夢ネット特選インタビュー

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「日本ではノルウェーはマイナーで・・・・」
そんな言葉を良く耳にしますし、実際に口にもするのですが、それでも仕事や趣味、学習などの分野でノルウェー通として活躍されている方々がたくさんいらっしゃいます。
ここではノルウェーに携わる多方面の方々の生の声を、インタビュー形式でご紹介していきたいと思います♪
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ピアニスト安保美希さん(14.03.26)
プロフィール
安保美希(あんぼみき)さん: ピアニスト
1989年 東京都生まれ。
国立音楽大学附属中学校を経て同附属高等学校音楽科を卒業後、2008年~2013年、ノルウェー国立音楽大学にてピアノを学ぶ。
在学中シベリウス音楽院(フィンランド)に留学。
在オスロ・ポーランド大使館ショパン生誕200周年記念コンサート、ノルウェー赤十字社主催日本復興支援チャリティーコンサート、駐日ノルウェー王国大使館でのリサイタル等、日本とノルウェーでコンサート出演多数。
現在は日本の出版社に勤務。
サイト:http://www.mikiambo.com/
インタビュアーはfrosk編集人こと青木順子
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 安保さんは交換留学制度ではなく、自分でノルウェー国立音楽大学を受験されましたが、その時のエピソードを教えていただけますか?
まず、受験の申し込みをした時に、大学側からなかなか返事が来ませんでした。高校を卒業したばかりで英語もほとんど分からず、得られる情報も多くはありませんでした。
仕方ないので、一方的に申込書を送って、それが受理されたかも分からないまま、飛行機のチケットを予約してノルウェーへ向かいました。そうしたら、大学側も「お、来たんだ!」ときょとんとした反応で、こちらもそれを見て驚くといった次第でしたね。
ノルウェー人たちは、“ま、せっかく来たのだから弾いてみる?”というノリで、それは最初のノルウェーショックでした。日本ではなかなかないことだと思います。
ノルウェーらしいエピソードですね。出発前の不安はありましたか?
それほどありませんでしたね。というのも、留学できることが決まるまで、いろいろ紆余曲折があったのです。
音大から“ノルウェー語の能力が足りない”という理由で、フォルケホイスコーレ(注:民間の寄宿舎制学校。主に高校を卒業した生徒が1年間通う)への入学を勧められました。入学金も支払い出発まであと少しという時に、音大から“やっぱり受け入れます”という手紙が届きました。情報収集から申し込み、入試を受けに行って結果が決まるまでがとても長かったので、正直“やっと・・・”という安心の方が大きかったです。
専攻した科のノルウェー人と留学生の比率は?
私はピアノ・パフォーマンス科に籍をおきましたが、ノルウェー人8:留学生2くらいの割合でした。
授業はノルウェー語ですよね。付いていくのは大変だったのでは?
初めのうちは涙目でした(笑)。授業は録音し、パワーポイントは写メで撮っていましたね。それを見た先生が、“It’s learning”という学生がアクセスできるサイトがあるから、そこでスライドを見直すことができると分かり、助かりました。
先生の教え方ですが、日本との違いは何か感じましたか?
ノルウェーは、生徒が主体です。年齢や実力のあるなしは関係なく、お互いに意見をぶつけ合います。日本では、しばしば門下生同志の評価は、先輩か後輩か、実力があるかないかで縛りがあるのとは対照的ですね。
ノルウェーでは、最後まで曲が弾けていない学生でも、それは技術的に不足しているだけであって、表現したいことはあるから、それを意見として言います。そして、そうした学生の意見でも他の学生たちは耳を傾けますね。私はその姿勢に驚きました。
ノルウェーに留学したことは後悔してないですよね?
後悔していません。
ノルウェーに留学して財産だと思うことはなんでしょう?
ノルウェーに音楽留学していた、と言うと“どうしてノルウェー?”と必ず聞かれます。例えば、ウィーンへ音楽留学していたら、そんな質問はきっとされないでしょう。なので、絶えず“どうして自分はここにいるのか?”と自分に問いかけることができました。
他にも、ノルウェーではチャンスを得るのに、年齢や経験はそれほど問われません。日本だったら、知っている人と知らない人だったら、知っている人に仕事を頼むでしょう。ノルウェーはあまりその点は気にしません。
こんなことがありました。
震災後、ノルウェーで日本を支援するために、日本人留学生や日本に関連のあるノルウェー人が街頭募金活動をしました。その時、一緒に募金箱を持って手伝ってくれたノルウェー人から、“近々チャリティーコンサートがあるからコンタクトを取ってみれば?”と勧められ、主催者に連絡してみました。最初はスタッフとして力になれるかなと思っていたのですが、“レコーディングを送って”と言われ、音大生の自分が、ホーコン皇太子の前で演奏することになったのです。
安保さんは学生のうちから、日本でも積極的に一時帰国の際に自分で企画してコンサートを行っていましたよね。
ノルウェー人というと、普段は練習も長い時間やらない人が多くて、“のんびりしている”という印象を受けます。
でも、何か個人で責任を持ってやるときは、すごく動きます。誰かに見られているから動くというより、自分の判断や意志、そして責任で動くのです。そうした姿勢に私は無意識に影響を受け、自分から動くようになったのかもしれません。
ノルウェーやノルウェー人相手で辛かったことはありますか?
