・・・留学体験・・・
■留学体験報告■

Tromsøでの高校生活(2006年8月~2007年7月)
文・写真提供 Sakurako

 私は2006年8月から2007年7月までAFSの年間交換留学生としてノルウェーに派遣されました。
ノルウェーを希望したのは、人間開発指数が4年連続一位(帰国時6年連続一位)であったからです。ノルウェーでの派遣先は北極圏内に位置するTromsøでした。
 これから一年に渡ってTromsøでの生活の様子を綴っていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。(2007年8月 Sakurako) 

8月-Augusut-

「初めまして Tromsø」

8月 4日朝、成田空港を発ち、Frankfurt経由でOsloに入りました。そこでノルウェー派遣生は五グループに別れ、北部のメンバーはさらに飛行機に乗り、Finnsnesという町のBardufoss lufthavnという空港に向かいました。真夜中にもかかわらず、空が明るく北の方がほんのりと赤かったのはとても印象的でした。バスに乗りFinnfjordbotn videregående skoleという寮のある公立高校に着いたのはノルウェー時間の5日午前2時をまわっていました。翌朝から、到着後オリエンテーションが行われました。緑に囲まれた土地で、これからノルウェーでどのような自然に出会えるのかとても楽しみになりました。オリエンテーションで山登りをした時、遠くにHurtigrutaを見つけ、いつか乗ってみたいと思いました。
家の東にある山の風景
8月12日、ホストファミリーの出迎えがあり、車に数時間乗ってTromsøの家に到着しました。私のホストファミリーは農業を営んでいて、野菜を作ったり、家畜を育てたりしていました。東には山、西にはフィヨルドを臨むことが出来、大変美しい所で、ここでの一年間にわくわくしました。

それから数日間はホストファミリーにTromsøの街を案内してもらいました。Poraliaは水族館で、アシカのショーや様々な魚を見ることが出来ました。文房具店はなく、書店で様々な文房具が売られていました。何よりもびっくりしたことは、物価の高いことです。1クローネが約20円で、バス代は家から街まで片道620円、日本で100円で買える文房具(日本製)も400円以上もしていました。しかし図書館には、インターネットに接続されているパソコンが30台以上もあり、無料で利用でき、本当に豊かな国だと思いました。

19日から、8月と9月の毎週土曜日に開かれるBondens markedという街の市場でホストファミリーが野菜を売るのを手伝うようになりました。これは、複数の農家が出店し、野菜やワッフェルを売る市場です。ノルウェー語もほとんど話せなかったのですが、すぐに野菜を売ることができるようになりました。野菜の名前を覚えるのはとても大変でした。ノルウェー語で値段を言わなければいけないので、計算する時にはノルウェー語で計算するように心がけました。この経験が私のノルウェー語の能力を上達させたように思います。

20日、ホストファミリーと一緒にHurtigbåtenに乗ってTromsøよりも少し北にあるFinnkrokenにある教会を訪ねました。天候に恵まれ、船からの眺めはとてもきれいでした。35分というほんのわずかな時間でしたので、美しい景色を見ているうちにあっという間に過ぎてしまいました。Finnkrokenでも小型のボートに数分乗りましたが、それも気持ちが良かったです。
一年通った Tromsdalen videregaaende skole
学校は、Tromsdalen videregående skoleの2年生のクラスに所属することが決まり、21日に始まりました。1クラスに生徒が28人と少ないにも関わらず、担任の先生が二人いらっしゃいました。更にクラスが2グループに分かれて、各グループに一人の先生が就く、というシステムでしたが、日本のように授業以外にクラス単位で集まる、という時間はなく、生徒それぞれが授業のある時間帯に登校していました。必修科目はクラス単位で受け、その授業の担当が担任の先生の時に事務連絡が行われました。私のクラスはホームルームを持っていませんでしたが、クラスによっては学校の図書館持っていました。一時限目は8時30分に始まり、八時限目が終わるのは16時でした。一時限は45分で、必修科目はノルウェー語、歴史(ノルウェー史、世界史)、地理、公民、体育があり、選択科目の中では社会人類学、観光を選択し、特別授業として外国人のためのノルウェー語の時間と留学生のためのノルウェー語の時間がありました。二時限ごとに15分休みがあり、昼休みは1時間ありました。昼食は各自お弁当を持参したり、パンや飲み物、デザート類を買ったりして食堂(Kantina)を利用している人がほとんどでした。アジアやアフリカからの移民が多く、高校での年間留学はあまり知られていなかったため、私は移民だと思われていたようでした。

最初の一ヶ月間は時間に追われるまま、あっという間に過ぎました。

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9月-September-

「楽しみにしていたオーロラ」

あっという間に9月になってしまいました。けれどもTromsøの様子もだんだんと分かってくるようになりました。ノルウェー語にも少しずつ慣れたものの、難しいことはよく分かりませんでした。

