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留学体験

最初の留学(1995年の8月から1996年6月まで)

留学先:ヴォルダカレッジ(Høyskolen i Volda)文学部

・学んだこと:
 
1年間のコースでノルウェー語と社会科(懐かしい響き!)を勉強しました。対象は外国人です。ノルウェー語の授業では、全くのゼロからスタートしました。文法とテキストを中心とした講義で、半年後には簡単な文学テキストを読みました。
社会科の講義は、ノルウェーの地理・歴史・社会問題などをわかりやすくまとめたテキストを読みました。このコースの試験である程度の点を取ると、ノルウェーの大学で勉強するために必要とされるノルウェー語の資格が得られます。

半年田舎の学校を選んだので、おかげで寮でも学校でもどっぷりノルウェー語生活が送れました。オスロの学生寮では事情が違います。あそこはノルウェー語が話せない・話そうとしない留学生が多いですから。
ヴォルダは、オーレスンから1時間くらいの小さな町です。典型的な西ノルウェーの景色(険しい山と海)に囲まれて、健康的な生活が嫌でも送れます。交通の便が悪い(というより、ほとんどない)ので、頼りになるのは自分の足。たくさん歩き、自転車も活用しました。
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夏の留学
(1997年の6月から8月、1998年7月から8月まで)


・留学先:オスロ大学、インターナショナルサマースクール(ISS)

・学んだこと:

 日本に戻ってからの悩みは、やはりノルウェー語を使う機会が少ないこと。
ただ、長期の留学は難しいので、毎年夏に開講されるサマースクールへ参加することにしました。
1回目のサマースクール(97年夏)では、ノルウェー語レベル4のコースを選びました。レベルは1から4まであり、4が一番高いレベルです。コースは約6週間で講義は毎日、3時間ありました。ヨーロッパからの学生が多かったクラスメートのレベルはとても高く、はっきり言って、「私がこのクラスにいていいのだろうか?」と悩む毎日でした。宿題の量も質も、当時の私にとっては、キツイの一語につきました。読んだテキストは、新聞の文芸評論・コラム、長編・短編小説、詩、エッセイなど分野も様々。絶対落ちると思った試験は、サマーコースということもあって及第しました。
2回目のサマースクールは、98年7月中旬からスタートし、3週間だけの「ノルウェー語セミナー」を選びました。すでに自分の国でノルウェー語を教えている先生が生徒として参加していました。レベル4とは違って、毎日宿題に追われる感じではなかったですが、やはりクラスメートのレベルの高さはすごかったです。講義の内容は、コミュニケーション作りを重視したノルウェー語の教授法、また正書法などについての講義も受けました。筆記試験はなくレポート提出だけでしたが、その時にもらった点があまりに低くショックを受けたことが、次の留学へのきっかけとなりました。
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最近の留学
(1999年の8月から2000年5月まで)


・留学先:オスロ大学文学部言語学学科

・学んだこと:

 夏の短期留学で悪い成績を取ってしまいショック。日本では、語学学校で教えたり、少ないながらも翻訳や通訳の仕事を経験したりしましたが、常に力不足を感じていました。そこで、もう一度、ちゃんと留学して勉強したいと考え、ノルウェー政府奨学生に応募、運良く選ばれました。
選んだ講座名は「外国におけるノルウェー語」(Norsk i utlandet)。母国でノルウェー語を教えたい人、すでに教えている人を対象とした講義で、文学と言語の講義に分かれています。
文学・言語の講義では本当にいろいろなことを学ぶことができ、とても有意義な留学でした。とくに文学史と言語史の概観がわかったことが、大きな収穫です。文学のテキストも、代表的な作品を数多く読みました。当然、ノルマは多かったですが、私はノルマがあって初めて勉強できるタイプなので、良かったです。
レポートやプレゼンテーションも多かったです。大きなレポートでは、ノルウェー語から日本語に翻訳した際に起きる問題点、特に、人称代名詞の取り扱い方について書きました。ノルウェー語では"jeg"と書いてあるだけでも、日本語のテキストには、登場人物に応じて、「僕、わたし、俺、あたし」などに変化しますが、この事実だけでもノルウェー人にとっては驚きなのです。ノルウェー語は日本語に比べ、性差の少ない言語と言えるでしょう。ですから、時にはノルウェー語のオリジナルと日本語の翻訳文、または逆の場合でも、読んでみて印象が違う場合があります。「この登場人物、こんなに女らしかったけ?」
試験は前期と後期にそれぞれ4時間の筆記が2つと口頭試験がありました。4時間って長そうですが、試験中はあっという間に過ぎてしまいます。早く書けないので、いつも焦ってました。何の誇張もなしに「絶対、落第」と確信していましたが、先生のお慈悲により(?)、及第できました。よかった、「税金泥棒」とののしられなくて...!
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■特別参加・体験報告
フォルケヘイスコーレへの留学
(2000年8月から2001年5月まで) 
 
J.K.