実力主義というよりは、みんなに機会が平等に与えられるので、バリバリやりたい人には不満がたまるかもしれません。授業中なかなか挙手できない学生に対しても先生が“あなたはどう思う?”と尋ねてきます。
また、ノルウェーは人口が少ないので、どうしても人脈やコネが強く働き、実力がない人でもチャンスを得られることがあります。それが肌に合わないと感じる人もいるかもしれません。
安保さんはフィンランドにも留学していますが、ノルウェーとフィンランドと似ているところ、違うところは?
その質問よく受けるのですが・・・(笑)。両国とも文化的に豊かですよね。
日本の方が大きくて立派な施設がたくさん揃っていますが、企画・発信する側から一方的に提供されているように感じます。それに比べて、ノルウェーやフィンランドでは、コンサートホール、美術館、様々なイベントへ、人々は贅沢な行為ではなく、気軽に足を運びます。文化は生活の一部に組み込まれている印象ですね。
国民性の比較では、フィンランド人の方が外国人に一定の距離感を持っていて、引くべきところで一線を引いているイメージです。ノルウェー人はもっとオープンですね。
安保さんは大学卒業後、ノルウェーに残る道があったと思うのですが、日本に戻ってきて就職された理由は?
そうですね。ノルウェーに残ることもできましたし、選択肢は限られるのでなんとなく想像することができました。一方、日本に帰ること・就職することは、想像することが出来ませんでしたし、日本での将来は全くの未知数だと思い、敢えて帰国する選択をしました。
ノルウェー、フィンランドの留学を終えて帰国され、逆カルチャーショックはありましたか?
帰国したのは夏でした。ちょうど“グローバル採用”のタイミングで、帰国子女や留学経験のある学生、日本へ留学で来ている外国人もたくさんいました。そうした学生たち=“アグレッシブな人材“と決めつけられている感じで、そういうステレオタイプな考え方は、本当の意味でグローバルではないのでは、と少し疑問に思った記憶があります。
ノルウェーへ音楽留学する日本人は増えています。これから音楽留学したい、と考えている人へアドバイスはありますか?
ノルウェーは、いろいろな物が豊富に用意されて揃っている国ではありません。ただ待っているのではなく、自分でゼロから1へできる人に機会があります。
ノルウェーへの留学を決心したことで満足するのではなく、行った先でどんどん可能性を切り拓いてほしいですね。自分で実際に“見る、聞く”という姿勢。“見える、聞こえる”という受け身ではもったいないです。
ノルウェーはひとりひとりが考えるスペースがあり、精神的な余裕があります。
それをぜひ生かして下さい。
今後の安保さんの夢は?
北欧にいたことが過去や経歴にとどまらず、これからに生かせるように、繋げていきたいと思っています。
今日は長時間ありがとうございました!
緊急告知です♪
安保さんは以下のイベントに参加されますので、この機会に彼女たちのパフォーマンスに触れてみませんか?
ぜひ、多くの方に足を運んでいただければ幸いです。
「ART CROSS-BORDER 第二回」
安保 美希 × 猪俣 昌也 × 絹川 明奈 (ピアノ、タップダンス、コンテンポラリーダンス)
-「音、そして体による再表現」-
日時:2014年4月5日(土) 13時半開場 14時開演
場所:公園通りクラシックス
東京都渋谷区宇田川町19-5東京山手教会B1F
入場料:2000円 (予約優先)
※本イベントに関するお問い合わせは
artcross.border@gmail.com
(担当:佐々木)まで
■インタビューを終えて
安保さんは、留学前に私のノルウェー語教室に通って下さり、その時はまだ19歳くらいだったと思いますが、とてもしっかりした人だなぁと印象がありました。
その後の安保さんの積極性は、目を見張るものがあり、元生徒さんの活躍はとても刺激になります。今後、安保さんがどんなことをしてくれるか、楽しみです♪
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アクアビットジャパン 取締役 福北桂子さん(13.06.15)
プロフィール
福北 桂子(ふくきた・けいこ)さん: アクアビットジャパン 取締役
アクアビットジャパンは北欧の雑貨や食品を扱う老舗ショップです。
いつもはオンラインショップでお世話になっている会社ですが、いったいどんな方が運営しているのでしょう。
麻布にあるオフィス兼店舗にお邪魔して、お話を伺ってみました。
インタビューはfrosk編集人 を中心に、Yoko@管理人 同席で実施しました。
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そもそも福北さんが北欧と関わるきっかけは何だったのでしょうか?
