frosk
在ノル日本人による
リレーエッセイ
Vol.1
エッセイ【1】〜エッセイ【10】



エッセイ【1】
ハルデン便り(その1)
お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

ノルウェーに転職して4年目のWと申します。理系男性です。オスロからE6号線をおよそ100Km南下したところにある、スウェーデンとの国境の町、ハルデンに住んでいます。

手始めに食べ物のことを書いてみます。このサイトの主催者のAoki氏はノルウェーの食べ物についてきびしい意見をお持ちのようです。日本やフランスと比べると、私も氏の意見に同意せざるをえないのですが、見るべきものが全く無い訳ではないと思います。

まずノルウェー産のは美味です。かなりの日本人が(一部は熱狂的に)これをスモークしたものを好むようです。鮭は大規模に養殖されているので、比較的安く年中手に入ります。最近の鮨ブームではマグロと共に握りのネタに使われます。
生の切り身をフライパンで焼いて、ディルの効いたソースをかけるとノルウェー風になりますが、ソースが日本人にはかなり塩辛い(ノルウェー人は生の塩の味が好きなのでしょうか?)ことをがまんすればこれもけっこう美味で見た目もきれいです。

次にラム(羊肉)がいいです。ラムはグリルすれば大方の日本人に好まれると思いますが、ここではノルウェーの「国民食」である「フォリコル」を紹介します。
フォリコルの作り方は簡単で、ホーデコル(全体の8割が芯という、生で食べると消化できないほど固いキャベツ)とラムのぶつ切りをなべに入れて、塩および全粒こしょうをふりかけ、水をほんの少し入れて2時間ほど煮るだけです。肉が水につかず、蒸気で蒸されるようにするのがコツです。
秋になると、特にこの料理のために骨ごとぶつ切りにしたラムがスーパーなどで売り出されます。こういう料理の多くがそうであるように、フォリコルも2日め、3日めと暖め直すほど美味くなります。キャベツにいい味が出るので、キャベツしか食べないというノルウェー人もいます。

ただし念のためにお断りしておきますが、フォリコルを美味と感じる外国人はめったにいないでしょう。このことはノルウェー人も自覚しているようです。
ノルウェー人に「フォリコルを作って食べた」と言うと、「この日本人は相当変わっているな」という顔をすると同時に、やはりうれしそうなそぶりを見せます。「国民食」という思い入れがあるのでしょう。

他にも例えばアイスクリーム、ベリー類、加工肉全般、一部のチーズ、きのこ、一部のパンなど美味しいものはまだまだあります。いずれ機会があればご紹介したいと思います。
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エッセイ【2】
ハルデン便り(その2)
お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

今回はスキーのことを書きます。ノルウェーで単にスキーといえばクロスカントリー・スキーのことを意味しますから、以下でもそう解釈して下さい。日本でいうところのスキーはダウンヒルとか、スラロームと呼ばれます。
ついでにノルウェー語でスキー(ski)は「シー」と発音します。滑走時に雪面とスキー板の摩擦により出る音が語源ではないかというのが私の想像です。

冬季オリンピックなどで競技として行われるスキーは極めて過激なスポーツで、あらゆるエアロビックなスポーツの中で心拍数が最大になると言われています。
最近ではフルマラソンでも選手は余裕でゴールするようですが、競技スキー、特に射撃と組み合わせた「スキー・シューティング=バイアスロン」などは、ゴールした選手が息もたえだえに倒れ込み、うずくまってしまうことがあります。
私は別々にですが射撃もスキーもやるのでそのつらさがよく分かります。

私の住むハルデンの周囲の森の中にはいくつか照明付きの競技用トラックがあります。
職場の終業時刻は3時45分ですから、その後でトレーニングに行きます。いちばん近いトラックは私のアパートからちょっと急いで歩いて20分、ちょうどいいウオーミングアップになります。
ノルウェー人はスキーを履いて生まれてくると言いますが、トラックでは歩きはじめたばかりの子供もよく見かけます。親は別に教えるでもなく、見ているだけです。お年寄りも元気で、70歳くらいの女性に楽々と抜かれることもあります。