街のシンボル・北極教会トロムソ大聖堂と北極教会のKFUK・KFUM(日本のYWCAとYMCA。
ノルウェーでは、YWCAの方を先にいいます。)の活動の一部である合唱団に所属し、火曜日と木曜日の週二回、練習に参加しました。私は讃美歌を歌う聖歌隊と勘違いして所属しましたが、そこは流行歌などを歌う合唱団でした。

その月の中ごろになって、Tromsøでは方言が使われていることを知りました。それまでノルウェーではbokmålとnynorskとサーミ語の3種類しか話されていないと思っていました。また、TromsøではOsloと同じbokmålが書き言葉として使われていたので、話し言葉もOsloと同じかと思っていました。ところが、テレビの全国放送から流れてくる言葉と何だか雰囲気が違うなとは思っていました。学校で使われていた外国人向けの教科書にイントネーションの線が書かれていて、その練習をしようと思い、ホストマザーに聞いてみたところ、その通りに読むことは出来ないと言われ、とても驚きました。単語も少しずつ違っていました。

標準語

トロムソ方言

日本語

jeg

æ

私は

er

e

~です

dere

dåkker

あなたたちは

til

te

~へ

hva

ka

hvordan

korsn

どのように

ikke

ikkje

~でない

hvorfor

køffer

どうして


また、E d d d e?という言葉があり、最初はよく分からなかったのですが、それは標準語ではEr det hva det er?と言うようで、「それがそういうことなのですか?」という意味です。他にも、”D e d d e.” や ”E d d ?”などもあります。

21日には学校で初めてのテストがありました。世界史のテストです。私の通う日本の学校と違って、ただ事項についてだけ覚えたのでは答えられないということが分かりました。流れをよく理解している必要がありました。なぜならテストは記述式の問題が3.4問出るからです。いろいろな野菜たち

ノルウェーでは長寿のお祝いを5年ごとにするようで、23日には75歳のお祖母さんと80歳の大叔母さんの記念パーティーが開かれました。ビニールハウスに沢山のテーブルと60脚以上の椅子を並べ、飾り付けなどの準備をしました。当日はホストファザーと叔父さんが作詞した歌を歌ったり、私が「もみじ」、「ちいさいあきみつけた」と「花笠音頭」を披露して日本文化を伝えたりしました。夕食の後、沢山の種類のケーキが出て、どれもとても甘かったのですが、たいへん美味しく、マジパンがよく使われていました。

後日またこのビニールハウスを使った夕食会が開かれ、その席で折り紙をお教えしたのですが、たいへん好評でした。私はいつもお誕生トラクターは必需品日プレゼントに折り紙を添えていましたが、いつも喜ばれました。

26日は、16日まであったBondens markedのために掘ったジャガイモの残りをトラクターで掘り起こしました。このジャガイモは翌年蒔く種芋と冬の間の大切な食糧になります。今まで手では掘りきれなかったジャガイモが思った以上に畑の中にあって驚きました。

空28日は学校行事のVikingdagenという日で、学校の周りでクラスごとにオリエンテーリングをしました。種目は泥の中でのお相撲、顔に絵を描くこと、人を背負って川を渡ること、川での水泳、トランプなどでした。どれもクラスの代表者の参加で、私は応援だけでしたが、沢山歩いたので疲れてしまいました。

その日教会での合唱の練習もあり、夜10時過ぎに更に疲れて帰る時、
バスを降りて畑の道を歩きながらふと空を見上げたら、うっすらとした緑色の帯を見つけました。それが何だか分からず、考えていた時にちょうど車で通りかかった叔父さんに聞いてみたところ、あの、見るのを楽しみにしていたオーロラ、Nordlysでした。特に感動はしませんでしたが、日本では見られないものなので、とても嬉しかったです。私の知らせを聞いた日本の友達の要望で、写真に撮って送ったのですが、その友達のパソコンではよく見ることが出来なかったそうで、やはり生で見ないと駄目なのですね。それからは3月くらいまで見ることが出来たように思います。特に冬場は空気も澄んで美しいものを頻繁に見ることが出来ましたが、それに飽きてしまった私は贅沢だと言われました。