 父がノルウェーに単身赴任をしていました。
私は休みを利用して遊びに行っていましたね。夏にフィヨルド観光をしました。
私の母は専業主婦でしたが、あちらの女性は強くて、まさに”男女平等“だな、と感じましたね。
そうだったんですね。
大学を卒業し、証券会社に就職しました。当時はまだバブルの頃でしたね。
典型的な“女子社員”扱いで、そんな状況に物足りなさを感じて、通訳・翻訳の勉強をするために語学の専門学校に通い始めました。
結局、会社は3年で辞めて、フリーで通訳・翻訳の仕事を始めたんです。
何か私の経歴ともかぶる感じがします(苦笑)。
その頃、二人の若いノルウェー人男性と知り合いました。
彼らはまだ日本には珍しかったサーモンの売り込みをしようと日本に事務所を作ろうとしていました。
すごくバイキングスピリッツにあふれたノルウェー人でしたね。
今はそんなにガッツのあるノルウェー人はいませんね~。
ですよね。ノルウェーはもうお金があって豊かだから、働かなくてもいいって感じになっちゃって(笑)。
私はそのノルウェー人たちに翻訳の手伝いなどを頼まれ、築地のオフィスに顔を出すようになりました。
“もっと手伝ってくれないか?”と巻き込まれていく感じで、日本人は体験できないような仕事ができて面白かったです。
それから、当時あったスウェーデンセンターの1階の北欧系フードショップが売りに出されたんです。そこの権利をそのノルウェー人が買い取り、その際に日本人スタッフも必要ということで、私がサーモンの輸入や店の管理などの仕事を任されました。
それは大体、いつ頃のことでしょうか?
90年代から2000年頃まででした。
お店で働く間に、北欧5か国の人たちと人脈・ネットワークを作ることができましたね。北欧業界にどっぷりとなりましたが、居心地がよかったです。
そして2001年にこのアクアビットジャパンを設立しました。
御社は北欧展があるとよく出展なさっていますが、ノルウェーの商品って他の北欧諸国より少ない気がして寂しいのですが。
そうなんですよね。特にノルウェーの雑貨は、肝心のノルウェー人が少量のロットだと販売してくれなかったりして仕入れが大変なんですよ。
あと最近はともかくフィンランドの人気が高くて、次にスウェーデン、デンマークが続くという感じでしょうか。
北欧展で手ごたえを感じる物は何でしょうか?
圧倒的に“ムーミン”ですね。いろいろと商品化もされていて、ダントツの人気です。
北欧展の客層は昔と今では違いますか?
全然、違いますね。
昔は、どちらかというとマニアの人が多くて、年配で金銭的に余裕がある人が足を運んでくださっていました。
今は若い方々が目立ちますね。
やっぱり「かもめ食堂」がきっかけでしょうか?
だと思いますね。あの映画は、若い人が興味を持つターニングポイントだったと思います。
昔はフィンランドやフィンランド人って目立たず、おとなしいイメージでしたが、今のフィンランドのビジネスマンはとても明るいです。デザイン立国にしようと頑張っていますね。
そうしたブームのせいでしょうか、北欧ショップは増えましたね。
本当に増えました。ただ食材まで扱っているうちのようなお店は少ないですね。
福北さんは、そもそも北欧業界に入るきっかけがノルウェー人ということで、何かノルウェーやノルウェー人に思い入れはありますか?
そうですね、ノルウェー人は前向き、実直で質実剛健なイメージです。体裁や見てくれは気にしません。
以前、DMを発送する際に、ミスがあって中身を変えて発送することになりました。その時、一度開け、ビリビリになった封筒をそのまま送ろうとするので驚きました。“中身が良ければいいだろう”という理屈のようで・・・。
ギフトボックスの中が混乱していても、平気で送ろうとするのをやめさせたこともありました。
あとカラオケが異常に好きですよね~。上手な日本語で延々歌っちゃって・・・
すご~く分かります!
では、御社のメイン商品は何でしょうか?
うちは“食”がメインなので、実は一番の人気商品は、ノルウェーサーモンなんですよ。
うちのサーモンは、ノルウェーの工場からワンフローズンで到着しています。
他に、ノルウェーのゴートチーズ(注:ヤギのチーズ)もよく売れます。在日ノルウェー人の方がわざわざ買いにみえますよ。
ゴートチーズは彼らの必需品ですからね。
では、御社のこだわりについて教えていただけますか?
“食”のこだわりですね。
1か月に1回でもいいから、ちょっとぜいたくで美味しい物を召し上がって頂きたいと思っています。
まだ日本ではあまりなじみのないペッパースモークサーモンの紹介もしていますし、ライ麦食品などは安心・安全で体に良いですよ。
そして“食”を彩る飾りつけの器も扱っています。
雑貨はお土産のニーズが高いですね。他店では扱っていないデザインの商品を販売するよう心がけています。
私はノルウェーの甘エビを御社から買って、シュリンプパーティを何度もやりました。
シュリンプパーティって手間がかからなくて、それでおしゃべりをして時間が長く持つからいいですよね。
福北さんは北欧5か国とつながりがある、ということでそれぞれの国民性を教えてくれませんか?
まずスウェーデン人は?