このような競技スキーとは別に、冬のノルウェーの自然を楽しむためにもスキーを使うことができます。クロスカントリー・スキーの板はとても軽く、靴はジョギングシューズみたいなもので、しかもかかとが板に固定されないので雪におおわれた森の中などを自由自在に走り回ることができます。
オスロ郊外のノールマルカの森に私のお気に入りのフィールドがあって、ニッテダルに住んでいる友人と時々出かけます。その友人の飼っている大型のゴールデン・リトリーバーは普段は筋金入りの怠け者ですが、スキーは大好きで、雪におおわれた針葉樹と白樺の果てしない森をこの犬と一緒に駆けぬけるのは爽快です。
森の中の農家で、自家製のエルグ(ヘラ状の角を持った大型の鹿)のソーセージを焼いて、レフセというノルウェー独特の薄いパンにくるんで食べさせてくれます。

太陽指向のノルウェー人たちはあまり冬が好きではないようですが、私はノルウェーらしい、魅力あふれる季節だと思います。スキー以外にもスパルクという独特の(酔っ払いを積んで運ぶためといわれている)橇や、凍った湖を何10kmもツーリングできるスケート、スパイクタイヤを履いたマウンテンバイクの遠乗りなど、楽しいことがいろいろあります。いずれまたお話したいと思います。
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エッセイ【3】
西ノルウェー便り(その1)
ノート

                         西ノルウェー(Vestlandet)在住・Rさんより

はじめまして。
ノルウェー夢ネットにお邪魔させていただくことになりました。私はまじめな学生で"R"と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

私は、西海岸沿いの造船/海洋・漁業関係の盛んな地域にあるhøgskole(以下ホイスコーレ)に1998年8月から通っているので、学校の様子などを書いてみたいと思う。

ホイスコーレは日本の短期大学のようなものだ。日本の短大は二年制だが、ノルウェー(以下ノルゲ)のホイスコーレは、一年間だけの学科や三年間以上の学科もある。
私の通うホイスコーレには、約千五百人の学生が通う。学生内訳は、高校を卒業してすぐホイスコーレにきた人、他の教育機関から編入してきた人、ほぼ100%正社員として働いている人、休職して学校に戻ってきた人、そして主婦もかなりいる。(主婦というより、子供のいる女性と言ったほうがいいのかもしれないが)。バイトを学校より優先させている人もいる。ちなみに学校はタダ約千クローネ程度の登録料と教科書代は個人負担になるが、国から奨学金を貰えるのでそれらの費用は誰でもカバーできる。奨学金でカバーできない分(生活費等)は、やはり国からお金を借りることが出来る。(さすが社会福祉国家。でも返済の利息は高い。)

ホイスコーレは、基本的に出席の義務がない。(一部を除いて大学もそうだ。) アメリカだと出席率が成績にも影響するが、ノルゲの高等教育機関は、出席するのもしないのも学生の勝手である。学期の始まりには、ほぼ全員が講義に出席している。そのうち毎日学校に来るのは、決まったメンバーだけになる。そして試験の1〜2週間前になると、あまり見たことのない学生がどっとやってくる。

講師によっては、「別に講義にこなくても、試験でよい成績が取れるなら、それは別にそれでいいのだよ」とか、「この講義が無意味と思う者は、来なくてもいいのだ」などとはっきり言い切ってしまう講師もいる。
ある時、講義を受けたのは私ともう一人の学生だけ、ということが少なくても2回はあった。学生も講師も出席の義務がないことをわかっているので、教室に学生がパラパラとしかいなくても誰も何も言わない。何か言ったとしても「でも出席の義務はないからね」という結論に行き着く。これでいいのか!!

学校が存在する意味はあるのか?とか、個人で勉強できるのであれば、講師は必要ないのではないか?とか思ってしまう。また、学生は来ても来なくてもいいのに、講師らは毎日来なければならないのは不公平なのでは?とも思ったが、彼らは公務員だから毎日来て当然なのだ。たとえ教室に学生がいなくても。
では、学校はガランとしているかというとそうでもない。堂やコンピューター室は、いつも学生でいっぱいだ。不思議だ。

不思議だ!これでいいのか!!と思うが、出席しなくてもいいということは、仕事や家庭と学業を両立させることが可能になる。ついつい友人関係やバイトに忙しくなってしまう若い学生にとっても、ありがたい仕組みである。ということは、これはいいことなのだ。