私は、ノルウェーの首都オスロから北西へ約570Kmの町(村?)のオシュタ(Ørsta)にあるモーレ・フォルケヘイスコーレ(Møre Folkehøyskole)に、約1年間留学をしました。

「フォルケヘイスコーレ」とは、北欧独特の成人教育機関で、原則として寄宿舎制です。日本では、「国民高等学校」、「市民大学」、「民衆大学」などと訳されていますが、「どれも適切な訳ではない」と私は思ってます。
中でも、「国民高等学校」は論外。日本の戦前の学校を連想させるし、聞いてもどんな学校か全くイメージが湧きません。「市民大学」はまだましです、やはり日本で言う「市民大学」とは異なります。となると、「民衆大学」が最も適した訳では...と思います、敢えてムリに訳さないほうがいいのかもしれません。

「フォルケヘイスコーレ」とは、日本で言う高校程度の教育を終えた後の、「更なる教育を受けるための短大」といったような、説明がよくされます。
「更なる」教育といっても「実学」ではなく、文化・教養など人間的な成長に役立つ教育です。この学校に試験はありませんが、90%以上の出席日数が学校の修了に必要とされます。

私の通ったフォルケヘイスコーレでは、声楽・音楽学科、テレビ・映像学科、アウトドア学科、そして留学生・移民を対象として、主にノルウェー語・文化を教える国際学科があります。
それぞれの学科で専門科目がありますが、共通課目としては、体育、コーラスや現代の(世界の)社会問題を取り上げ、それについて考えるような課目もあります。
あとそれぞれの学科ごとに年2回位の割合で、何か出し物をしなければなりません(これは余興みたいなものですが、必修)。
選択課目としては、写真、陶芸、スキー、スノーボード、バレーボール、クライミング、心身障害者に対する奉仕活動、ロック物語(色々なロック音楽をその背景とともに紹介、説明)、演劇、あとなぜだがテコンドーまでありました。

こんな学校でしたが、試験がなく、校則も特になく、厳しさは感じられなかったです。
だからのんびりと、心の洗濯といった感じで過ごせました。先生方も皆気さくで友達のようでした。ノルウェー語では、特に英語ほど敬語を使わず、先生といえどもファーストネームで呼ぶのでなおさらです。

私もそうでしたが、北欧が大好きで、特に文化・習慣を学びたいと思っている人や、また人生に疲れて、もう1度自分を見つめなおしたい人には、フォルケヘイスコーレは最適でしょう。
私は、この学校に留学できて、本当に良かったと思っています。



著者紹介
J.K.
1972年島根県松江市生まれ
本では武田龍夫著「スウェーデンの青い鳥」、音楽ではEdvard Grieg, abba, a-ha, roxetteなどにより影響を受けて、北欧にはまり、大分大学在学中に北欧を三度放浪。
卒業後約4年間の会社勤務を経て
ノルウェーへ約1年間留学
帰国し現在に至る。

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■特別参加・体験報告
オスロ大学サマースクール(ISS)に参加して(2001年6月から8月まで)
 
N.M

旅行で2度訪れたノルウェーに、しばらく滞在し、ノルウェー語も覚えてみたくなりました。
インターネットで見つけたオスロ大学のサマースクール
6週間も休みは取れないので、思い切って仕事を辞め、気づいたら、ブリンデルン(Blindern)の学生寮に立っていました。
出発前の不安は山積み。英語の語学証明を、大学恩師の推薦状でごまかしたため、意思疎通に必要な英語力が、中学生レベルであったこと、大学卒業後社会に出て5年、学生の皆さんと寮生活をやっていけるかどうか、など期待よりも、不安の中での出発であった事を覚えています。

寮生活についての不安は、受付で鍵を渡され部屋に入った途端、9割方解消されました。
私のルームメイトは、シェフの仕事を辞めて、ニューヨークからやってきた29歳のアメリカ人。同じような年頃、そして社会人の存在にほっとしました。
つたない英語を詫び、ノルウェー語の授業後、どこか英会話学校に通うつもりという私に、「私とたくさん会話することで、英語の勉強にしなさい」と言ってくれました。
2日後くらいに、共同でシャワーを使うことになるお隣さんが、ベルギーからやってきました。彼女は高校卒業後、社会に出たものの、向学心が強く、今は大学で勉強していて、もうすぐ28歳ということで同い年。シャワーでつながれた二つの部屋に住む私達を、“Almost 30’s”と名付けました。

寝る前、隣からシャワールームを横切って、ベルギー人がやってきて、3人で話すことがありました。私は当然聞き役なのですが、理解できないことが多く、ぼーっとしていると、必ず聞かれるのが、「で、あなたの意見は?」
その時の話題が理解できていない、というのが返答できない一番の理由ですが、問題はもう一つあります。
それは、私達日本人が普段、自分の意見を言う機会に恵まれていないということ。特に学生時代は、問題に対する答えばかり求められたものの、意見を授業中や宿題で求められてきませんでした。
日本人は他人に合わせることが、とても上手ですが、それは日本社会の中でうまくやっていく手段であり、海外ではつまらない人と思われても、仕方のないことのようです。