あれ、どこまで言っちゃっていいのかしら・・・。ぶっちゃけでもいいのかなぁ。
うちは「ぶっちゃけ」がウリなので、お願いします!
スウェーデン人は・・・(言葉を選ぶように)、何ていうか北欧の中で“自分たちは長男”って意識が強い感じですね。
一部の方は、ノルウェーサーモンよりスウェーデンサーモンの方が美味しいと信じていて、スウェーデンのサーモンを送りたいと強く要望されました。ノルウェーサーモンも十二分に美味しいのに(苦笑)。
ただビジネスパートナーとしては、きっちりしていてやり易いです。信用できます。
ではデンマーク人はどうでしょう?
デンマーク人はマイペースですね。
ヨーロッパ大陸とつながっているので、他の北欧諸国とは何か違う印象です。堅実で仕事もしやすいですよ。
フィンランド人は?
静かな雰囲気で、日本人に似ていてシャイですね。
でも、お友達になると、とても仲良くしてくれます。
ビジネスセンスはありますね。教育のせいでしょうか、PRも上手だし、見せ方や出し方を知っている感じです。
どこかの国に聞かせたいですね。ではアイスランド人は?
アイスランドは人口も少ないので、私の中では人そのものに特別感があります。
アイスランドには行ったことがありますが、素朴でまさに”癒しの国“って言われているのも分かります。幸せで豊かな暮らしをしているという印象を受けました。
真打のノルウェー人についてお聞かせください。
そうですね。真に秘めたバイタリティーを持っていると思います。
さっきも言ったように見てくれは気にしない、毎回同じ服でも平気。
ビジネスに関しては、サーモン販売の人たちは大丈夫なんですが、雑貨をやっている人はメールの返事もくれなかったり・・・。
本当に理解できます!
あと北欧で共通しているのは、休みに入ると音信不通になりますね。
あちらのせいでトラブルになっているのに、優雅にクルージングしていたりとか。
だけど、みんな会うと、本当にいい人たちばかりなので、憎めない存在です。
確かに・・・。“いい人”でも7月はホント、仕事になりませんよね。
では最後に、最近はSNSが活況ですが、今後いかにPRをしていくか、御社の方針があれば教えてください。
食と絡めた何かができればいいな、と思っています。北欧レシピ本を出すとかも面白いですね。
あとSNSやPRの方法はこちらが教わりたいくらいです!
うちはまだまだ“知る人ぞ知る”会社なので、これからの課題ですね。
今日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。
素敵な北欧雑貨に囲まれて、とても楽しい時間でした!
ところで、是非、購入したいお気に入りのチーズがあるのですが・・・食品も見せていただけませんか?
はい、もちろんありますよ。では、お勧めのものをお見せしましょう。
(以後、買い物タイムに突入・・・)

■インタビューを終えて
アクアビットジャパンさんは、何度かネットで買い物をしていましたが、実店舗を訪ねることができて、「スモール北欧ワールド」を体感できました。
北欧それぞれの雑貨が所狭しと並んでいて、物欲UP。ですが、ノルウェー渡航前なのでぐっと我慢しました。
しかしYoko管理人は、いろいろお買い物をしていましたよ。ね?(はい、上のいちばん右の写真はお買い上げ品です)
福北さんはとても気さくな方で、楽しいお話を伺っていたら、時間はあっという間に過ぎました。
これからもノルウェー好き、北欧好きの皆さ~ん、アクアビットさんでお買いものをして、「ノルディックマイレージ」を貯めましょう♪
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FUGLEN Tokyo マネージャー 小島賢治さん(12.08.27)
プロフィール
小島 賢治(こじま・けんじ)さん: FUGLEN Tokyo店マネージャー
FUGLEN(フグレン) Tokyoは、ノルウェーの老舗カフェ(1963年創業)の海外進出第一号店として、この5月に渋谷にオープンしたばかりの人気カフェ&バーです。高品質なコーヒーと店内のノルウェーのビンテージ家具や調度品で知られています。
今回取材をさせていただいたのは、オスロFUGLEN本店にて修行のキャリアを重ねたバリスタの小島賢治さん。インタビューはfrosk編集人 を中心に、Yoko@管理人 同席で美味しいカフェラッテをいただきながら実施しました。
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まず簡単に小島さんのプロフィールを教えていただけますか?
 2007年から、ポールバセット(2003年バリスタ世界チャンピオン)のカフェ(新宿店)でバリスタ修行を始めました。ここではエスプレッソを主に勉強しました。
ですが、そこを辞めて、オーストラリアで修行をしようと考えていたのです。平行して、お店のお客さんを通じて、コーヒー好きなあるノルウェー人を紹介してもらいました。そのノルウェー人から”僕の先生を紹介するよ“と言われ、渋谷のハチ公前で待ち合わせしたのですが・・・。
そこに現れたのが想像していたよりずっと若い日本人、テンギョウさん(注:エッセイコーナーをご参照ください)だったんです。テンギョウさんを通じて、いろいろなノルウェー人を紹介してもらいました。そして彼らから、”ノルウェーはコーヒーの文化が盛んなんだよ”、と聞きました。
また雑誌「北欧スタイル」の特集記事をよく見直すと、オスロのカフェが載っていることに気づきます。
2009年の冬、オーストラリアに修行に行くつもりだった気持ちが、ノルウェーに傾きました。そして、当時のノルウェー人のガールフレンドが、僕の履歴書をオスロの有名なカフェ、JavaやStockflethsに送ってくれたんです。
つまり、たまたま知り合った人がノルウェー人だったことがきっかけで、近年、コーヒーの分野で世界的に注目されているオスロでの修行が実現することになったのです。
オスロのFuglenには履歴書は送らなかったんですね?