こちらに着いた時には真夏でしたのに、瞬く間に冬になってしまうようでした。けれどもタンポポの綿毛もまだまだ沢山ありました。


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10月-Oktober-

「トロムソ国際文学祭」
日の丸を囲んで。
ノルウェーの生活にも慣れ、一人で行動できるようになりました。

10月5日から8日までトロムソ国際文学祭-Ordkalotten-が行われました。昨年のテーマは偶然にも「心」ということで日本の特集でした。日本からは谷川俊太郎さん、江國香織さん、四元康祐さん、多和田葉子さん、おおたか静流さんなどが参加されました。平日は学校の授業のあと、午後のプログラムを中心に参加しました。
図書館での開会式ではアイヌの踊りの紹介があり、谷川俊太郎さん作詞の「ころころ」をおおたか静流さんが歌われました。「千と千尋の神隠し」を見たり、広島の原爆や日本での戦争についての講演を聴いたり、漫画についてのノルウェー人によるディベートを見たり、様々な作家のインタビューを聞いたりしました。作者による詩や本の朗読は日本でもなかなか生で聞くことができないので、とても貴重な経験となりました。折り紙は日本の文化
7日は私の担任の先生のご家族と協力して、ノルウェーの伝統料理の一つである魚のスープを作り、この文学祭に参加した方々にごちそうしました。美味しいと仰っていただけ嬉しく思いました。
8日は朝からトロムソ大学博物館で浴衣を着て折り紙を紹介しました。ここで、数人のトロムソ大学に通っている日本人と知り合うことができました。たくさんの子どもたちが来て、楽しんでくれました。また、地元紙の取材もあり、私は留学生として紹介されました。私は一言もお天気のことを話さなかったにもかかわらず、新聞には、「Sakurakoは雨の日は折り紙を博物館で教えるのに良い日だと言っている」と少し大げさに書かれていました。この文学祭により、ノルウェーの視点で日本の文化を見ることができてなかなか面白い4日間となりました。

10月も後半になると雪がたくさん降るよトラクターは必需品うになり、雪が積もると
ホストマザーがトラクターで雪かきをしました。東京では経験できないほど、たくさん雪遊びをすることが出来てとても楽しかったです。この齢になって雪だるまもたくさん作ることができました。

27日にはとてもきれいな虹が出ました。ノルウェーでも珍しいことのようで、その日の夜のテレビのニュースの時間でも紹介されました。虹を見られなかった家族に写真を見せたら「素晴らしい!」と言っていました。

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11月-Nobember-

「忙しい日々」

だんだん気温も下がり、中ごろから極夜が始まりました。太陽は出なくても、空は正午には水色になることは意外でした。それでも日に日に日が短くなっていき、それに連れて忙しい日々となりました。

KFUK・KFUMの合唱団の活動として1月のテレビ番組(Apen himmel-開かれた天国)に出演することとなり、4日に録画撮りをしました。NRK(ノルウェー放送協会)の撮影班が北極教会を訪れ、たくさんの機材を組み合わせ、その大きさに驚きました。このようなテレビ番組に参加するのは初めてでしたので、とても良い経験となりました。FUGLとはノルウェー語で「鳥」のこと

11月15日には地域の小学校で折り紙を教えることになりました。4年生25名クラスを2クラス教えました。最初に練習として3回折るだけでできる犬の顔を作り、次に尾を引っ張ると羽ばたく鳥を折りました。本当に単純な犬の顔だけでもとても喜ばれ、たいへん嬉しく思いました。鳥は短い時間の中で一生懸命折ったという達成感を得られたと思います。
お土産に折り紙のバラと折り図を作って持参したところとても喜ばれ、また、びっくりされました。家族会議帰りのバスでもたくさんの子どもたちにもっと教えてとせがまれ、折り紙に興味を持ってもらえたことが本当に良かったと思いました。
6月に私のことを覚えていてくれた女の子とバスで出会い「何か折り紙教えて」と声をかけられ、とても嬉しく、その後すぐに帰国したので、もう一度その小学校で教える機会が欲しかったと思いました。

11月は、Nissehelga(ホストファミリーの企画により毎年12月の第一土曜日と日曜日に開催する行手作りキャンディ事)の準備に追われる日々でした。ここで販売するキャンディーやお菓子を作りました。キャンディー作りは熱いうちに形を整えていく作業があり、初めての私には至難の業でした。イベントの企画について家族みんなで回を重ねて話し合いました。
Nissehelgaについては12月のエッセイでご紹介します。お楽しみに。

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12月-Desember-

「充実した12月」

nisse2日、3日は待ちに待ったFjøsnissehelga。これは北欧でNisseと呼ばれているサンタに関わる行事で、私のホストファミリーが主催しています。毎年12月の最初の土日に開かれます。ここでは、Syngenisse(歌ニッセ)がテントで歌ったり、家畜小屋でGrøtnisse(お粥ニッセ)と一緒にお粥を食べたり、カフェでワッフェルやお粥を食べたり、家畜小屋のNisseが住んでいるといわれる屋根裏をのぞいたり、犬ぞりや馬車に乗ったりすることもできます。またNissepost(ニッセ郵便局)でニッセから葉書と切手を買ツリーの下にプレゼントを置いておきますってそれを投函出来たり、お店でクリスマスグッズやお菓子を買ったりすることが出来ます。
私は入場料(乳児以外は誰でも一人50クローネ)を受け取る係と家畜小屋の屋根裏をのぞくことの出来るリフトの操作の係をしました。11月からほとんど雪が降らず、残念ながら当日も雨でした。それでも2日間で3000人以上(除、乳児)のお客様を迎えることが出来ました。

