人々の生活


●夕食、できた?

基本的に以前も書いた話を繰り返して書くのは、恥ずかしいので好きではありません。
今日これから書くことは、「わたしのノルウェー留学」と重複する内容があります。
ですが、この本自体、読んでいる方が少ないと思うので、「年寄は同じ話をしたがる」だと思ってご容赦くださいませ。

さてノルウェー人の夕食の時間。
早いです。
こんな話、聞いてことありませんか?
「スペインでは、夕食を22時頃に食べるらしいよ。だから、19時くらいにレストランなんか行ってもガラガラなんだって」
これはラテンのライフスタイルです。朝食はたっぷり
ゲルマンは違います。

まず、がっつりした朝食を食べ、ランチは軽め、そして夕食は・・・。

最初に留学した西ノルウェーのVoldaでは、大学の先生が可哀想な外国人学生たちのために、ノルウェー人の家庭訪問を企画してくれました。
私はアメリカ人の留学生と、とあるノルウェー人家庭に「土曜の19時にいらっしゃい」と招待を受けたのです。

当然私は、「やった~、おいしいお料理がごちそうになれる!」とお腹を空かせて赴きました。
大きくて素敵なお宅です。山の上で眺めも最高。
感じの良いご夫婦は、私たちのためにゆっくりとわかりやすいノルウェー語で話してくれました。
お茶が出て、お行儀よくすすります。
「そろそろ夕食の準備に立つかしら?お手伝いしたほうがいいかな?」と内心考えながら・・・。
でも、ご夫婦はキッチンに目を配る様子は一向にありません。
空腹が限界にきました・・・。でもまさか「あの、お夕食は?」なんて聞けません。
やっとケーキが出てきました。ケーキかよ!!と心の中でシャウトしました。
ぐっと咆哮を我慢して、楚々と頂いたことは言うまでもありません。
夕食の買い出し
19時の招待。
これは完全に「夕食後のお茶の招待」だったのです。
それを誤解してしまったので、悲喜劇が生まれました。
思えば学生寮のノルウェー人たちも、とんでもなく早い時間に夕食を作っていました。
帰宅してからですから、15時とか16時とか。
日本で19時とか20時に食べていた私は、本当に驚きました!
で、私だけ遅めに共同キッチンで夕食を作っていたのですが、その時間には誰もいないし、寂しいなぁ~と感じました。何よりノルウェー語での会話ができなくて、物足りません。
そこで、妥協することにしました。
私も15時とか16時に夕食を作るようにして、1人で食べる寂しさから脱却したのです。
人って環境の動物ですよね。
次第に胃袋も慣れてきました。19時は食後のティータイム?はい、もう大丈夫。
Takk!
13時半に食べた高齢者センターの夕食
もっと早く夕食を食べる人たちもいるみたいです。
日本人の知人は、やはりすごい田舎に留学し、おばあさんの家に下宿していました。そこのおばあさんは14時に夕食を食べていたそうです。
あと、昨年・今年と実施した「ノルウェーツアー」では、オスロの高齢者センターを訪ねたのですが、夕食の時間は13時半でした。

こうなると「夕食とはなんぞや?」という疑問に当たります。
朝・昼・夜食とコールドミール(オープンサンドなど)を食べるのが一般的なノルウェー人。夕食は唯一、温かい食事です。
この「温かい食事をとりあえず1日1回は最低食べましょうね」というのが、ノルウェー人の夕食=middag(ミッダーグ)なのでしょう。もともとmiddagは、「1日の真ん中」という意味もあります。
だから、13時台や14時台に食べる方が、伝統的に正しいのかもしれません。

料理は上手な人が担当・できあいのお惣菜増殖中では普通に働いているノルウェー人は何時に夕食を食べるのでしょうか?
平均的な勤務時間は8時~16時です。
東京よりは通勤時間が短いノルウェー。また、夕食の内容も、ゆでたじゃがいもを付け合せに、お魚やお肉料理、パスタ、はては冷凍ピザとあまり調理に時間はかかりません。
早い人で17時頃、17時半、18時、18時半・・・。19時には、食後のコーヒーを飲みながら、NRK(ノルウェー国営放送)のニュースを見るのが平均的なスタイルでしょう。

これで就寝まで何も食べなければ、ノルウェー人、もうちょっとスマートになれると思うのですが、「夜食」という悪しき習慣があります。
「お腹がすいたら眠れない」って、それ科学的に逆だよね、と何度、諭してみようかと思ったことか。
でも「郷に入れば郷に従え」という日本的美徳に従い、肥満の恐怖に怯えながら、数えきれないほど夜食に付き合いました。

私、典型的な「和顔」ですが、少しゲルマン的になってきたかも。
だってここ東京で、夕食は17時に食べますから。でも夜食は、Nei, takkです!