これは、話し合いの場の意見といった、そんな大層なものでなくても、生活のあらゆる場で必要と感じました。
私たちは、お家に招かれた時は、ただひたすら、もてなされるのを待つばかりで、よそのお宅で、私はどのようにしたいか、など主張することはありません。この借りてきた猫状態で、おとなしくしていることは、相手にどうしていいか悩ませてしまうようです。
喉が渇いているのか、お腹がすいているのか、トイレにいきたいのか、何がしたくて、何が今必要なのかを言って欲しいとのこと
日本人の奥ゆかしさだなどと言い訳せず、郷に入れば郷に従えで、希望をはっきりと伝えるべきだと感じました。

その一方で、日本人らしさを忘れたくないと感じることも、多々ありました。
人に対する気遣いです。
すべての日本人が、持ち合わせているわけでも、私自身、完璧な気遣いができるわけでもありません。体調を崩し、起き上がって朝食兼昼食が、食べに行けないルームメイトのために、サンドウィッチを作って机に置いておいた、といった類のことです。
今年のISSにも、数人の日本人の参加者があり、彼らからふとした機会に優しさを頂き、嬉しく思ったことを覚えています。
残念ながら、他の国の方から、心が少し温まるようなそんな心遣いを感じられる機会は、あまりありませんでした。逆に、ルールを無視するわがままな言動が目に付き、インターナショナルスクールなるものに、参加していることに嫌気がさした時期もありました。
事を円滑に運ぶために、ちょっとした気遣いをするわけですが、相手にとっては、好きでやっていると思われて、「あなたはなんて優しい人なの、本当にありがとう」で終わってしまいます。
貧乏くじをひいているかもと思う場面も、多々ありましたが、気遣い、心遣いができて一人前と思われる日本の社会で育ったことは、このような国際的な場での豊かな人間関係の育成に大きく役立つと思いました。

授業に関しては、ただついていくのに精一杯で、質をとやかく言うような状態ではありませんが、私が学生時代受けた語学の授業とは、全く違い、戸惑うことが多かったものの、日本でも取り入れて欲しいと思う内容でした。
3、4人のグループで質問し合ったり、宿題の答え合わせをしたりする、グループワークなるものがほぼ毎日あり、先生の見回りが来ない間は、さぼり気味で、授業内容の遅れの原因と嫌われていました。
生徒同士では、正しい答えが出ず、間違った答えの押し付け合いをしたり、課題と違うことを始めたり、と確かにグループワークの必要性に、疑問を感じたこともありましたが、その一方で、生徒同士共通してわからない部分が見えてきたり、ネイティヴの先生より、わかりやすい説明が得られたり、先生に決められたグループは、普段あまり話をしない生徒同士で、新たな交流になったりとその意義や効果も感じました。
毎日では、だれがちになりそうなので、週に1、2度取り入れると、いわゆるゆとり教育のようになるのではないでしょうか。

コースに対する他の生徒の感想は、「Intensive Courseと書かれているけど、こんな内容、ちっとも、Intensiveじゃないわ」という批判的なものから、「他の語学学校で受けた内容より、数段素晴らしい」という絶賛型まで、同じレベルでもいろいろありました。
パンフレットに、6週間の授業後、日常会話はできるようになると書かれてありましたが、私の場合は、そんなレベルには達しなかったものの、ISS後の旅でノルウェー語を使ってみた時、「本当に6週間か?6ヶ月習ったようだ」と(酔っぱらいに)すごいお世辞を頂いたことが、一度だけありました。過去完了を使ったことに驚いたようです。
基本的に、日本人がノルウェー語を話すこと自体驚きのようで、「私の名前は○○です」と言っただけで、「まあ、彼女はノルウェー語が話せるのね!」と、おばさまのテンションを上げてしまったこともありました。その後は一言も、ノルウェー語を発しませんでしたけど。

恐ろしい田舎でも、英語が通じるノルウェーですから、旅にノルウェー語は必要ありませんが、片言でもノルウェー語を話した時、彼らは本当に喜んでくれますし、数字などは乗り物に乗る時、買い物の時に、知っていると便利だと思います。少しノルウェー語を覚えた後の今回の旅は、楽しさが増しました。

不安だらけの参加でしたが、終わってみれば、単なる語学習得のスクールではなく、充実したカリキュラムやイベント、世界各国から参加した生徒との交流、といったものを通して、国際社会というもの、日本人としてのアイデンティティの重要性、といったことまで考えさせられたかけがえのない学習の場となりました。



著者紹介
N.M
1973年三重県生まれ
地理の授業で習った「フィヨルド」をこの目で見てみたい!と金銭的余裕ができた社会人3年目に初ノルウェー旅行。
同じ年、沿岸急行線からオーロラ観賞を試みるものの,悪天候で見れず。
ノルウェー永住を密かに夢見て、ISS2001、ノルウェー語レベルT受講。

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