが、はじめてノルウェーに留学する前に帰国後の仕事のことをちゃんと考えていませんでした。
漠然と、「翻訳ができればいいかな・・・」と思っていた程度です。


そして留学を終え日本に帰国して、まず最初にやったのは「ノルウェー語を教える仕事」でした。
なんやかんやで、もうその仕事を14年近く続けています。
他にも、通訳、翻訳、講師、執筆などノルウェー語に関わる仕事をやっていますが、今のメインは「教える仕事」です。


レッスン風景 レッスン風景

「教える仕事」は、本当に奥が深いと思います。最初の頃は、自分が留学した時に教わった授業を日本でも再現したくて、全部、ノルウェー語でレッスンをやってみようかと思いましたが、当然、頓挫。終わった後、いつも「今日のレッスンはダメだった~」と落ち込むことばかりでした。
また会社勤めをしながら教えていた頃は、なかなかレッスンの準備に時間が取れず、理想のレッスンと現実のレッスンの差を感じて「どうすればいいのか?」を自問し続けた時期だったと思います。

2006年からノルウェーの仕事だけに絞る環境になり、2007年から
「ノルウェー夢ネット」主催でノルウェー語講座を開くことになりました。
最初は管理人さんと「1クラスだけでも開講できればいいですよね」と話していましたが、幸いにも複数のクラスが開講できました。

何て書いてある?
何て書いてある?

少人数制のレッスンスタイルでアットホームな雰囲気づくり。また、じっくりと生徒さんたちと向き合い、それぞれの受講動機に合わせてフレキシブルに対応できるよう心がけました。ノルウェーのミージシャンのファンの方には、ファンレターの代筆をしましたね。そうです、誰でも安心して参加できるレッスンを目指しました。

あと心に留めたことは、皆さん、お忙しい中わざわざレッスンに来て下さっているということ。お仕事や学校帰りだったり、貴重な休日だったり、そんなみなさんにこんなマイナーなノルウェー語を学んで頂くということは、恐れ多いことなのです!「ありがたや~」と毎回、感謝の気持ちを
忘れないようにしています。

何て書いてある?その2
何て書いてある?その2

レッスンの内容ですが、日本人はどんなポイントが苦手かは合点承知していますので、そうした点は強調して伝えるようにしています。
「わかりますよ~、私もここ苦手です」と正直にカミングアウトして、「でもノルウェー語はこうなっているんで、すみません」とノルウェー人にかわって頭を下げています(でも「フィンランド語よりは簡単ですよ」とか「チェコ語はすごく複雑みたいです」と他の言語をお借りして言い訳するスタイルも身につけています。関係者のみなさま、すみません)。

あと大事にしているのは、何といっても「ノルウェー小噺」ですね。テキストを読むだけではなく、そこから浮かび上がってくる社会背景や時事問題などから、なるべく笑える事例をご紹介するように、日々ノルウェーのニュースにはマメにチェックを入れ、ネタを仕入れるようにしています。そう、「早朝、築地に仕入れ」がご自慢の料理人のように、ノルウェーの派手なタブロイド新聞をネットで真剣に読んでネタにさせて頂いています。

ノルウェー語のテキスト
ノルウェー語のテキスト

こうした「ノルウェー小噺」は、通訳や翻訳、講演などで得た体験も大きな助けとなってくれます。「この間来日したノルウェー人一行は、格安居酒屋のサービスに大感動してくれましたよ~」と、いわばノルウェー人を「売って」商売しています。
ごめんよ~。

ノルウェー情報は、生徒さんから仕入れることも多いです。そう、教える仕事のだいご味は「教わること」でもあります。

生徒さんの中には、いろいろな言語に精通されている方がいて、「●●語だとこうですよ」と教わることはしょっちゅうです。また皆さん、それぞれのノルウェー体験があったりして、「へ~」と感心することもしばしば。「ノルウェー人の友達は酔っぱらうと木に登ります。」(@東京)なんてエピソードも聞きましたね。
テキストを読んでいて、私が思ったこともないような質問をされたりして、考えさせられることもあります。例えば、「~時」を意味する「Klokka」(クロッカ)のことをずっと「コロッケ」だと勘違いされていた元駐在夫人の生徒さんがいました。
クラスみんなで彼女の思い違いに爆笑しました。

話せると楽しい!
話せると楽しい!