(更新日:2012年11月21日)

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●お願いだから私をスキーに連れて行かないで

さて、私のノルウェーで撮った写真の中に、スキーに関係したものは1枚もありません。
どうして?
はい、私はノルウェーで2回冬を過ごしたのにも関わらず、スキーをしなかったからです。スキーを履いて生まれてくるノルウェー人
ウィンタースポーツの国、「ノルウェー人は足にスキーをつけて生まれてくる」と言われるノルウェーにいながら、なぜ?といぶかしがる方も多いでしょう。
どうして?
はい、私はとんでもなくスキーが下手だからです。
神奈川の海の近く出身で、雪とは無縁に育ちました。
大学生になると、当時の流行でスキーに行ってみましたが、全然滑れません。
残ったのは恐怖心ばかり。リフトから降りることすら怖かったくらいです。
「やっぱりスキーは生まれと育ちが違うとダメなのね~」と早々に見切りをつけました。

最初に留学した西ノルウェーのヴォルダでは、もう10月に初雪が降りました。
気づけば学生寮の共有スペースや廊下に、スキー板やブーツが当たり前のように鎮座しています。
でも不思議なことに、共同キッチンを使っているノルウェー人は、誰一人としてスキーをせず、「スキーに行こうよ」と誘われることもなかったのです。「スキー?う~ん、そういえばあったね、そんなもの」という感じで、ちょっと拍子抜けだったほど。

そんな「恵まれた環境」だったのですが、強烈に覚えていることがあります。
近所を車で走っている最中、どこかのスキー場のリフトがちゃんと座れるリフトの形状ではなく、単にT字形の棒だったこと。こんな頼りない棒にまたがって、山をあがれって言うの?
恐怖心が増したことは言うまでもありません・・・。

あと記憶に残っていたことと言えば、週末のテレビはクロスカントリーの中継を延々と放送していたことでしょうか。
日本のテレビも冬になると週末はマラソンをしょっちゅう中継していますが、それにしてもノルウェーのテレビを使った「スキー洗脳」ぶりはすざましいものがありましたね。
おそるべし。

憧れと恐怖の雪山オスロに留学した時は、同じクラスのエストニア人のクラスメイトとそのデンマーク人のボーイフレンドにしょっちゅう「スキーしようよ」と誘われました。
アルペンではなく、クロスカントリーです。
「板がないし、ウェアもないし」と断ると、「そんなの貸すよ」とどこまでもお気軽モード。
確かにクロスカントリーはアルペンに比べると、恐怖心は少なくて済むかもしれません。
歩くだけですもんね。
でもたとえオスロと言えども、地形にアップダウンはあります。
もし転んで足を折ったら?
大学へ通えない→講義が受けられない→試験に落第する→不本意に帰国せざるを得ない、とお得意の「ネガティブ連鎖」が頭を駆け巡りました。
申し訳ないけど誘われるたびに、「ごめん、私には無理」と断り続けました。
でも1パーセントくらいは、「ちょっと滑ってみたいな」という気持ちもありました。

ただ、オスロの人たちは気軽にスキーを楽しんでいる様子はわかりました。サンタさん、スキーが滑れる能力をください
街中を走る地下鉄にスキー板を持って乗り込んでいる風景なんて、東京ではそうそう見られませんよね。
仕事も16時には終わりますし、長い夜をクロスカントリーで楽しんでいるのが分かりました。
あとノルウェー人の車は、上にスキー板が載せられるようになっているものが目につきましたね。

そして今年の夏、ノルウェー在住7年の日本人の友達が「とうとうスキー板買っちゃった!」と笑顔で報告してくれました。
彼女も頑なにスキーをしない生活だったみたいですが、「長い冬をもてあまし」、スキーに挑戦をしたようです。
私もそれくらい住めば、クロスカントリーをへっぴり腰で始めたでしょうか?

頭ではわかっているんです。
ノルウェーでは絶対にスキーをした方が楽しいってことは。
毎週末やイースター(ポースケ)に、セカンドハウスのヒュッタにオレンジとKvikk Lunsjというチョコレートを持って(この2つはスキーのお供)、スキーに出かける生活。
ちょい日焼けなんかしちゃって、上手なノルウェー人のスキー姿に見惚れたりなんてしちゃって。
くぅう・・・。

来世では、小さい時からスキーエリート教育を受けて、リベンジします!