はい。ロースターをしているお店で働きたかったのです。Fuglenは豆を仕入れて、売っている店というイメージでした。Fuglenは当時から東京へ出店する計画があることは知っていましたが・・・。
履歴書を送ってからのプロセスを教えて下さい。
オスロへ行って、Stockflethsで面接を受けました。そこではEinar(アイナル)というノルウェー人が応対してくれたのですが、とてもパワフルな印象でしたね。結局、ノルウェー語の言葉の壁を理由に、採用はしてもらえませんでした。ですが、EinarはFuglenのオーナーであり、店に連れて行ってくれたのです。
そして2010年からFuglenで働き始めました。Peppe(ペッペ)というデイリー・マネージャーがいたのですが、彼が僕をフルタイムで雇用しよう、と言ってくれました。Peppeは労働ビザも簡単にクリアできると思っていたようですが、そうは簡単にはいかず・・・。一回日本に戻り、ビザの申請が下りる前に、またオスロへ行きました。Fuglenでは2010年4月~7月の3か月間、修行をしました。
オスロのFuglenで働くにあたって言葉の問題などはなかったですか?
技術的な問題はまったくありませんでしたが、言葉は豆の細かい説明など難しかったですね。
ただ接客に関していえば、僕はノルウェーと日本の国旗のピンバッチをつけていたので、日本が好きなノルウェー人から気軽に話しかけてもらってました。
あとFuglenはゆったりとしたカフェで、Peppeのサービスもゆっくりペース。なので、追い詰められるという感じにはなりませんでした。
Fuglenはオスロの美味しいロースターだけを集めているので、全部飲み比べることができます。それを毎日飲んで仕事にできることは本当に凄いことです。日本人で体験したのは私だけでしょう(笑)
逆に大変だったのは、プライベートの方です。金・土の夜はパーティ三昧。大音量の音楽に、お酒、お酒・・・。外国人は僕だけで、“瞑想するから”と別室に逃げてましたね。
どんな感じか理解できます(苦笑)
よく仕事の後に、カール・ヨハン通りの王宮近く、日が当たるところでぼーっとして、鳥に餌をあげていましたね。
ただノルウェーにいる間は、みんなにいろいろ心配してもらって申し訳ないという気持ちが強かったです。嫌な人に会ったことはありませんでしたね。
結局、7月までにビザは下りなかったのですか?
はい。なので再度帰国し、Paul Bassettで働き始めます。そしてオーストラリアへ渡りました。でも法律とか面倒で仕事に就けず、時間を持て余し、また日本へ戻ってきました。
そんな最中、昨年の震災が起きました。2011年6月、私はテンギョウさんたちと一緒に、福島へコーヒーを届けるというプロジェクトに参加しました。
すると同時に、EinarからPeppeとHalvor(Fuglenオスロのバー担当)と一緒に、来日すると連絡がありました。彼らと再会し、すっかり流れたと思っていた東京出店の話が進んで準備のためのミーティングを重ねました。
東京店オープンまでの道のりはどうだったのでしょうか?
日本では、改装する際、絶対に先に設計図があるじゃないですか。でもノルウェー人のデザイナーたちは図面なしで、現場で高さとか決めていくのです。工事は建築の仕事をしている僕の叔父が担当してくれたのですが、ノルウェー人たちのやり方に”しょうがないなぁ“と付き合ってくれました。
また店内に置くヴィンテージ食器・雑貨はノルウェーから船便で送られてきたのですが、運悪くゴールデンウィーク中にあたり、税関でストップしてしまいました。カフェのオープニングには、来日するトロン・ギスケ産業大臣が出席する予定だったので、それに間に合わせるために必死でしたね。
結局、税関で止められた荷物は、ギスケ大臣がやってくる当日の朝に受け取れることになり、レンタカーで横浜まで取りに行きました。ノルウェー人学生の手も借りてギリギリ間に合わせました。皆、作業に慣れているので助かりました。
壁紙を貼る作業(注:Fuglenの壁紙はノルウェーから取り寄せのストロー素材の特殊仕様。高級品です!)、店内の仕上げなど36時間労働でしたね。
そんな感じでオープンされて、大変ではなかったですか?
