2013年夏 オスロところどころ


その4〜グルンネルッカだよ、おっかさん〜

2013年6月15日(土) つづき

いきなり日本語で「先生!」と叫ばれたその声の先を見ると・・・
おお、もう3年も前にノルウェー語教室に通って下さっていた元生徒さんでした。
お名前は柳悠貴子(やなぎゆきこ)さん。
オスロのバレエ学校に留学が決まり、その前にうちに勉強に来て下さっていたのです。
当時はまだ本当に「少女」という面影でしたが、今はすごく堂々と大人びていて驚きました。

柳さん母娘「バレエ学校を卒業して、今夜が卒業公演なんです」と言って、隣にはお母様が微笑んでいます。
さらに素晴らしいことにノルウェー・バレエ団に就職が決ま り、なんとプロのバレエダンサーになるとのこと。
「こちらの学校は本当に誉めて伸ばすという感じで良かったです。日本の学校は厳しいばかりで・・・」
と柳さんは教えてくれました。
実力に裏打ちされた自信が全身から伝わってきます。
「本当に、立派になられて・・・」
と、全然、成長していない老化オンリーのセ ンセイは、嬉しさと誇らしい気持ちで柳さんを見つめました。
すでにオスロのバレエ団には、有名な日本人プリマドンナが活躍されています。
柳さんも、すぐに頭角を表すことは想像がつきました。
頑張ってね〜!
カフェでくつろぐ人々
さてMathallenを出て、トラムに乗ろうと歩いていると、すぐにグルンネルッカ(Grünerløkka)地区にたどり着きました。
19世紀から急激に都市化が進んだオスロ(当時はKristiania)は、アーケル川を挟んで東と西で大きく町が分かれました。
西オスロは資産家、そして東オスロは労働者が住んだのです。
グルンネルッカは典型的な「労働者の街」でした。
言葉づかいも東と西では大きく異なっていた、と言われています。
90年代に入り、グルンネルッカは再開発され、段々とおしゃれなお店やカフェ、レストランができて、流行に敏感な人が住むようになったのです。
なので、日本のガイドブックでもグルンネルッカが今では「オスロのおしゃれスポット」として紹介されていますが・・・。

・・・あくまでも「オスロにしては」おしゃれスポットなのです。
なので東京の人から見れば、「え?この程度?」とがっかりしたという証言は今 まで何度も聞いています。
またグルンネルッカに住んでいる日本人の友達も 「え、ここ?大したことないよ〜」と断言。
私自身も正直、「グルンネルッカ?まぁ、いいんじゃないんですか〜」程度のスタンスだったのですが・・・。

この日は、グルンネルッカの大きな公園に、たくさんの屋台が出て、人々がわらわらと集まっています。
屋台を覗いていると、ベトナム系の女性たちが出しているアジア風の食事が人気でしたね。
また子どもたちが遊べるような「ミニ・チボリ」も出ていて、若い人やお年寄り、ファミリー層と多彩な人たちが、晴れた日、思い思いに楽しんでいる様子が微笑ましかったです。
あと政党のテーブルや、女性団体のコーナーもあり、もう「ごった煮」状態です。
アジア風屋台/ラクリスの屋台!/ミニチボリ

通り沿いのお店で、アロハシャツやレイなどハワイ風のデコレーションをあしらっている屋台が出ていて目立ちました。
さっそく、お店の人をひやかします。
「ノルウェーでハワイって、まだまだメジャーじゃないでしょ?」
「確かにね。でも憧れは強いんだ。」
憧れのハワイ「ノルウェーからハワイ旅行は高いの?」
「高いね。もしあなたの職場で旅行を計画してくれれば・・・」
と料金表を見せようとするので、「ごめん、私は観光客」と断って、写真を撮らせてもらいました。
日本とハワイの関係性って、ノルウェーとグラン・カナリアと同じような感じかもしれません。
ハワイはまだノルウェー人にとっては「ああ〜、憧れのハワイ〜」だということが分かりました。

予定していたより、長い時間、グルンネルッカを歩いて回って、初めて
「グルンネルッカ、楽しいじゃないか!」と思えた記念すべき日でした。
(つづく)



「旅のあれこれ」トップへ戻る
2013年夏オスロところどころ その3へ
2013年夏オスロところどころ その5へ

ホームへ戻る
Home