(更新日:2012年12月19日)

ノルウェーではTバーリフトが普通ですよ/老いも若きもスキーで散歩(@Yoko管理人)

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OnとOffの切り替え

OnとOffの切り替え・・・。
これが上手にできる人って憧れますよね。人気のお散歩コース
私の場合は、家で仕事をしているフリーランスなので、この切り替えがなかなか難しいです。
食事の支度をしながら、「あ、あのメール出さないと!」とPCに走ったり、レッスンがない日が週に1日あるのですが、結局、ダラダラと作業をしたり・・・。
あ、あと週末もレッスンがあるので、「金曜の夜の解放感」とやらは全くありません。

ただ私の場合は、昔からOnとOffの切り替えが大して上手じゃなかった気がします。
それはノルウェーに最初に留学した時から感じました。

話によると、ノルウェーの小学校~高校はそれほど勉強していない、しなくても大丈夫らしい(もちろん例外もあるでしょう)。
ですが、私が留学した最初のカレッジも2度目の大学も、とんでもない量の試験範囲でした。
普段から予習と復習で青色吐息でしたが、試験前といったら・・・!もう自分で作ったノートみて、「こんなに読まないといけないの~」と泣きそうな気分でした。
平日は学校から戻ってきたら自室で勉強。週末もひたすらこもって勉強という、まるで日本の受験戦争のような体制で臨んでいたほどです。繁華街も歩行者多し

ですが、同じキッチンを使っているノルウェー人の学生たちの様子は少し違っていました。
試験前、さすがに金曜や土曜日夜の大騒ぎパーティ(というより酒飲みタイム)は自粛していました。
日曜日の午後、キッチンに用があって行ってみると、「これから散歩に出かけるんだ」と何人かで出かける様子。学生寮の近くには湖と森があるので、格好の散歩コースだったのです。
「ずっと勉強ばかりしないで、新鮮な空気が必要だよ!」と、今思えば「ノルウェー人らしさ100%」のセリフを言っていましたっけ。
はい、ノルウェー人は「新鮮な空気」=frisk luft を常に求めています。

仕事帰りにカフェで一息日本の受験戦争の洗礼を受けていた私は一緒に散歩に出かけようという気持ちは起きず、「ひたすら勉強」スタイルを堅持していたのですが、でもずっと集中力を維持するなんて無理。「私も散歩に出かければ良かったかな・・・」と、散歩から笑顔で戻ってきた隣人たちの顔を見て後悔しました。

なので2回目の長期留学@オスロ大学では、日曜日の散歩スタイルは試験前でも崩しませんでした。
思えば私はノルウェー語を勉強に留学したのであって、ノルウェー人と話しながら散歩も立派な「勉強」だったなぁ、と。発音を直してもらったり、新しいボキャブラリーを習ったり。勉強って机の前でするだけじゃないですよね。

ノルウェー人だって勉強します/図書館にてこうしたノルウェー人のOnとOffの使い分けは、社会人になっても上手に続けていますね。
3週間くらい取っちゃう夏休みなんて、最たるものでしょう。
みんな、まず休暇の予定ありきで仕事のスケジュールを組んでいる感すらあります。
あと、週末もしっかり休みますね。
ていうか金曜日の午後から、もう「休みモード」に入っているノルウェー人も。
以前、日本で働いていたノルウェー人は「金曜日は14時に仕事を終わりにして欲しい」って言っていましたね~。真顔で。

週末は、この季節はスキー(クロスカントリー&アルペン)などのウィンタースポーツを盛んにしているでしょう。セカンドハウスのヒュッタに行って、スキーはまさに「王道の休みの過ごし方」です。
土曜や日曜は、ただでさえ早い夕食時間をもっと早めにして、特別においしい料理にするお家も多いですね。

OnとOff。
Offで得たインスピレーションやアイディアをOnの時間に活かすことも可能でしょう。
そして次のOffを楽しみにOnの時間に集中する、このメリハリがノルウェーらしさと言えると思います。

(更新日:2013年1月15日)

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ノルウェー人とテレビ

仕事をしているノルウェー人の帰宅時間は、平均的日本人よりも早いと断言できます。
16時には仕事を終えて、すぐに帰宅するのが一般的。
仕事終わりに一杯ひっかけて、という習慣は、外で飲むのは高いし、家族を大事にするノルウェー人にはあまりそぐわないのです。
では帰宅してから何をするか?
夏だったら散歩に出かけたり、冬だったらクロスカントリースキーをしたり、もアリですが、もっと身近な娯楽は「テレビ」でしょう。