思いもかけず、医療制度の充実したノルウェーの病院に入院することとなりました。実は私は生まれてから留学前まで予防接種と軽い怪我でしか病院にお世話になったことがなかったので、とても楽しみなこととなりました。10月の初め辺りから身体中に発疹が見られ、4人のお医者様に診ていただいた結果、病院の個室2ヶ月待ちでトロムソ大学付属病院で治療することになったのです。それまで、4人の先生の仰ることは全員違いました。入院費は全て国の負担なので安心でした。
病院内には24時間自由に利用の出来る食堂のようなコーナーがあり、数種類の紅茶のティーバッグ、ケーキやクッキー、ハムやチーズ、マヨネーズ、ジャム、バター、ヨーグルト、果物などが何でも揃っていました。たまにワッフルも置いてありました。そこには大きく「患者のみ!」と書かれていました。下着上下も貸与されました。私の病院の食事病室は2人部屋でしたが、前半は一人で過ごし、朝食・昼食は自分でパンやハムなど、夕食はハンバーグやポテトなどをいただきました。一週間の入院で発疹もだんだんきれいになっていきました。

入院する前日にアジアレストランで日本食をいただきました。私はお寿司と天ぷら、日本そばのセットを注文しました。日本そばという名の麺は、焼きそばでもないのに、なぜか油がギトギトしている不思議な食べ物でした。天ぷらが一番美味しかったです。

学校は20日で終わりましたが、朝、全員体育館に集合するようにいわれていたので、日本のように終業式があるのかな?と思って行ってみると式はありませんでした。自由に席に着くと、レーズンパンとbrus(ジュース)が配られました。そして生徒の司会でクイズのようなものが始まり、次いで先生による寸劇(生徒の学校生活の様子)とダンスを見て、いつの間にか終わってしまいました。

楽しみにしていたクリスマスがあっという間にやってきました。24日は祖母の家でお昼頃からテーブルの準備をして、親戚一同が集まって夕食を共にしました。乾杯の前にノルウェー語、英語、スペイン語、日本語の4人で「きよしこの夜」を合唱しました。豚ばら肉のオーブン焼きクリスマス料理、ribbeがとても美味しかったです。他にもポテトや野菜をいただきました。私はその後既に嫁いでいる姉の家に出かけて、帰宅後みんなでツリーの下に置かれたクリスマスプレゼントを開けました。集まった人数が多かったので、一人当たりのプレゼント数も多く、配るのにとても時間がかかりましたが、とてもわくわくしました。私はお箸と手作りのノルウェー語日本語辞書と折り紙の玖珠球をプレゼントしました。クリスマスの食卓
25日も集まって食事をしました。ここで私のプレゼントしたお箸を使っていただこうと、五目寿司を作りました。ほとんどの方には挑戦していただけたのですが、結果的にはフォークを使っていたようです。その日は翌日の朝4時半まで従兄弟がプレゼントされたNintendo Wiiでずっと遊び続けました。
26日は家族だけでクリスマスをお祝いして、27日は私の家に親戚が集まってお祝いしました。その後従兄弟と新しい”Spillet om Tromsø”で遊びました。これは人生ゲームのようなもので、お金でTromsøにある様々なお店を売り買いしていくゲームです。最も高いのはTromsø市でした。
28日は街に出かけてクリスマス後のクリスマス用品セールに行ってみました。人はまだほとんどいませんでしたが、多くのものを半額で買うことが出来て嬉しかったです。クリスマス前にかわいいと思って買ったものもあり、とても残念でした。その後、大晦日に使う打ち上げ花火をたくさん買いましたが、日本ではあまり花火はあげないので少し不思議に思いました。

大晦日から元旦にかけてのことは1月のエッセイに書こうと思います。

12月は出来事が多くたいへん充実していました。

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1月-Januar-

「年間留学早くも折り返し」
新年のお祝いは一大イベント
大晦日(Nyttårsaften)では、夕方から親戚と隣に住んでいる人たちが集まり、美味しいお料理を沢山いただきました。23時ごろから打ち上げ花火を始めました。花火は先日買ったものですが、かなり本格的で驚きました。もちろん打ち上げ花火のほかに手持ち花火でも遊びました。0時ちょうどにみんなで”Godt nytt år!!”(あけましておめでとう)と言い、新年をお祝いした後、ワインやビール、Julebrusなどを飲みつつ朝の7時半頃まで語り合いました。
それからベッドに入り、12時半に起きて13時半から始まる毎年恒例のFISノルディックスキー世界選手権をテレビで見ました。当日は風が強く、途中で中止になりましたが、ノルウェー人のAnders Jacobsenが1位で、日本人の葛西紀明選手が3位に入賞したので、親戚の皆で喜びました。
お寿司はノルウェーでも流行
5日はホストファザーが得意な握りずしを作ってくださいました。サーモンがとても美味しく、さすがノルウェーだと思いました。インスタントのお味噌汁には、なんと森永乳業のお豆腐が使われていました。「千と千尋の神隠し」を見ながらのお食事でしたが、何箱も買ったJulebrusも飲みました。