ところで講師らはどう思っているのだろうか?何かの機会に尋ねてみようと思う。

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エッセイ【4】
保育園実習日記
お姉さん

                               オスロ市郊外在住・Kさんより

こんにちは!ノルウェー人と結婚してOslo市郊外に住んでいるKと申します。結婚したのは1年前ですが、その前には学生などをしていたのでノルウェーに計4年ぐらい住んでいます。日常生活の中でノルウェー人や社会に対してたくさんのカルチャーショックや不満や怒りもありますが、基本的に私はノルウェーが大好きです。今回は私の保育園実習日記と言う事で書かせて頂きます。

◆2000年8月〜9月の日記
◆2000年10月の日記
◆2000年11月の日記


◎参考関連記事・・・・社会福祉事情「ノルウェー語学校の保育園

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エッセイ【5】
ハルデン便り(その3)
お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

2月最初の土曜日は、気温は零下15度と低かったのですが快晴でした。
1週間ほど低温が続き、しかも雪はごくわずかしか降っていないので、近郊の湖で遊べるのではないかと期待できます。
スケート靴とマートパッケ("matpakke" 何枚かのオープンサンドイッチをマートパピールという紙でパックした携帯ランチです。夢ネットの皆様にはもうおなじみですね)と、念のため冬季登山用の羽毛服をバックパックに詰め込んで、マウンテンバイクにノキア(フィンランド)製のスパイクタイヤを履いて出かけました。

アパートからまずアサック街道の急な坂道を登り(ここがこの小旅行の最もつらい部分です)、右折して「山の手」の住宅地の中を走ると、およそ30分でティステダルの十字路です。ここから国道21号線、別名アレマルク街道を500mも走ると人家は無くなり、道路の両側は果てしない森がスウェーデンの彼方まで続きます。
このあたりで身体が脂肪燃焼(?)運動モードに切り替わって、ペダルが軽くなります。

すぐに左手に広大なフェム湖が広がります。この湖はこの一帯で最も深く、しかも流れがあるため、よほど寒さが厳しくないと全面結氷はしません。この日も7割以上は開水面でしたが、水は非常にきれいなので、氷は空を映して見事なコバルト色でした。開水面からは、水蒸気が立ち昇って陽炎のように見えます。
対岸のアサックの村は、18世紀以前に建てられたという石造りの教会を中心に、果てしない針葉樹の森を背景にして、なだらかに広がる畑と牧草地に農家が点在する典型的な東部ノルウェーの農村地帯です。

夏は湖水浴で賑わうヴァニンガの湖岸から、しばらく10%を越える登りが続きます。
道路脇の崖は湧き出した地下水がそのまま凍って、太い氷柱が連なっています。露出した顔面は、痛いほど冷たいのですが、身体は暖まりました。

ティステダルの十字路から5kmほどでクルセーテル湖小アッテ湖、そして大アッテ湖と、湖が次々に現われます。湖はすべて全面結氷しており、薄く雪に覆われて、眩しいほど真っ白です。特に大アッテ湖は長径が6km程もある大きな湖で、その全面結氷はちょっとめずらしいことです。
さっそくマウンテンバイクで湖岸から氷の上に乗り入れました。氷は2cmほどの雪に覆われていますが、その上にはそり、スケート、クロカンスキー、ただの靴、などなどのトレールがはるか沖の方に消えています。やはり氷が割れるのを恐れてでしょうか、皆、誰かの通った後を行くのでトレールは細く帯状にまとまっています。

私も始めのうちはこの帯に沿って、マウンテンバイクを走らせました。初めての経験でしたが、職場の同僚のノルウェー人が「あれは面白い」と言っていた通り、白く輝く広大な水平面を何キロもひたすら真っ直ぐに進むのは楽しい経験でした。

飛行機で雲の上を飛んだらこんな感じでしょうか?

夏はアクセスが難しい湖岸の部分に、容易に近づけるのも面白いことです。雪面は日光の反射がきつく、かなり日焼けしました。やはり2月になると、厳寒のなかにも、間近に来ているを感じます。この日、大アッテ湖にいたのは私ともうひとり、刃の非常に長い(スピード?それともツーリング用?)スケートを履き、スキーストックを使ってスケーティングしていた男性だけでした。

小アッテ湖まで戻ってから、湖岸の日だまりでマートパッケを食べ、しばらくスケートをしました。低温のためか氷にはクラックが多く、必ずしも最高のコンディションではなかったのですが、それでもほぼ無人の湖面を独占して思い切り滑ることができました。
私以外には、4人家族が敵味方に分かれて湖の片隅でアイスホッケーをしていただけです。