幸いにも、まだ「ノルウェー夢ネット」主催のノルウェー語レッスンは続けています。
開講から今日までに、お問い合わせも含めると120名を超える方からコンタクトがありました。いつも北欧語の中で一番人気がないと揶揄されるノルウェー語ですが、なかなかどうして。今までたくさんの出会いを作ってくれました。そのことに素直に感謝しつつ、新しい出会いにも期待をしつつ、今日もレッスンは続きます。

2011年6月16日

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恐怖の瞬間

人にはそれぞれ「怖い!」と感じる瞬間があると思います。

私には、海外に行くと「恐怖心」がマックスになる瞬間があります。暗い夜道?
何言っているか分からない変な人?ノン、ノン。(ノルウェー語だとナイ、ナイですね。)

それはずばり、「トイレに閉じ込められる恐怖」です。

トイレはお国によっていろいろと事情が変わるもの。
昔はよく、中国のトイレはドアがない、とかロシアのトイレは便座がない、とか伝説のように語られてきましたよね。

私の場合、海外とはほぼノルウェーになってしまうのですが、とあるトイレに入って、用を足して、さあ出よう、という瞬間にドアを開けようとしても開かない・・・・という瞬間が本当に怖いのです。
その恐怖心というのは、様々なエピソードによって培われてきました。

恐怖のトイレドア その1
恐怖のトイレドア その1

私の場合は姉の友人です。イタリアのレストランの地下トイレで彼女は「開かずのトイレ」に出会ってしまい、ドンドン叩いても出られない。
かなり騒いでやっと誰かに気づいてもらって何とか救出してもらった、という話を聞き、「あ~、異国でのトイレって本当に怖い」と恐怖心を養われました。

そしてノルウェーで何度か、なかなか開かないトイレに遭遇しました。

恐怖のトイレドア その2
恐怖のトイレドア その2

段々、経験値が上がって、分かって来たことがあるのですが、開かないトイレというのは、ドアを閉める際に早くも問題がある場合があります。
「なかなか閉まらないな~このドア」と思いながらも、無理やりドアを閉め、さあ出ようとすると、ガチャガチャ、ガチャガチャ・・・。きゃ~開かな~い!
そのドアと格闘している間に、恐怖の映像が走馬灯のように頭を駆け抜けます。

この地下トイレ(カフェやレストランは地下トイレであることが多い)で、誰にも気づかれず、一晩この狭いトイレで明かさないといけない、とか。

たとえ誰かに気づいてもらったとしても、ドアをどうしても外からも開けることができず、ドアを壊すことになって、その賠償金を請求される、とか。

その場合によって違うのですが、「恐怖映像」によってますますパニックに陥り、ドアを激しく開けようと奮闘します。

 ここまで恐怖心があるというのならば、じゃあ、本当に出られないで閉じ込められた経験があるのでは?と尋ねられれば、それもノン(ノルウェー語ではナイ)ですね。
そうなんです、どうも他人の経験談を基に自らが勝手に培養した恐怖心、と言えるかもしれません。

恐怖のトイレドア その3
恐怖のトイレドア その3

6月にフィンツアー主催のノルウェーツアーに出かけたのですが、「トイレのドア」事件は私ではなく、参加者の方の身に起きました。某公園のカフェでお茶をしていて、その方は少し離れた場所にあるお店のトイレに行きました。なかなか戻ってこないな~と周囲が心配を始めた頃に、帰って来られました。どうも様子がおかしい。
聞けば、トイレに閉じ込められてしまい、必死に救出をアピール。幸いそこはチップ制のトイレだったので、近くにいたチップお兄さんが異変に気づいてくれたそうです。
そしてバーナーでドアを開けてもらい、無事に出てくることができました、とさ。

というお話を聞き、「ひぇ~」とまた恐怖のエピソードを増やし、身を固くしたのは言うまでもありません。

私自身は今回のツアーでは開かずのドアには遭いませんでした。
ただ帰国便のトイレで、なかなか閉まらないドアがあり、経験値に基づき、そのトイレには入らずに出てきました。正しい選択だったと思います。

かわいいトイレドア(でも出られる?)
かわいいトイレドア(でも出られる?)