私は楽観主義なので「これだけの人の願いが叶わないわけがない」と思っていました。精神的には辛くなかったですが、左目瞼の痙攣が1週間くらい続きました。
実は私、オープンしてから3週間後くらいにお邪魔したのですが、まだ外で工事をしてましたね。
まだ店舗は完成していないんですよ。Peppeからは“コンセプトは崩さずに、ゆっくりやること”を学びました。
オスロのFuglenもオープン時は小さかった。どんどん拡張し、今の形になったのです。
東京店はオープンして3か月経ちますが、どんな感じですか?
平日はゆっくりしていますね。週末は代々木公園が近いので、公園に遊びに来た人が寄ってくれるので忙しいです。
まだお店には満足していません。カフェはわざわざ来るのではなく、ちょっと立ち寄る場所。日常使いのお客さんが増えてほしいです。カフェの王道、基本に戻りたい、と思っています。
オスロのFuglenも、カウンターでオーダースタイルです。店員はオーダーした後、お客をほっといてくれる。そこに”ゆったりさ”が生まれると思います。
ところでこちらには、たくさんのノルウェー人が来ているようですね。
ほぼ毎日、来店していますね。週末のバータイムはノルウェー人の集いの場になっています。日本への観光客も寄ってくれるのですが、何も調べずに来ちゃうところが面白いですね。
あとFuglenが東京へ出店したことで、オスロの本店が有名になった側面もあります。
小島さんの今後の夢をお聞かせください。
ノルウェーへ移住したいですね。ノルウェーが好きです。そしてアジアでビジネス展開したいですね。実のところ私は日本には合わないのです。
東京店に関して言えば、今後、ノルウェー人のスタッフを増やしていきたいです。
カフェはいろいろな出会いがあり、人と人がつながる場所です。
是非、ノルウェーと日本をつなぐ場となって、国内でも東京以外にも展開していただけると嬉しいです。ノルウェーを知っている人が集まるだけでなく、立ち寄った人がFuglenを通じてノルウェーを好きになってもらえるといいですよね。
今日は長時間、お付き合いいただき、ありがとうございました。
カフェラテ、美味しかったです!
こちらこそ、ありがとうございました。
■インタビューを終えて
ノルウェー好きの悲願であった「ノルウェー」単体の冠があるFuglenは、オープン前から大きな期待を寄せていました。そんな理由もあり、Fuglenをサイトで紹介したいとずっと思っていました。バリスタの小島さんがインタビューを快諾して下さった時には「やった!」とカンゲキ。テンギョウさんという共通の知人がいることもわかって、改めて「ノルウェー業界狭い!」を実感しましたね~。
小島さんは丁寧にインタビューに答えて下さり、真面目なお人柄とともに、ユーモアも感じました。
さらに!!なんと11月17日(土)予定の「ノルウェーについて学ぶサロン」の講師をご快諾下さいました。ノルウェーのコーヒーやカフェ文化についてより深く語っていただく予定です。また時期が来ましたら、告知をUPしますね♪
小島さん、インタビューに応じて下さり、ありがとうございました。夢が叶いますよう、お祈り申し上げます。
★お知らせ★小島さんが11/17の「ノルウェーについて学ぶサロン」でご講演くださいます!
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テレマークスキーインストラクター望月隆さん(07.10.23)
プロフィール
望月 隆(もちづき・たかし)さん: ノルウェースキースクール公認テレマークスキーインストラクター
T.M.N.スキースクール主宰
長野県の峰の原高原でテレマークスキー専門のスキースクールを主宰なさっている望月隆さん。
テレマークスキーの魅力やノルウェーとの関わりについて素朴な疑問をぶつけてみました。インタビューはYoko@管理人 を中心に、frosk編集人 同席で実施しました(10月20日サロンの後に行ったものです)。
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 本日は遠いところをサロンに来てくださってありがとうございました。サロンでは伺えなかったのですが、望月さんがテレマークスキーを始めたきっかけを教えてください。
はい。私は実家が長野県飯山市なので、子どもの頃からスキーをやる環境にありました。小学生の時にはクロスカントリースキーで走っていましたね。よくコース外に出て遊んでいました。アルペンも普通にやっていました。
テレマークを始めたのは87年11月、ちょうど20年前になります。実は「山と渓谷」という雑誌の付録でその存在を知ってやってみたいと思ったのがきっかけです。山の中を滑る専用のテクニックがあることに驚き、それにテレマークターンはとてもカッコイイと思いました。
当時は、テレマークスキーはまだ日本ではあまり知られていなかったのですね。それでは誰かに習ったのでしょうか?
いいえ。本を買って、とにかく独学しました。当時はビデオも持っていませんでしたから(笑)
参考にしたのは本だけですか!?でも、望月さんはテレマークで世界選手権まで出場なさっているのですよね。それほどの技術はどのように磨いたのでしょう?
独学で1シーズンやって、実は自分なりに結構出来ていると自信がついたので、他の人の滑りを見たくなりました。そこで大会に参加してみようと思い立ち、峰の原であった日本のテレマークスキー協会の大会に出場したのです。
そこで結果を出された?