またまた昔話で恐縮ですが、95年に西ノルウェーのヴォルダ・カレッジに留学した際のこと。
その頃は、みんな自室にテレビがある、という感じではありませんでした。
ですが、私が知人から余ったテレビを借りて、共同キッチンに置いたら、隣人たちのライフスタイルが一変しました。「テレビ中心の生活」にです。
民放のお天気お姉さんは華やかテレビのせいなのか、アンテナのせいなのか、チャンネルは国営放送のNRKと民放のTV2しか映りません。
若い隣人たちは、ノルウェー語の多いNRKよりも、アメリカのドラマやエンタメ番組をたくさん放送するTV2ばかりを選んで観ていました。

お蔭さまで、私はすっかりノルウェーにいながらアメリカのドラマに詳しくなる、という皮肉な結果になりました。
当時は、ジェニファー・アニストンを一躍、人気者にした「フレンズ」や「X-ファイル」が人気でしたね。
ノルウェーのテレビでいいところは、吹き替えにしないで、字幕で放送してくれること。なのでノルウェー語を勉強している身には役にもたちました。
「へ~、この英語はノルウェー語ではこう表現するんだ」みたいな感じで。
もっともスラングが多い番組で、知らなくてもいいノルウェー語を学んでしまった感もあります。

ノルウェーのテレビは、長年、国営放送であるNRKの独占状態が続いていました。
初めての民放局のTV2が誕生したのは、ようやく1992年になってからです。
現在では、TV NorgeとTV3と民放が増えました。
テレビ撮影中!あまりにもアメリカの番組ばかり流すから、ヴォルダ・カレッジでテレビ制作専攻の学生に、「テレビの勉強をしてどうするの?字幕を作る仕事しかないじゃない?」と皮肉を言った覚えがあります。
ですが現在はTV2もTV Norgeも、昔に比べ、「アメリカ依存」が減ってきて、自前で番組を作るようになりましたね。

あと昔と今で異なるのは、放送時間が段違いで長くなったこと。
95年当時は、15時とか16時にならないとNRKはちゃんとした番組を流していなかった記憶が・・・。民放はひたすらアメリカ物の再放送です。
でも1999年にオスロ大学に留学した際には、朝のニュース・情報番組を流すようになっていました。「これってスウェーデンのテレビの影響?」って勘ぐっちゃいましたよ。(蛇足ですが、この頃はほとんどの学生が自室にテレビを持っていました)

そう、ノルウェー人は結構、スウェーデンのテレビを観ているのです。
理由はシンプル。スウェーデンのテレビの方が明らかに面白いから。
そして朝のニュースや情報番組は、スウェーデンの方がもっと前から放送していて、「さすがスウェーデン人!」と感心した覚えがあります。
ノルウェー人がスウェーデン語の理解力が高いのもテレビのお蔭と言えましょう。

さて、もうここ何年もの傾向について触れましょう。
ノルウェーのテレビで圧倒的に人気があるジャンルは、「リアリティ番組」です。
日本でも以前、「あいのり」という番組が人気でしたが、あんな風に見知らぬ男女が、離島とかに行ってくっついたり離れたりする番組が安定した人気を誇っています。
最初はアメリカのリアリティ番組を放送していましたが、最近はノルウェー産を作るようになりました。
こうしたリアリティ番組に出ると、素人さんがいきなりタブロイド紙に大きく取り上げられる「セレブ」になることだって可能です。
それにしても、なぜあれほどノルウェー人が「リアリティ番組好きなのか?」。
これはぜひ社会学者にでも論じて欲しいテーマです。

(更新日:2013年2月20日)
リアリティ番組出演中の素人さんたち/大祭典~ユーロビジョンコンテスト~

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マンション購入~きっかけはノルウェー~

時をさかのぼること、2004年。
当時の私は普通に会社勤めをして、都内のワンルームの部屋を借りていました。
場所が良かったので、20平方メートル以下なのに、結構な家賃を払っていましたね。

勤め人の性(さが)として、夏休みはそんなに取れません。rekkehusの庭
それでも何とか1週間くらいの休みを取って、ノルウェーへと旅立ちました。

いつも居候させてもらっている1人暮らしの友達の家は、200平方メートル近くあるテラスハウスです。テラスハウスは、ノルウェー語ではrekkehus(レッケフース)と言います。同じ間取りのお家がくっ付いていて、専用庭もあります。
私はなぜかrekkehus が好きですね~。
滞在中は他のノルウェー人のお宅にもお邪魔し、それにしてもスペーシーな空間だなぁと感心しきり。
夏なので、庭に出て食事をしたり。いつまでも沈まない太陽を眺めて、「あ~、人生っていいなぁ」としみじみしました。
オスロの高級住宅地の豪邸
さて帰国日が近付くにつれ、段々、現実に戻っていく感覚でした。
休み中に仕事はたまっているし、通勤電車は面倒。
暗い気持ちで帰国便に乗ったことを覚えています。