帰り道、クルセーテル湖の岸に近い森のなかで凍結したオルハーネ Orrhane (tetrao tetrix) の半分食べられた死体を見つけました。この鳥は日本の雷鳥の仲間だと想像します。雷鳥と同じような大きさで、眼の上に赤いとさかのようなものがあります。ただし冬でも白くはなりません。死体のそばに真新しい足跡がありましたが、キツネにしては大きく、オオカミにしては小さいのです。
次の週に職場のランチタイムで聞いたところでは、恐らく犬と思われるが、ひょっとするとガウペ Gaupe (felis lynx) かもしれないということになりました。ガウペは日本語ではリンクス山猫とか、ヨーロッパ大山猫とでも言うのでしょうか。体長が1mを越える大型の山猫です。耳の先に黒い毛がひと房突っ立っているのが特徴です。絶滅危惧種ではないかとどこかで聞いた記憶があるのですが、ノルウェーにはまだたくさんいて、狩猟の対象でさえあります。

そう言えばタブロイド紙VGに、「鯨を殺し、オオカミを殺し、熊を殺し(あとは忘れましたが)・・・を殺す野蛮なノルウェー人」というセンセーショナルな見出しがありました。
でも職場で狩猟の好きな連中に言わせると、人が間引かないと増えすぎるということです。

ハルデンの周囲の森にはオオカミUlv、熊Bjørn、リンクス山猫Gaupe、エルグElg、鹿Rådyr、ビーバーBever、クズリJerv、キツネRødrevなど、いろいろな動物たちが棲息しています。
まむしに似た毒蛇さえもいるのです。

帰り道はティステダルの十字路から21号線の長い急坂を、スパイクタイヤの音をひびかせて町の中心に下りましたが、それはもう寒かったです。でも大満足な一日でした。

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エッセイ【6】
西ノルウェー便り(その2)
ノート

                         西ノルウェー(Vestlandet)在住・Rさんより
講師と学生の関係

講師と学生の距離は近い。講師、または先生と学生・生徒の間に壁はない。お互いにほぼ同等の立場で接している。

学生は講師らを名前、または苗字で呼ぶ。敬称は無しだ。
学校にアメリカ人の講師が一人いて、彼はある日「私がアメリカの大学で教鞭をとっていた時、学生たちは私のことをDr. Smith(仮名)と呼んだものだ。」と言っていた。日本でも「教授」とか「先生」をつけて講師の名を呼ぶのが普通であろう。

だが、ノルゲでは呼び捨てだ

"Jakob!"とか、"Åse?"と、まるで仲のよい友人を呼び捨てにするような感覚である。
Dr. Smithもここでは単に"Smith!"と呼ばれている。

講師を呼ぶ時、名前ではなく人称代名詞が使われることも多々ある(ノルウェー夢ネットひとことノルウェー語講座参照)。
この場合"du"が使われるのだが、私は未だにこの用法が出来ないでいる。直訳すると、「あなた、あんた」で、それが呼びかけになると私はどうしても「ちょっとあんた」と頭で訳してしまう。目上の人に対して「ちょっとあんた」なんて私は言えない。

学校に通い始めの頃、この"du"に何度もドキリとしたものだ。
講義中、学生は質問等があると"Du?"と講師に呼びかけ、ズバズバ質問、又は自分の意見を述べる。しかも"du"の前には"men"(しかし)が添えられることが多い
私はまたしてもひとり頭の中で直訳してしまうのだが、"Men, du?"は「でもあんた」とか、「でもそれって・・・」となる。そもそも「しかし」と言った時点で、講師の言ったことを否定することになる。
「そんな大胆な」とか「そんな口のききかたしていいのかよ?」と、ひとりビクビクしたものだった。

ビクビクしているのは私だけだ。ノルゲ人は日本人の私が持つ「上下関係」という意識が非常に薄い。(全く無いと言いたいところだ。)
皆が平等(と言うより対等)だから、勿論「目上・年上の人を尊敬する」という意識も低い。(再度、全く無いと言いたいところだ。)

例1 
学生Aは月曜の講義を欠席したとしよう。その講義では、いくつかの資料が配られたとする。学生Aは次の講義の時、講師になんのためらいもなく「先週の分の資料、持ってないからくれない?」と頼む。
講師の態度は、私から見れば非常に寛大だ。「そうかそうか。今、手元にないから休み時間に取りに行ってくるよ。次の時間の始まりには渡せるな。」といった感じだ。
こういった場合、学生Aは友人から資料を借り、自分でコピーするのが普通ではないのか?又は、学生A自らが講師の事務所に資料を貰いに行くべきではないのか?
休んだのは学生の勝手なのに、講師に対して失礼ではないか!だが、そう思うのは私だけである。