いいえ。みごとに予選落ちです。周りの技術の高さに圧倒されました。それが悔しくて、その後から飯山の実家に帰って本格的にトレーニングをしました。あ、でも当時は諏訪で会社員をしていましたので土日中心です。
会社員をなさっていたのですね!それでもトレーニングをして、世界選手権に出るなんて凄いです。ところで、テレマークの世界選手権ってアルペン競技のようにポールを滑るのでしょうか?
そうなんですよ。途中にジャンプが入りますけど。ジャイアントスラロームとクラシックレースというのがあります。クラシックレースでは滑る、ジャンプに加えて走らなければなりません。私は世界選手権には4回出場しましたが、その当時、表彰台はノルウェー人が独占していましたね。
さすがノルウェーですね。それでノルウェーで学ぼうと?
そうですね。テレマークをやるならノルウェーがいいと思っていました。日本では上手くなれないとも。
そんな時、95年ですが、長野県の野沢温泉スキー場でインタースキー(スキー指導者の会議、デモンストレーションなどが行われる4年に一度の催し)が開かれました。私の田舎からわずか車で20分のところに、ノルウェーの代表が来たのです。これはチャンスだと思いました。
そのチャンスをつかまれたのですね。
たまたまラッキーだったのです。そのインタースキーに足を運び、思い切ってノルウェー人指導者に声をかけて「チャンスがあるならノルウェーで指導を受けたい」と伝えたところ、「その気があるなら」と連絡先を教えてくれました。その後、ノルウェーのリレハンメルで開催された世界選手権に出場したとき、運よくそのスキー教師に再会をすることができたのです。
それで会社も辞めてノルウェーに行ったのですか?
それが、私は会社は辞めたくなかったのです。なんとか説得して3か月間、休職させてもらいました。
理解のある職場でよかったですね。それでは、ノルウェーでは3か月間スキー漬けの毎日だったのでしょうか?
そうです。ノルウェーではハーフィエル(Hafjell)スキー場のふもとに住んでいたのですが、何も無いし、暗いし、最初はとても不安でした。3ヶ月間、日本人にもほとんど会わず、オスロ観光すらしていません(笑)。
勉強漬けだった私の留学生活のようですね・・・。
でもそれでかなりレベルアップなさったのですね!それで帰国後にスクールを開校するに至ったのですか?
すぐではありません。会社を辞める気はありませんでしたから。でも、帰国後半年ほどしてから会社の業績が悪くなって希望退職を募ったのです。それを機に会社を辞めて、かねてよりお付き合いのあったペンションを手伝いながら、スクールを開校することになりました。
きっとご苦労もあったのでしょうね。
はい。最初の頃は、お客さんが少なくて、知人ばかりを集めているような状態でした。まったく来ない日もありましたね。通年で30名ほどでしょうか。それが、少しずつメディアでも取り上げてくれるようになって、5~6年ほど前から変わってきました。今では冬の間は職業として成立するようになりました。季節労働ですから。
テレマークが流行ってきているということでしょうか?
テレマークというより、山スキーを含むバックカントリースキーが流行してきているようです。
山スキーとテレマークスキーは違うのですか?
どちらもバックカントリースキーですが、山スキーは滑るときにかかとを固定して、アルペンターンができます。テレマークスキーはあくまでかかとが上がるテレマークターンです。でも最近は、道具が進化してどんどんと楽に滑れるようになってきて、滑り中心の方向に行っていますね。
勉強になりました。
ところで望月さんはノルウェーに住みたいとは思わないのでしょうか?
お金があれば是非(笑)!現実的には難しいですよね。
それでは最後に望月さんが今後目指すところを教えてください。
そうですね。この10年で環境が変わり、テレマークを日本に広めたいという初期の目標はある程度達成したと思っています。私が認定に関わって国内にも専門のスクールが増えました。今後どうするか、今まで通りを続けて行くのか、考える時期に来ています。
できれば、もう少しノルウェーとのつながりをアピールしていけたらいいですね。ノルウェーのツアーを組むのもその一つかもしれません。
 そうですよね。ノルウェーで認定を受けた唯一の方だからこそできることがあると思いました。今後とも、ノルウェーとテレマークスキーの普及のためにお互い協力しましょう!
本日はありがとうございました。
■サロンとインタビューを終えて
1つ1つの質問にとても情熱的に語って下さった望月さんの姿に、テレマークスキーをこよなく愛していらっしゃるんだな~と実感させられました。是非、来年もサロンにお招きして、今回時間が足りずに語りきれなかったことを語っていただきたいものです。また、秋も深まりつつあるこの季節に、Tシャツ1枚で大きなバックパックを背負って現れたその姿は、正に”ノルウェー人”のようだったということも付け加えておきましょう。
■望月さん講師のサロンの様子をご覧になれます。
「ノルウェーについて学ぶサロン」レポート(第19回)
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東京藝術大学研究生 モーテン・ヨアキム・ヴァトゥンさん(07.08.26)
プロフィール
Morten Joachim Vatn(モーテン・ヨアキム・ヴァトゥン)さん: 東京藝術大学研究生・音楽家
4月に芸大の留学生として来日されたモーテンさん。何の因果か、今年の「グリーグイヤー2007」と重なり、6月に催された芸大フィルによる「ペール・ギュント」全曲演奏という大規模なコンサートに、「言語指導」として参加。見事、素晴らしいコンサートを成功に導いた立役者です。
ところでどうして日本に音楽留学??謎めいた魅力の持ち主モーテンさんに、いろいろな質問を試みてみました。日本語が堪能な彼に合わせて、インタビューはfrosk編集人 が、Yoko@管理人 自宅にて、ノル語&日本語のちゃんぽんで決行しました!(6月22日に行ったものです)
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モーテンさんは、音楽一家に育ったそうですね。
はい。おじいさんはオペラ歌手で、叔父さんは音楽専門高校の先生。父はセミ素人(本人の表現による)、姉はピアニストです。
では、常に音楽に囲まれた環境だったのですね。
はい。そうですね。
ノルウェーでは、どのような音楽教育を受けてきたのですか?