そして自分の部屋のドアを開けてびっくりしました。「こんなに狭かったっけ!」
ドアを開けると、ミニキッチン、1つだけの部屋がまるで圧迫するように、私の目前で悲しく広がっていました。
スーツケースを苦労しながら開けて、改めてノルウェーの住環境との違いを痛感します。
そして、その夜はこの空間に我慢できず、1人で近所のシティホテルに泊まってしまったのです。
この時の心境は「現実逃避」だったのでしょう。
ベルゲンの可愛いい家並み
「この狭い空間から抜け出したい!」
その日から、私のマンション購入計画(さすがに戸建ては現実的ではありませんでした)がスタートし、時に姉夫婦に付き合ってもらったり、または一人でどんどんマンションの内覧に出かけました。

女一人マンション・・・。
何かもう行きつくところまで行った感がありますが、その時の私は「引っ越すんだ!」と鼻息が荒かったですね。
ノルウェーの住環境には及ばないけれども、ともかくもっと広い空間に住みたいという気持ちが、勝っていたのです。

そして今。
あの時に探して気に入ったマンションで暮らしています。もちろん住宅ローンはありますよ!
今まで何人かノルウェー人が遊びに来てくれました。ノルウェー人からすれば狭い部屋かなぁ、と思っていたのですが・・・・。最近の特にオスロでは昔では考えられないような狭小アパートが出ているようですね。極端なところだと17平方メートルに2人でシェアみたいな。
そんなこともあって、「いい部屋だね」と誉めてもらえることが多いです(お世辞もあるでしょう)。
あとほぼ全てのノルウェー人がする儀式が、リビングの窓を開けて眺めをチェックすること。部屋は高層階にあり、前を遮る建物はないので、「景色がいいね~」とご満悦。
たまに聞かれるのは「なんでベランダにテーブルと椅子を置かないの?」って。
いやいや、ベランダ、狭いですから。あなたたちとは違います!
夏のホームパーティー/絶景のバルコニー
・・・と、ノルウェーの素晴らしい住環境が私の人生を変えてくれました。
はい、住宅ローンのしっかり付いた私の人生です。
それでも感謝していますよ、Tusen takk !

(更新日:2013年4月19日)


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Julebord(クリスマスのテーブル)~ノルウェー版“忘年会”~

ノルウェー人は「jul」(ユール)という言葉を聞くだけで、テンションが高くなります。
意味は・・・「クリスマス」ですね。
暗い冬、クリスマスのデコレーションは、気持ちを明るく温かくしてくれます。

この「jul」にちなんだ単語に「julebord」(ユーレボール)があります。
直訳すると「クリスマスのテーブル」になりますが、何のことだと思いますか?
ざっくり言うとノルウェー版「忘年会」です。
立食スタイルのパーティー大体、同じ勤務先の人たちがいつもよりドレスアップして、ホテルやレストランに集まり、ご馳走を食べ、たくさんアルコールを摂取し、そして・・・・飲みすぎて大騒ぎになったり、最悪の場合は喧嘩になって警察沙汰になったり・・・という「愛すべき」行事です。

アルコールが高くつくノルウェー。
julebord は職場にもよりますが、会社もちのケースも多く、そうするとノルウェー人のテンションはさらにUP!
「タダ酒が飲める~」と、当然でしょ!とばかりに杯を重ねてしまいます。
日本大好きのノルウェー人の知人は、いつも12月に来日していたのですが、その理由が「騒々しいjulebord に参加したくないから」だったので笑ってしまいました。

私はノルウェーで仕事はしたことはないのですが、最初に留学した西ノルウェーのカレッジのクラスメートが「julebord をしよう!」と呼びかけ、田舎町で1軒しかないまともなレストランでクリスマス料理を食べた記憶があります。
みんな外国人=非ノルウェー人だったのですが、誰ひとり飲みすぎて暴れることもなく「私たちはノルウェー人より、よっぽどお行儀がいいよね」と讃えあったものでした。

Lutefiskさてこのjulebord は、以前から興味津々でした。
食べ物はなぜか「Lutefisk」(ルーテフィスク)が一般的です。
Lutefisk は、乾燥タラを専用のアルカリ溶液に浸けて半透明なゼリーのようになった状態が販売されていて、それを茹でて、ベーコンや豆のソースをかけて食べます。
私は一度しか食べたことがないのですが、魚自体には味がなく、非常にシンプル。
これに5000円近く払って食べるのは、はて?と正直、感じたほどです。
ノルウェー人の友達曰く、「元々、lutefiskは貧しい人のための食べ物だったのに、今ではjulebord で高いお金を払って食べるスノッブな料理になった」とのこと。