例2 
学生Bは、その日の講義に対して何か質問があるとしよう。
学生Bは講義終了後、お馴染みの"Du?"で講師の注意を引く。そして"Kom hit"と言って講師を自分の席に呼び寄せる(å komme=来る、hit=ここ)。
この"Kom hit"という言葉使いと、自分の席に講師を呼び寄せるという行為が私には信じ難い。なぜなら"Kom hit"は命令形だ。訳すれば、「ちょっとこっち来て」。自分は座っていて、講師にこっちへ来いと言うのである。講師に対して失礼だと思う。
そもそも質問があるなら、自ら講師へ歩み寄り質問すべきではないのか?だが、そう思うのはまたしても私だけである。講師は「何か質問かね?」と学生の席へ行く。学生の態度も信じ難いが、講師の対応の仕方も信じ難い。

最初の頃、こういう光景に出くわす度に、講師が怒り出すのではないかとひとりビクビクしていた。今では慣れてしまい、そのうち自分も上の例のような態度・言葉使いをしてしまうのではないかと恐れている。
(注:講師・学生とも個人差があり、皆が上記のような態度をとっているわけではない)。

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エッセイ【7】
ノルウェーでの出産レポート
ひよこ

                  オスロ近郊・コルソス(Kolsås)在住・YUさんより

私は夫の転勤でノルウェーに来た専業主婦です。
昨年春に出産を経験しました。

ノルウェーでの出産を選択した理由は、
1.里帰り出産をすると夫が父親の自覚を持ちにくい
2.ここで出産するとノルウェー国からお金がもらえるらしい
といった単純なものでした。
初めての出産が外国なのが不安でなかったわけではありませんが、いずれ戻ってくるのであれば妊娠から育児まで同じシステムで受ける方が機能的だと判断しました。
妊娠から出産までを簡単に状況説明します。

○ 最初
妊娠に気付いた時、妊娠検査薬(日本製)で確認をしました。
この国のシステムに無知だったので始めは私立病院に行きました。尿検査だけで154kr支払い、結果として「地域の保健所へ」と言われただけで、超音波・心音検査、生活上の注意やパンフレットすらありませんでした。その保健所での面接の予約がとれたのは1ヶ月半後で、それまでは日本の出産本で独学するしかありませんでした。

○ 保健所では
待ちに待った保健所初日は保健婦との面接で、採血、問診・書類作成のみで、肝油と鉄剤を飲むように勧められておしまいでした。
数日後今度は医師との面接があり、子宮口のサンプル採取、尿検査が行われ、いずれも結果は来月とのことでした。とにかくすべてがのんびりしていて(この時既に4ヶ月過ぎだったし)少し不安になりました。超音波検査は出産予定病院で18週以降に1度、出産予定日1週間前に1度あるだけでした。
妊娠生活は順調だったため、毎回の検査は尿検査、体重測定と心音を聞くだけ(木製のラッパのようなもので)で、カウンセリングも含め30分ほどで済みました。検査・面接は保健婦と医師が隔回であたっていました。
保健所は各地区にあるためかいつも空いていて、予約通りで待ちません。全てにおいて無料なので支払いの心配やそのために時間がかかることはありません。乳幼児の検査・予防注射でも同じです。薬が必要な場合は医師が処方箋を書いてくれるので、それを持って一般の薬局に買いに行くだけです。

○ 夫は
保健所での毎月の検査に夫が同行していた(言葉の壁のため)ので、出産に関しては私と同時に勉強することになりました。超音波検査で胎児の影を見た瞬間は私より感激していましたし、臨月には私以上に緊張の日々を送っていました。
会社もこのことで夫の早退や遅刻が増えたりすることに理解があり、生まれた子供を仕事中の夫に預けることもできました。夫は日本ではまずできなかっただろう経験をしたわけです。

○ 出産は
陣痛が5分間隔になったら病院に電話します。
分娩室は、器材はあるけど広くて一般の病室のようでした。普通のベッドに寝かされてほったらかされます。着ていたTシャツのまま出産。立ち会った夫も普段着。助産婦と看護婦は緑のカバーをしていたけど、生まれたての子供を荒く拭き取っただけで夫に渡していました。私も後産が済まないうちに抱かされましたし、その時Tシャツが汚れたのを憶えています。その後のシャワーも自由です。