ずっと楽しみにしていた11月に収録したテレビ番組が7日に放映されました。しかし、私は見られなかったので、ホストマザーがテレビ局に頼んでDVDを送っていただきました。

16日から21日までトロムソ国際映画祭が開かれました。私は18日にAFSの支部活動で”USA MOT AL-ARIAN”(アメリカ対アル・アリアン)を見ました。これはドキュメンタリー映画で、有名なものではありませんが、この映画祭の特徴は、過去の映画や、マイナーなものなど、通常なかなか見る機会の無い作品を見ることが出来ることです。日本のものは、「となりのトトロ」がありました。
海の交通手段
20日と21日はKFUK・KFUMの行事がFinnsnesで行われ、私はHurtigbåtに乗って行きました。北ノルウェーのメンバー同士の交流を深めることが目的のようでした。「寝てはいけない」というルールがあり、皆、朝まで徹夜で過ごしました。バレーボールやSINGSTAR(カラオケソフト)などで遊び、各聖歌隊の合唱やコンサートを聞きました。帰りはHurtigbåtより安いバスで帰ってきました。楽しかったです。

今月は特に大きな行事もありませんでしたが、気が付いてみると、ノルウェーにいられる時間も折り返しを迎えていました。

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2月-Februar-

「帰ってきた太陽」

そういえば、1月の初めにテレビで「なぜ日本人はオーロラを見るためにTromsøに来るのか」という番組を放送したようで、ホテルに泊まっていた数名の日本人観光客が取材を受けたと聞きました。また、それを研究している大学教授もいるそうです。トロムソ大学博物館にはオーロラに関するパンフレットが置いてあるのですが、それが日本語しかなかったことにも驚かされました。

TINE Meierietさて、1月29日(月)から2月2日(金)はAFSのSA-ukaでした。これは、学校に行く代わりに働こうという一週間なのですが、私は5日間のうち3日間を大手乳業のTINEで働くことにしました。30日火曜日は製品を積んだトラックでTromsøのスーパーマーケットを周り、陳列作業をしました。31日水曜日はmeieriet(工場)に行って、午前中はそこで製品を各配達場所に仕分けをして、午後は喫茶店や、会社の事務所、食堂やホテルにトラックで運びました。1日木曜日はトロムソから車で1時間半ほど乗った所にあるStorsteinnesにある、Brunost, Nøkkelost, Balsfjordなどを作っているチーズ工場に行きました。Brunostは固まる前のものが柔らかく、美味しかったです。もちろん固まったあとのものも美味しいですが。Nøkkelostにクミンを入れるのも手伝いました。自分が作ったものが北ノルウェー中の食卓に運ばれる、というのがなんとも不思議に思えました。作りたてのチーズはすぐには出荷せず、何日も工場で寝かせます。そうした方が美味しくなるそうです。29日と2日は職を見つけられなかったので、家で農場の仕事を手伝いました。

9日から11日はAFSの中間オリエンテーションに参加しました。どの人もみんなノルウェー語が上手になっていてびっくりしました。ホストファミリーのこと、学校生活のこと、同じ北でもいろいろな家庭や学校があって、情報交換はとても楽しかったです。日本の私が住んでいる辺りではなかなか出来ない雪遊びを沢山できて楽しかったです。それ雪遊びでも留学生活がもうあと半分ないことを実感させられた行事となりました。

13日は、Tromsøに太陽が戻ってきた、ということで、11時45分で授業は終わりました。テレビが学校の中の数ヶ所においてあるのですが、ここには、「太陽が戻ってきたことを祝います――そして今日の11時45分から授業はおやすみです!」というようなことが書かれています。太陽が戻ってきただけで、授業がなくなるなんて日本では考えられないことです。とても驚きました。

魚釣り18日はBalsfjordの氷に穴を開けて魚釣りをしました。私と一緒に留学していた友だちが数日間私のホストファミリーに泊まったので、その友達も一緒に行ったのですが、足がとても寒かったです。地面はもちろん氷で、その上に毛皮を敷いていたのですが、それでも、かじかんで大変でした。それにもかかわらず、魚は一匹も釣れませんでした。残念でしたが、貴重な経験ができて良かったです。

長いと思った極夜も終わってしまうと寂しく感じられました。


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2月-Februar-
ポースケエッグ
予想と違った演劇履修

3月といえばPåske(ポースケ・復活祭)です。街ではクリスマスほどではないものの、イースターグッズが沢山売られていました。かわいいひよこのオブジェ、ドイツ製だけれどもかわいい卵形の紙製の小物入れ、Påskeegg、などなど、雑貨屋さん全体が卵色に染まっているようでした。
お菓子もマジパンやチョコレートがいろいろありましたが、その中でも「Påskeegg」という名前のお菓子が目立っていました。これは紙製の卵ケースに4つの卵形の中にクリームの入ったチョコレートが入っています。美味しかったです。私の家ではあまりお祝いはしませんでしたが、お祝いをする家庭もあるようです。