またjulebord は、どうも「職場の集い」というイメージが強いです。
日本ほど、同僚たちと飲みに行く機会が多くないノルウェー。
なので少ない機会にスパークしよう!という気合で臨んでいるのかもしれません。
11月になると、あんな寒いノルウェーで、肩だしドレスやワンピースがブティックのショーウィンドウに飾られていて、「これ誰、着るの?」とフシギでしたが、そのドレスの上に何枚も着ぶくれして、足はがっちりしたブーツでもドレスアップしたい女心が、今では理解できます。

ですが、julebord は職場だけではなく、友人たちとの集いでもあるのです。
最近、ノルウェーの友人から興味深いエピソードがメールにつづられていました。

私より何歳か年上の彼はオスロの高校3年生の時に、クラスメートの男の子たちと、「そうだ、julebord してみようよ!」と盛り上がり、街で一番安いレストランでlutefisk を食べたそうです。
高校を卒業したら、大学へ行く人もいれば、兵役につくものもいる。これから、もっと大きな世界へ羽ばたく時期です。
それから彼らは、毎年、julebord に集まりました。
最初は8人ほどだったのに、今では30人くらいに増えたとのこと。
その間、仕事は成功し、私生活では、結婚し、離婚し、再婚した男性もいれば、ヘロイン中毒になってしまった男性もいたとのこと。
幸いにもその男性は、ヘロインを止めることに成功したそうです。
クリスマス料理のビュッフェ若かったころは、朝の7時頃まで飲み明かしていたそうですが、年を重ねるごとにどんどん早い時間にお開きになっているとか。
そしてレストランも最初は格安のところでしたが、どんどん贅沢なレストランに場所を変え、お互いに毎年、逢える喜びをとても感じている、とのことでした。

彼からのメールは、こう締めくくってありました。
「julebord は騒々しく始まるけど、最後は穏やかで平和な気持ちになれるんだ。まさにクリスマスだからね。」

多少の飲みすぎや羽目を外すのもご愛嬌。
いつまでも続けてほしい伝統が、このjulebord です。

(更新日:2013年11月22日)


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●生卵、食べますか?

ノルウェーの新聞を読んだとき、「あれ?」と思った箇所がありました。
ノルウェー人記者が泊まった日本旅館の朝食に「生卵」が出て、「日本はサルモネラ菌を心配することなく生卵が食べられる世界でも稀な国である」と書いてあったのです。

また先日、「人形町 今半」ですき焼きを食べている時、「生卵が苦手な外国のお客さんが多いですから」とお店の人が言っていて、「そうですよね」と相槌を打ちながら、再び「あれ?」と引っかかるところがあったのです。

生卵を食べる日本人は、世界的にも珍しい??

古くはシルベスター・スタローンの出世作「ロッキー」で「生卵」をいくつも入れて一気飲みするシーンがありましたが、あれは「精力剤」といった趣でしたね。

私の「あれ?」と引っかかるのは、なんでだろう?記憶の糸をたぐり寄せると、ノルウェーで何度か「生卵」を食べていたことを思い出しました。

もう何年も前、オスロの高級カフェの Theatercaféen (テアテル・カフェーエン)へ友達に連れて行ってもらった時のこと。「ここのオープンサンドはおいしいのよ」と教えてもらい、さて、どれにしようかな~と悩んでいたら、「タルタールはどう?」と勧められました。

「タルタールとは??」

タルタール分からない時は、勧めに従うまでです。わくわくしながら、料理が運ばれるのを待っていたら・・・
「おお??」と、そのノルウェーらしからぬ料理に目を奪われました。
生の牛ひき肉の上に「生卵の黄身」が鎮座し、ケッパー、玉ねぎ、赤ビーツやピクルスが添えられています。まず、ノルウェー人でも「生の牛肉」を食べるんだ~と驚きましたね。
友達から、「これを混ぜながら食べるのよ」と指導を受け、とりあえず、生卵とトッピングを混ぜながら、食べてみると・・・

「おいしい!」

すっかりタルタール = tartar が好物になり、ノルウェーではその後も何度か食べました。
この時は「生卵」が含まれることに違和感がなかったのですが、件の新聞記事や、外国人は「生卵苦手伝説」を耳にするにつれ、この tartar はどうなの?例外なの?と不思議に思った次第です。

改めて「タルタール」について調べたところ、「タルタールの神話」なる小さな記事を見つけました。
それによると、もともとタルタールは、アジアの遊牧民たちが生の馬肉を食べたのが起源とか。
しかし、これには諸説あるようで、本当はフランス料理の一品でヨーロッパ料理(事実、タルタールはヨーロッパのいろいろな国で食べられているそう)とか。

私は食の専門家ではないので、真実はわかりませんが、ただ少なくともノルウェーのオーブンサンドの中では、かなり異色な一品である、と断言できます。
ぜひお試しあれ!