○ 病院では
入院は平均4日間。その間新生児を預かってもらえます。側に置いていてもいいし、夜だけ預けることも出来ます。母乳を飲ませることを訓練させられますが、補助乳ももらえます。3人部屋で一人6畳分くらいのスペースと洗面台・ロッカーなどがあります。部屋の真ん中にテーブルがあってそこで食事をとったり、お客さんと話したりできます。とにかく広くて明るくて快適。
続き部屋に赤ちゃんの世話をする、広い給湯室といった場所があってオムツ・肌着・おくるみ・タオル等がいつでも自由に使え、大きなシンクの中で入浴させていました。私はうんこのたびにお尻を洗っていましたので非常に便利でした。
来客用の広い談話室の側に、24時間自由に取りに行ける果物・クラッカー・お茶類が出してあり、自由な雰囲気が良かったです。食事は作り手の勤務体系の都合で昼だけが温かいものでした。毎朝母乳が出るからと甘くて温かいオートミールのような飲み物を出されました。

○ 退院後は
退院後1・2週間で保健婦が自宅に来ます。カウンセリングをしたり、衛生状態や新生児の成長をチェックしたりするためで、このとき悪いと判断されたり、親が助けを求めたりするとヘルパーが来てくれるそうです。

・国の補助金
出産後約32,000kr、月々約800kr、3歳以降は金額アップと聞いています。保育園や幼稚園に預けない場合は1歳から更に3,000krほど補助金が出るそうです。1年間の育児休暇は有給無給でもう2年取れると聞いています。

○最後に
日本での経験がないので比較が出来ませんが、結果としてはこちらを選択して良かったと思います。
日本では妊婦への指示が細かすぎて、うまく行かないことによるストレスが大きいですが、こっちの妊婦は平気で20kg以上太るし、退院後その足でスーパーで買い物してたりします。
新生児の扱いも大雑把で緊張する場面がありません。赤ちゃんが想像以上に丈夫に出来ているものだと痛感しました。
何事にも自然体ですが、必要な人へのフォローはしっかりしています。検診・予防接種の度に保健婦や医師が丁寧に心配ごとや育児について答えてくれます。育児に対して急がすようなところがなく、親としても気持ちが非常に楽です。

以上が現在思い出せるだけのレポートです。
感想は別にありますがまたの機会にしたいと思います。

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エッセイ【8】
ハルデン便り(その4)
お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

職場のことなど

私は、ノルウェーの国立エネルギー関係の研究所で研究員として働いています。
研究所の扱うエネルギー源は、石油と原子力で、ほぼ両者に半々の研究資源が、投入されています。

ノルウェーは、北海油田の一部を所有する産油国です。このため、石油採掘などに関わる様々な技術開発が、必要とされることに不思議は無いでしょう。

私個人は、原子力に関わる研究に従事しています。
ノルウェーは、原子力の平和利用の研究を、50年以上前にスタートした、いわば原子力研究の先進国で、私が学生時代から名前を知っていた世界的な研究者も何人かいます
水力に恵まれているノルウェーには原子力発電所はありませんが、研究用原子炉が2基、シェラー Kjellerハルデン Halden で稼動中です。

私が、日本からノルウェーに転職して最も印象的だったことは、いろんな意味での、職場の環境の違いです。どちらがどう、ということは言うつもりは、無いのですが(でも言ってしまうことになりますが)、比較してみるのは面白いかもしれません。

ノルウェーにある私の今の職場では、研究員には個室が与えられ、一応勤務時間の概念はありますが、仕事のやり方は、完全に個人の裁量に任されています。
研究成果さえ得られれば、そして多分、法律も守っていれば、その他のことに、職場は一切干渉しません

ただしここで、研究成果が、それぞれ専門の市場で売れることは、重要な条件です。服装なども、暑ければ短パン上半身裸でいても、何の問題もありません。
このような職場環境は、明らかに、ノルウェー社会の性格を反映したものです。

それに対して、日本で私が勤めていたところは(研究所と名乗っていました)、研究員が何十人か大部屋に机を置き、うれしいことに、息がかかるくらいのところに同僚の顔があり、電話がひっきりなしに鳴り、たばこの煙が絶え間無く漂い・・・というものでした。