トイレの恐怖心ばかり語りましたが、ノルウェーのトイレは一般的に広くて衛生的で不快な思いをしたことは、ごくわずかです。これはラッキーですよね。
さて、私の恐怖心はどこまで増長するか、今後の経験にかかってくると思います。
これを最後まで読んでくださった皆さまからの経験談もお待ちしていま~す♪

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2011年7月22日

7月22日は金曜日でした。夜遅くなってそろそろ寝ようと、PCを落とそうとしたらFacebookにメッセージが。「ノルウェーの官庁街で大規模な爆破」というニュースのリンクが貼ってありました。眠い目をこすりながら、記事を読むと、つい6月に歩いたばかりの官庁街一帯が大規模な爆破事件に巻き込まれたそうです。
「こんな事件がノルウェーで・・・・」驚きながら、そしてテロ事件の可能性を感じながら、その日は眠りにつきました。

爆破される前の官庁街
爆破される前の官庁街

翌朝。PCを起動するとYahooニュースの「ノルウェーで銃乱射。死亡80人」
というにわかに信じがたいヘッドラインが飛び込んできました。と同時に、サイト宛てのメールに幾つかの翻訳会社からテレビの映像翻訳の仕事依頼が送られてきていることに気づきます。しかし、レッスンが重なっていたので、お断りの返信を書いて対応しながら、ノルウェーのニュースをネットサーフィンしました。
そこには、前夜よりもっと凄惨な事件がつづられていたのです。

日本でも大きく報道されたので、おそらくみなさんご存知かと思いますが、ウート島で開催された労働党青年支部のキャンプに、男が銃で乱射。
たくさんの若い命が奪われたのです。「そんな・・・信じられない」と混乱した思いで、ノルウェー語のニュースを読んでいきました。そして現在、32歳ノルウェー人男性の容疑者が審理中です。ノルウェーおよびヨーロッパのイスラム化を阻止する、という目的のもと、まず大規模なテロで注目を引き、「マニフェスト」を公開することによって、自らの正当性を主張しています。

政党キャンペーン
政党キャンペーン

ノルウェーについてあまり知識のない方から見れば、「ノルウェー、こんな怖い国なの?」
と不安に思われたことでしょう。そして、ここまで人を殺戮しなければならないほどに、この国の移民問題は切迫していた、と印象づけられたかもしれません。

しかし、ノルウェーは時に「退屈」と感じるくらい、事件らしい事件もない平和な国でした。
移民については、もっと制限しようと主張する人々が存在していたことは事実ですが、でもこれほどまでに暴力的な手段で実現しようとした人は、容疑者以外に存在していたか、大いに疑問です。

小学生たちの街中ツアー
小学生たちの街中ツアー

さてこうした大惨事がなければ、ノルウェーはのんびりした夏休みシーズンの真っ最中でした。
新聞も薄くなり、テレビの放送時間も短くなって、国をあげてのお休みモードに入っていたのに・・・。この事件によって新聞を始めとするメディアは、連日、異例のフル回転状態です。

国王をはじめ、首相や閣僚たちも事件を受けて、積極的にアクションを起こしています。
特に、ストルテンバルク首相は、事件後の会見で「暴力に対する答えは、民主主義をさらに強固なものにすることだということを、相手をもっと思いやることが暴力に対する答えだということを、示さなければなりません。」と断言し、「目には目の」報復ではなく、さらなる民主主義の国づくりを目指すことを鮮明にしました。これは首相だけではなく、一般の人々の世論からも、「より寛容な社会づくりを」「もっと民主主義の国を」との声が広がっている様子がFacebookのコメント欄などで散見されます。

国会議事堂前
国会議事堂前

オスロや、国内各地の街には追悼のシンボルとして手向けられたバラの花々やろうそくが溢れ、ノルウェーの人々が事件をきっかけに団結して立ち向かおうとしている様が見て取れます。そこに宗教の壁はありません。 イスラム教の人々も追悼に加わっています。 
私自身、長年ノルウェーに関わってきましたが、今回改めてノルウェーの人々の強さと暖かさを痛感しています。そして、「ノルウェー」という国が好きで良かったと心から思いました。

オスロを埋め尽くす追悼の花とろうそく
オスロを埋め尽くす追悼の花とろうそく

今年、日本は大震災、ノルウェーは大規模テロと、共に国家的な大惨事が起きました。
悲しみは大きいですが、よりよい国づくりを目指して、お互いに希望を捨てずに一歩一歩、進んでいきたいですね。

2011年8月15日

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