2014年2月10日
norway yumenet official blog 140210より転載しました-

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●“smør”は大事!

さて今週は、オスロや東ノルウェーの子どもたち(小・中・高)はvinterferie(冬休み)。
(ちなみにノルウェーでは、秋休みや冬休みは、地域ごとにずらす方式です)
そのせいでしょうか、Facebookのノルウェーの友達は子どもたちとスキーに行っている写真をよくUPしています。

小さい子どもがスキーを履いて滑っている姿を見ると、あの有名なことわざを思い出します。

Nordmann ble født med ski på beina. 「ノルウェー人は足にスキーをつけて生まれてくる」

以前、新聞で小さな子どもを初めてスキーにトライさせる場合の「親の心得」が大きく特集されていました。
内容のほとんどは忘れてしまったのですが、強烈に覚えているのは、以下の警告です。

「正しいワックス選びは、親の責任である」

なにごとも、「ま、いいんじゃない?」とゆる~いノルウェー人なのに、ワックスに対するこの厳しい姿勢・・・。
下手すれば子どもの成績より、「ワックス選び」の方が大事な印象さえ受けます。

ワックスはノルウェー語で、smør(スムール)と言います。実は「バター」と同じ単語です。
開催中のソチオリンピックでも、新聞記事によくsmørの文字が目につきます。
クロスカントリーの選手が優勝すれば、「smør選びが成功した」と上機嫌なのですが、先週末くらいでしょうか、ノルウェーの優勝候補の選手が次々とメダルを逃しました。
決定的だったのは、男女クロスカントリーリレーでまさかの4位。
しかも優勝はスウェーデン・・・

もうノルウェーメディアは、ハチの巣をつついたように大騒ぎ!そして批判の矢面に立ったのが、「smør選び」だったのです。
タブロイド紙には、ついに「smørskandale」=「ワックススキャンダル」なる初めて見る単語が登場する始末・・・
スキー連盟側は、「うちは、世界最高のワックスチームだ」と反論。
スキーに全然詳しくない私ですら、「何だかこれは、一大事!」という気分になってきます。

smørとノルウェー人の関係性を示すエピソードがもう一つありました。
何年か前に、札幌でノルディック世界選手権が開催されていたことご存知でした?
日本ではそれほどメジャーな競技ではないからでしょうか、会場は残念ながら観客がまだらで、それに対してノルウェーのメディアは「信じられない!」と騒ぎ立てていました~。

ですが、ノルディック競技を心から愛するノルウェー人。
札幌開催を祝して、紙面には「一日一語、日本語を覚えよう」というコーナーができました。
「ありがとう」のような基本的な日本語を習字で書いて、日本に親しむという、まさにスポーツを通じた文化交流。
が、ある日の習字を見て、驚きました・・・!
そこには、大きく誇らしげに

ワックス

と書かれていました。会心の作、といった感です。

もう言葉はありません。
ノルウェー人、どこまでもワックス愛に生きてくださいね~。


●天気予報革命!

日本人男性がこよなく愛でる「女子アナ」や「お天気おねえさん」。
日本のテレビに慣れると、ノルウェーのテレビで驚くかもしれません・・・「え?こんなおばさんが司会?」「え?何、この色気のない服装?」
しかし、ノルウェーの天気予報に「革命」をもたらした女性がいます。彼女の名はSiri(シーリ)。

そもそもノルウェーはず~~とNRK(ノルウェー国営放送)の寡占状態が続いていました。
ようやくTV2という民放ができたのは、1992年!
それまでノルウェー人は「CMのないテレビ」しか知りませんでした。
私が最初にノルウェー語を習ったネイティブの先生は、「小さい時、コマーシャルが見たいから映画館に行ってたよ。映画を上映する前にコマーシャルを流すから」という話を聞いたとき、「共産圏みた~い」と、日本の商業主義にどっぷりハマった私は驚いたものです。

で、肝心のSiri。
彼女は新しくできたTV2の「お天気おねえさん」だったのです。
若い美人がブロンドの髪をなびかせ、方言丸出しで天気予報をしていたのですが、その姿は、当時のノルウェー人に衝撃をあたえたようです。
というのも、NRKはずっと冴えないおっさんが、かっちりスーツで気象予報をしていたのに慣れっこだったから。