また、職場の幹部たちは親切なあまりに、勤務時間が終ってからもカラオケに連れていって何時間も付合ってくれたり、日曜日に運動会まで企画して遊ばせてくれたり、勤務時間外というのに会社の保養所にただで泊めて、私の専門性には全く無関係な(いわゆる管理者)教育まで、無料で受けさせてくれたりしました。

この教育で得た知識は、ノルウェーでは全く役に立ちません。(と言うか、日本のあの会社以外では役に立たないでしょう。)

恐らく日本では、調査の結果、運動会やカラオケによって研究者の生産性が向上するということが分かったのでしょう。いや、皮肉ではなく、それ以外にどういう説明が可能でしょうか?
もちろんこれも、日本社会のあり方が、職場環境に色濃く反映している現象です。

日本でも労働市場が確立し、研究活動の目的がキャッチアップであった時代が終ったことを自覚すれば、少しは変るかもしれませんが、それを待っていられるほど人生は長くはありません。(カラオケの他に)やるべきことが多すぎます。

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エッセイ【9】
西ノルウェー便り(その3)
ノート

                         西ノルウェー(Vestlandet)在住・Rさんより
郷に入りては郷に従え

先日、アメリカ人講師Dr. Smith(仮名)がキレてしまった。
...と言うほど大袈裟でもないのだが。
毎日毎日、同じ状況にさらされると、それが当たり前になってくる。その出来事が、ごく普通のことになる。私が今、取り上げようとしている「状況」とは、講義中の携帯電話である。
ここ3・4年で、携帯電話の普及が、かなり広がった。小学生では、まだまだ持っている生徒は少ないが、中学生になるとほとんどの生徒が持っているらしい。ホイスコーレでも、みな当たり前のように、携帯電話を持っている。

常識的に考えて、講義中は電源を切る、または呼び出し音を消すのが、普通であろう。もし、携帯電話が講義中に鳴ったりしたら、講師に対してだけではなく、他の学生に対しても迷惑だ。と、私は思うのだが、ここでは違う

講義中、学生の机の上には、ノートや教科書、プリントと共に、携帯電話が並ぶ。呼び出し音こそ最小、または消してはいるが、電話がかかってくれば、学生はその電話を受ける。
パターンとしては、電話を取りながら席を立ち、歩きながら”Hallo?”と電話に答える。答えながら外へ、出て行くのである。廊下で数十秒、話をした後、学生は再び教室へと戻ってくる。たまにそのまま、講義が終わっても、戻ってこない学生もいる。

最初の頃は、「そんなのあり?」と、電話を手に教室を出て行く学生を、見ていたものだ。携帯を片手に出て行く学生、それに対して何の反応も見せない講師。私にとっては、信じられない光景であった。
最近では、すっかり「当たり前」の光景になり、なんとも思わなくなっていた。

だが、アメリカ人Dr. Smithにとって、これは許しがたい行為であった。
思い起こせば、彼は去年の夏、この講義が始まるとき、「携帯電話の電源は切り、しまうこと。また、講義に関係のない新聞・雑誌等もしまって欲しい」と、私たち学生に訴えていた。その後も何度か、同じ台詞を聞いた。
よくよく考えると、Dr. Smithのお願いは、常識的にごく当たり前のことである。私は、日本で大学に通ったことがないし、今、日本の学校がどんな状況なのか知らないので、比較することは出来ない。
だが、私の高校時代を振り返ると(注:かれこれ何十年も前のことだ)、授業に関係のない新聞・雑誌等を、机に置いているのを先生に見られたら、怒られたものだ。そもそも、授業中に雑誌等を見るのは、いけないことだったような気がする。

かかってくる電話が、その学生にとって、どれほど重要なのか私は知らない
もし、電話にどうしても、でなくてはならないのなら、出入り口に一番近いところに座ればいいのに、そういう人に限って奥のほうの、後ろのほうの席に座っている。だから、電話を手に教室を横切って出て行くことになり、講義の邪魔になる。

先にも書いたが、私はこのような状況にすっかり慣れてしまい、それほど気にも、とめなくなっていた。でも、Dr. Smithは怒った。そして最後にはあきらめてしまった。何度言ったところで、ノルゲ人学生は電話を手に教室を出て行く。私は、彼に同情してしまった。
Dr. Smithが怒ったとき、ノルゲ人学生の一人が「もしこの行為がよくないと思うなら、学生を罰するべきでは?」とDr. Smithに言った。
Dr. Smithは、「いかなる人間も、罰することはできない。これは、罰を与えるという問題ではなく、態度・心構えの問題だ。誰も他人に対して、判断を下すことは出来ない。」といったようなことを言った。