11日は1ヶ月程前に免許を取った従姉妹の運転する車に乗って2時間ほど南のSørreisaに住むその従姉妹のおじいさまを訪ねました。途中、軍隊の防衛訓練の中を通り抜け、多くの戦車に遇いました。
日本ではあまり車に乗ったことがなく、ノルウェーでは度々乗ることが出来るのでドライブはとても楽しいです。みんなでずっと歌を歌っておしゃべりをしてお菓子を食べていました。日本の歌も知られていました。


13日から18日まで学校の劇の公演を近くのホールで行いました。
1月から演劇の授業をとっていた有志が練習、準備してきました。最初私は演劇の授業をとった人全員が演じるのかと思っていたのですがそうではなく、様々な役割を担当し、一つの会を開くものでした。出演者、演奏者、音響・照明係、メイク・衣装係、録画係、広報、チケット販売係、料理係、運転手、売店係など全部で18の係があり、私は料理係と売店係をしました。料理係というの公演の様子は、毎日遅くまで練習をするため、夜食を作って売る係です。売店では、観客に、お菓子や飲み物を売りました。入場料は一人60クローネ(約1200円)でしたが、それにも関わらずチケットの予約はあっという間に埋まってしまい、初日から満員御礼でとても驚きました。
また、私は最初長いひとつのお話を演じるのかと思っていたのですが、実際は全部で21編の寸劇や踊り、歌などを披露するものでした。一人が1つの出し物に出演するのではなく、平均して5つほどの出し物に出演していました。初日は1回、後の日は一日2回ずつ、全部で11回公演されました。


23日は前々から計画していた家での握り鮨作りをしました。サーモン、イクラ、鮪、烏賊、海老などの材料費だけで8000円くらいかかったように思います。それなのに日本とは勝手が違い、いろいろ手間取り烏賊は結局使いませんでした。4時間ほどかかったと思います。そのため出来上がったのは夜11時半くらいでした。みんな美味しいと仰ってくださったのでとても嬉しかったです。一番美味しかったのはやはりサーモンです。とても脂がのっていました。太巻きも、2色のお花をデザインしてみました。

陽も伸びてきてそれにも関わらず時間の経つのが早く感じられました。帰国までの日数がだんだん少なくなっているということも感じられるようになりました。あと3ヶ月、よろしくお願いいたします。


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4月-April-

「Hurtigrutaとお誕生日」
山の上から見たトロムソの街
4月2日(月)から9日(月)まではPåskeferie(イースター休暇)でたいへん充実した日々を過ごすことができました。土曜日の3月31日から続いてのお休みで実質十連休となりました。

5日は親戚約20名でFjellheisenに乗りました。Tromsøの海抜420mのStorsteinenという山のリフトがそのように呼ばれています。山頂の喫茶店でワッフルを食べたり、戸外ではNorsk Ukeblad(週刊誌の名前)の付録の” 500 Spørsmål for store og små”(「大人と子どものための500の問題」というクイズ小冊子)で質問し合ったり、Kvikk Lunsj(日本で売られているキットカットのオレンジ味)を食べたりしました。

6日は突然に誘われて、車で一時間くらい先にある親戚の友人所有のhytta(別荘)に出かけました。スノースクーターに乗ってたくさん遊びました。エンジンのついたスノースクーターの後ろにロープで2台のそりをつけて丘の上まで引っ張ってもらい、そこからロープをはずして2台のそりはそれぞれもとの場所まで滑ったのですが、初めてだった私は、スノースクーターからそりを外した後なかなか上手に滑ることが出来ず、そりに足を絡めたり、そりから放り出されそりだけを先に行かせてしまったりといろいろ大変でした。その後、内2人は真夜中に出発するHurtigruta(フッティルータ・沿岸急行船)での旅の為に、もう1人は家での留守番のために先に家に戻りました。もうすぐ夢が叶うと思うとそわそわして落ち着きませんでした。
MS Kong Harald 号
7日の午前1時、Hurtigruta、定員691人のMS Kong Harald号は家族・親戚・私の5人を乗せて出帆しました。まずラウンジで飲み物を飲みました。その後しばらく船内を見学したあとキャビンで眠りました。翌朝目を覚ますととてもよいお天気でした。バイキング形式の朝ごはんを済ませた後、再び船内のいろいろなところを見学しました。デッキでは日向ぼっこをしながら本を読んでいる人やお昼寝をしている人Kong Harald号のラウンジがいました。船の上から見る外の景色は格別でとても美しく、いつまでも乗っていたいと思わせるほどでした。船内では手紙を書いたり宿題をしたりして過ごしました。遊ぶための施設もいくつかあり、3歳の従兄弟とボールプール、滑り台で楽しみました。
途中立ち寄ったStokmarknesではHurtigrutemuseet(フッティルータ博物館)に行ってみました。Hurtigrutaの歴史を知ったり模型を見たりすることが出来て楽しかったのですがロフォーテン諸島、瞬く間にHurtigrutaが出帆する時間になり、船に戻りました。お昼ごはんはカフェでフライドポテトと魚料理のセットを二人分注文しました。一人分がとても少なかったのです。
Lofotenに着いたのは17時50分頃でしたが、土曜日だったためお店はほとんど閉まっていて、Bacalaoのお店も見つけることが出来ず、やっと一軒見つけたレストランでポテトチップスを食べました。Lofotenで獲れたてのお魚を食べたかったのにと少し残念でしたが、山羊の頭の形をした岩をはじめとする自然をたMS Finnmarken号くさん見ることができたことはよかったです。
北方面のMS Finnmarken号が入港するまでの間をレストランで過ごし、乗船してから簡単に夜ご飯をすませました。船は2002年型で、1993年型のKong Harald号とはだいぶ違いました。定員1000名で、キャビンはあまり変わらないものの、ラウンジが先頭にあり、たくさんの人が気持ちよさそうに泳いでいるプールもありました。とても残念なことに天候に恵まれず雨と霧で、昼間だったにも関わらず船から私の家を臨むことができませんでした。けれども想い出深いとても素敵な一日半の旅でした。今回の留学中にHurtigrutaに乗れるとは思っていなかったので最高に嬉しかったです。さらに嬉しいことには何匹もの生まれたばかりの子山羊たちが家畜小屋にいて私たちの帰宅を待っていました。