小さい頃は、学校の鼓笛隊でサックスを吹いていました。ノルウェーの学校では、楽器や音楽に親しむことに重きを置いていますね。
ノルウェーにも小さい頃から音楽の英才教育が存在するのですか?
あまり多くはないけど、ほんの小さな頃から、楽器を習う人がごくわずかにいます。
音楽を勉強したい・・・と思ったら、中学か高校で進路を選択ができるのですか?
高校の中には、音楽教育を専門的に行っている高校があるんですよ。オスロだけでも6つあります。
では、モーテンさんもそうした高校を選んだのですね。
はい、Internasjonale Musikk Bachalauréatというところで学びました。
実は、音楽セレブだったんですね・・・・。その後は、音大へ進学を?
当時は、Konservatoriet(コンサバトーリエ)と呼ばれていましたが、現在の国立音楽大学の前身で、修士課程を終えました。
現在、芸大では何を専攻されているのですか?
作曲と音楽学(musikkvitenskap)です。
芸大には、あまりノルウェー人の留学生がいないと思うのですが・・・。
はい、僕は初めてのノルウェー人留学生です。
ところで、どうして日本を留学先に選んだのでしょう?
実は父の仕事で、アメリカに2年間住んでいたことがあるのです。そのとき、ガンダムのファンになって・・・
ガンダム??
そうです。アニメの初代ガンダムです(*最近のガンダムには興味がないとか)。それから日本へ興味が増しましたね。
もしかして他のアニメもお好きですか?
ええ。ルパン三世も好きですよ。特に「カリオストロの城」とか!宮崎駿の作品はいいですね。仮面ライダーやウルトラマンも知ってます。
カリオストロ、私も大好きでDVD持ってます!後で見ましょうよ。
クラッシック一辺倒かと思いきや、サブカルの人でもあったんですね。
そうですね。サブカルチャー大好きです。
ところで日本語はどこで勉強したのですか?
オスロ大学で2年間勉強しました。また、関西外国語大学に半年留学して、その間にオリックス・バファローズのファンになったんです。
ノルウェー人が野球に興味があるとは珍しい!でもどうして阪神タイガースではなくオリックスファンに?
阪神戦はチケットが取れなくて・・・。でもオリックスは空いてるからいつでも観られるんですよね。
“日本通”であることが段々、分かってきました。日本食もお好きですか?
はい、大好きです。オスロではJapan Torgetという日本食材店でよく納豆とオクラを買ってました。自分で料理もしますよ。
そろそろ音楽の話に戻しましょうか。
はい。僕は日本とノルウェーを結ぶ大きなプロジェクトに参加しました。 「福(FUKU)」(前「素」)という日本人のバンドが、“スプーンおばさん”で知られるアルフ・プロイセンの詩を訳した歌をCDにしたのですが、僕はプロデューサーとして加わって、北欧ツアーの企画も担当しました。
 え~、そうだったんですか。私たちCDを持ってますよ。本当にノルウェーに関わっている人の世界って狭いですね!
(*そこで、同席していたみんなでFUKUのCD「逆さまの国」(I bakvendtland)を聴きました。)
今後の予定など教えて下さい。
芸大の留学期間は2年間です。できれば延長して、日本で活躍したいですね。
 それは今後がますます楽しみですね!ご活躍を期待しています。
■サロンとインタビューを終えて
インタビュー後に、恒例の?「ノルウェー人度チェック100」に答えていただきました。
日本のサブカル好き、というTypisk norskからは外れるモーテンさんですが、結果は見事に89点のハイスコアです。Typisk norskの心を持ちながら、それだけに当てはまらない広い世界観をお持ちだということが、よくわかりました。印象的だったのは、「家庭の事情で学校やオフィスに子供や飼い犬を連れて来るのは非常識だと思う」という質問に、「犬アレルギーの人もいるから、連れてくるべきではないね」と答えたことです。日本では当然、非常識の烙印を押される問いですが、答えの根拠が良いな~と思いました。
インタビューのご協力をありがとうございました☆
■モーテンさんがサロンの講師に来てくださいました。
「ノルウェーについて学ぶサロン」レポート(第17回)
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