Dr. Smithが、私と同じように考えているかどうかは別として、彼の言葉は私を非常に納得させた。私は今、ノルゲにいる。私がもつ価値観や美徳は、ここでは通用しないし、日本と同じ意味を持たない。私が「何て失礼な!」と思うことも、ここでは失礼ではなかったりする。

最近私は、ここで遭遇する出来事に対して「よい/正しい」・「悪い/間違い」と判断を下すことが出来ないでいる。なぜなら、ここはノルゲで、私の価値観とノルゲ人の価値観は、基本的に違うからだ
日々考えているわけではないが、時々何が美徳で、何が正しいか、混乱してわからなくなってしまうのであった。

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エッセイ【10】
ノルウェーでの妊婦生活 その 1
お姉さん

                               オスロ市郊外在住・Kさんより

前回、「保育園実習日記」を書いたKさんからのエッセイ。


“やったー!” 念願だった、妊娠検査薬陽性!現在は、妊娠30週めに入り、立派にお腹も大きくなり、babyも毎日元気に動いています。
今は、だいぶ精神的にも身体的にも落ち着きましたが、妊娠初期の頃は初めての妊娠、ノルウェーと日本の医療制度の違いなどから、よくパニックになっていました
そこで今回は、これまでの妊婦生活の中から、少しずつお話したいと思います。ただ私は、日本での妊婦経験がないので、ノルウェーのと比較できませんが・・・。

          ノルウェー人に対しての初怒り!!

妊娠検査薬で陽性が出ても、それが本当なのかどうか半信半疑でしたし、下腹部に痛みがあり不安だったので、早くお医者さんに見てもらいたいと思い、予約を入れました。
その時は、予定生理日が遅れてから8日程たった頃でした。残念ながら、いつも見てくださる先生は予約が一杯で、仕方なく時間のある先生に見てもらう事になりました。(それが間違いの始まりでした

* こっちは、日本と違って必要な時に、その症状に合った病院(私の場合だったら産婦人科)に行くという事はめったになく、とりあえず一般医、全ての症状を受け付ける医者に行きます。しかも予約をしてから
緊急の場合は、すぐに見てくれるのでしょうが、そうでない場合は、何日か待つのが当たり前です
また、自分の主治医が毎日診察していない時もあるので、緊急時に主治医がいない場合は救急病院に行ったりします。

診察当日。日本の妊娠大百科に書いてある通り、尿検査のためにトイレに行くのを、我慢して、私は先生と呼びたくないのであえてつけません)に会いました。
Nは一通り私の話を聞いてから、“市販の妊娠検査薬は、99%確実だから、間違いなく妊娠でしょう。下腹部の痛みも気にしなくて大丈夫。今はまだ、赤ちゃんが小さすぎるので、4週間後に、いつもの先生の方に予約を入れて、また来なさい。”、で終わろうとします。

私も主人も目が点状態。そこで主人が、尿検査をして、きちんとした妊娠確定をしてほしいと頼んでくれたので、Nは、しぶしぶ尿検査をしてくれました。
検査室に尿検査を持っていくと、看護婦からNの指示を待つように言われました。しばらくしてNが、診察室ではなく、廊下で私達を呼び止め 、“おめでとう!陽性結果が出ましたよ。次回の診察の予約して下さいね。じゃ、さようなら!”、と言って去っていきました。

私は大パニックです。日本での妊娠経験がないので、詳しくは知りませんが、でも、日本の本に書いてあった最初の健診内容とは、全く違うし、しかも健診が始まるのが4週間後!!おまけに、ノルウェーで妊娠した友人から、妊娠の場合は初診料100クローネを払うだけで後は無料!と聞いていたのに、ここでは、診察と検査料金として170クローネも取られるし

詐欺にあったような気持ちです。言葉が出ないくらい、怒りがこみ上げてきて・・・、でもその怒りは、可哀相に、主人に当てられたのでした。
でもこの時ほど、ノルウェー人に対して怒りを感じたのは、後にも先にもありません

優しい主人は家に戻った後、私の八つ当たりに耐えながら、今後の事を話し合ってくれました。その結果、保健所で働く助産婦さんに、予約を入れる事になりました。

つづく

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