子山羊中旬は家で飼っている山羊がたくさん出産しました。それまで100匹ほどでしたが150匹くらいまでに増えました。生まれたてはとても小さいのに、日々みるみる大きくなってしまうのに驚きました。

21日はAFSの活動で、またFjellheisenに乗りました。この時は頂上でたくさんそりすべりを楽しみました。喫茶店でワッフルを食べた後、男の子はリフトで、女の子はそりに乗って下山しました。道の出来ていない木の生い茂った急斜面を降りていったので、スピードを出すとコントロールが出来なくなり、すぐに木にぶつかりました。一人の留学生は捻挫をしてしまい、とても痛そうでした。私はあまり痛い思いはしなかったものの、何回も木にぶつかりとても怖かったです。なんとか街まで下りてこられてよかったです。

Kake28日は私の18歳のお誕生日で、この歳はノルウェーでは成人するというある意味大きなお誕生日でした。学校の友だち1人を含めて総勢約40人がお祝いに集まってくださいました。おそらく今までの人生で一番多い人数だと思います。Orret(トラウト)を6尾用意し、ケーキも4種類ほど作っていただきました。人数が多いといろいろな種類のケーキをいただくことが出来るのでとてもうれしいことです。日の丸を掲揚していただき途中からSyngenisseも登場し、”På låven sitter nissen med sin jule grøt”と“Troll sang”と“Hurra for deg” を歌ってお祝いしてくださいました。また、新聞2紙(NordlysとTromsø)の、その日の出来事やお誕生日の人が載るページに私へのメッセージが届いていてびっくりするほどとても嬉しかったです。この日のすべては一年間の留学の中でも一番印象深い行事の一つとなりました。

4月も楽しいことがいっぱいであっという間に終わってしまいました。


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5月-Mai-

「ノルウェーらしさ満喫」
オールを模ったくじ
1日はメーデーのため、各地でloppemarked(蚤の市)が行われました。私は日本でメーデーにちなんだ行事に参加したことがなかったので驚きました。家の近くでも行われ、家族はそのお手伝いをしていました。昼食の時にくじを買いました。これは船のオールの形をしていて、一枚に5つの連なった番号が記入されています。当たりの番号はいくつかあって、その5つの番号の中に当たりがあると景品と交換できます。

日本では全く乗ったことのなかった自転車の練習を始めました。思ったよりも難しく、足を地面から離すとすぐに倒れてしまうので大変でした。家の前の田んぼに沿った道が緩やかな坂になっているので、そこで自転車を漕がずに下っていく練習をしました。それからは毎日ホストシスターや9歳の従兄弟達が練習に付き合って親切に教えてくれました。
対岸が家です。まだ明るい!
8日の23時半頃に、ホストマザーがフィヨルドの反対側から家を見にドライブに行こうと声を掛けてくれました。翌日にテストがあったため勉強をしたくもあり、天気もあまり良くなかったのですが、私はここに来た時から反対側に行ってみたいと言っていたので、その願いが叶ってよかったです。途中のガソリンスタンドでお菓子やホットドッグ、紅茶などを買って、一時間半くらい乗りました。家とその反対側の岸を結ぶ一番の近道でも、街のあるトロムソ島を通過しないといけないので時間がかかるのです。向こう岸についたのは1時少し前でしたが、それでも空はずっとほんのり明るく、日本の夕方のような感じでした。残念ながら家を見つけるのには少し暗かったようで判別できなかったのですが、それでもとても嬉しかったです。
山道を道路に下る
自転車にもだいぶ乗れるようになった13日には、9歳の従兄弟達とその友達と一緒にサイクリングに出かけました。途中、道路沿いの山に湧き水を見つけたので、その水を飲むことにしました。けれども、道路からは手が届かないところなので、片隅に自転車を止めて、道の無いかなり急な坂を、枝を頼りに登っていきました。喉を潤した後、道路へと下ったのですが、私が怖がったため、みんなを待たせてしまいました。そこはかなり車がスピードを出して走る場所だったので、事故が起きなくてホッとしました。それにしてもとてもすがすがしい天気の中、自転車を走らせるのは本当に気持ちが良かったです。
TILKAMP
16日は以前から観戦してみたかったTILKAMPに行きました。TILというのは、Tromsø Idrettslagの略で、地元のサッカーチームです。7764人の観客の中、AkershusのLillestrømとの対戦で、見事2対1で勝利を収め、とても嬉しかったです。前日の15日までは何日も快晴が続いていたのにこの日は雨が降ってしまい、その後の予報も雨でとても残念でした。

17.maiずっと楽しみにしていた17.maiはやはり朝から雨でした。私は親戚からブナードを借りて、Tromsøの街に行きました。最初に公立の高校で式典が行われ、国歌である”Ja, vi elsker dette landet”を斉唱しました。
そのあとパレードが行われました。私は参加しませんでしたが、小中学生の従兄弟をはじめとする親戚が何人か列の中にいました。沿道に立った私たちはひたすらノルウェー国旗を振って”Hipp Hipp Hurra!”と叫んでいました。また、いくつかの公民会館のようなところではオードブルやケーキなど、様々なものが振舞われ、子供たちの出し物などを見ながらいただきました。街中がノルウェー国旗で溢れていて、また、多くの屋台が出ていました。一日中とても楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。

20日には15歳の従兄弟のHumanistisk Konfirmasjonが行Konfirmasjonを受ける人たちとクランセカーケわれました。これは、もう子どもではなく大人として生きる、という節目に行われる式典のようです。15歳を越えた人がその対象になるそうで、文化会館に大勢の子供たちが集まりました。その多くの人たちがブナードを着ていて、17.maiと続けてノルウェーの雰囲気を味わうことができました。文化会館では、一人ひとりが名前を呼ばれてバラを手渡されました。その後には有名なアーティストによるコンサートも行われました。家に帰ってからは親戚をはじめとする大勢が一同に集まり、昼食にバカラオを頂き、特別に作詞された歌が歌われたりゲームをしたりしてお祝いをしました。その従兄弟にとっては本当に大きな節目なのだということが分かりました。
サーカス MERANO
21日は従兄弟と叔父さんと一緒にサーカスMERANOを見に行きました。MERANOの見ものは象と中国人の曲芸でした。サーカスに行ったのは初めてで、とても面白く、楽しむことができました。

24日は真夜中の太陽を見に行こうと23時ごろにホストマザーと出かけました。住んでいるところだと、山の陰になって太陽が見えないためです。真夜中の太陽この時も途中のガソリンスタンドでピザやお菓子、パンなどを沢山買っていきました。1時間ほどドライブした後、車の入っていけないところまで歩いていったのにもかかわらず、太陽は山の陰になってしまい、なかなか見ることができませんでした。結局夜の太陽を見たのは1時を回っていました。けれども日本では絶対に出来ない経験をすることが出来たことにとても感激しました。

Senjatrollet27日は、私を含めた親戚17人で車を5台連ねて、Tromsøの南にあるSenjaというところに一日かけてドライブをしました。あいにく天気はあまり良くなかったのですが、フィヨルドを沢山見たり、犬と遊んだり、とても楽しかったです。Senjaには“Senjatrollet”というテーマパークがあり、そこには世界で一番大きいということでギネスブックに登録されているトロルがいます。しかし残念なことに、当日は工事中でその翌日からしか入場することができませんでした。ただ、レストランは営業していたので食事はできました。夜 8 時前の美しい景色メニューは独特なものばかりで、私は何か怖い名前の付いたものを注文しました。すると、トロルの顔がケチャップで描かれたソーセージや、緑色のマッシュポテトなどが出てきました。肝心の最も大きなトロルを真近で見ることはできませんでしたが、お土産屋さんとレストランだけでも十分楽しむことができて良かったです。日が沈まないので、午後3時頃だと思って時計を見た時には、夜の9時頃になっていました。

5月はとても多くの出来事があり、今まで以上に充実していてあっという間に終わってしまいました。帰国まであと一ヶ月ということはなかなか実感できませんでした。


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■著者紹介■

Sakurako

1989年 東京都中央区生まれ。
2006年 8月よりAFSの年間交換留学生としてノルウェーのトロムソに派遣される。
2007年 7月に帰国し、ノルウェー再訪を夢見ながら現在に至る。


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