私が最初にノルウェーへ留学した1995年。
Siriは人気者でした。彼女は、よくミニスカートを履いていたのですが、それだけでタブロイド紙は「Siriのスカートが●センチ短くなった!」と騒ぎ立て、「やれやれ」と日本人の私は苦笑。
「な~んてノルウェー人って可愛くて単純なの!」と。
同じ天気予報をを見ていた男子学生いわく「方言なのも可愛い」と・・・。すみません、私には聞き取りにくいだけなのですが・・・。
Siriはテレビだけではなく、ノルウェーで一番大手のタブロイド紙VGとも契約し、天気予報のページには毎日、彼女がいろいろな洋服を着てポージングを決めていたのです。

ただ、このSiriは単なる可愛いだけの「お天気おねえさん」ではありませんでした。
彼女は気象について大学で専門教育を受けた「気象予報士」でした。お飾りではありません。
かつビジネスセンスにも長け、自ら「気象予報会社」を立ち上げます。そこで彼女のように美人でかつ優秀な気象予報士を雇い、テレビ局などに派遣したのです。
彼女は、自らの「女性性」を生かしつつ、冷静かつ果敢にビジネスを展開し、成功しました。

今回のブログを書くにあたり、改めて「Siri」のことを調べました。検索ワードは「vær Siri」(天気 Siri)。彼女はそう呼ばれていたのです。
本名はSiri Kalvig(シーリ・カルヴィーグ)。
現在、彼女は大学に戻って「オフショア・テクノロジー」の博士課程の研究をしているとか。
ちなみにSiriのルックスはこのサイトから見られます。

ベルリンの壁が崩壊したように、ノルウェーの天気予報に革命をもたらした女性と言えるでしょう!


2014年2月28日


●冬休みの由来、秋休みの由来

日本は、世界でもトップレベルで「祝日」が多い国。「体育の日」、「敬老の日」、「海の日」などノルウェー人に説明しても「なに、それ?」って言われそうです。

休んでばっかりの印象のノルウェーですが、「祝日」自体は日本より圧倒的に少ないです。
Jul(クリスマス)、nyttår(新年)、17.mai(ナショナルデー)、その他、キリスト教に関連した祝日など。
その代わり、「長期の休み」は、大放出!という感じであります。

7月のノルウェー。ほとんどの人が夏休み。1か月近くは休んでいる印象です。
イースター休暇やクリスマス休暇も、それぞれ1週間くらいは取るでしょうか。

そして2月~3月は冬休み(vinterferie)の季節です。
これは小中高の子どもたちの休暇ですが、県によって休みの時期がずれていますね。
今年のカレンダーでみると、
最北のフィンマルクが・・・2/3-7
オスロ, 西、中央ノルウェー・・・2/17-21
ベルゲン、北一部・・・2/24-28
南ノルウェー・・・3/3-7

です。それに週末を加えれば、例えばオスロの場合、2/14-22までお休みです。
子どもが休みなので、それに合わせて親も休みを取る人、取れない人がいますが、大体は家族でスキーというパターンが多いみたいです。

ノルウェーのAftenpostenは、「ところで、どうして冬休みってあるんだろうか?」という特集記事を掲載しました。というのも、そんなことを考えるノルウェー人は、まずいないからです。
分かっているのは、冬休みは1930年代頃に始まっている、とのこと。
「わからないことはお年寄りに聞こう!」とばかり、トロンハイムの学校に通っていたボーディルさんに尋ねてみると・・・

「当時はツベルクリンが流行していたわね。だからスキーを滑れば健康になれる、と思っていた。そして天気が良ければ、校長先生が”休みにしよう”と決めてたのよ。」

なんか、ほのぼのしていて、いいですね~。 

   スキー

同時期では50年代に、高校生だったビョルンさんも当時の思い出を語ってくれます。
山スキーを楽しむために、当時の様子は・・・

「鉄道でスキーを送る場合、乗客と同じ日に到着する保証がなかったんだ。だから、最低でも3日前にスキーを鉄道で送る必要があったんだよ。今では、そんな決まり事は考えられないだろう?」

何にしても、お年寄りのお話しは「ふむふむ」と興味深いですね!

歴史家たちによると、「冬休みの制度はまず都市部の自治体から始まったようで、オスロの学校がまず先陣を切った」とのこと。
他にも興味深い歴史的事実が語られます。
「昔のクリスマス休暇は、12/21-1/10までと、とても長かった。冬休みを導入することによって、長すぎるクリスマス休暇を短縮することにつながった。」

こうして「冬休み」が始まったわけですが、休みの時期をずらすのは、「たくさんの子どもと親が山スキーができるホテルを利用するので、みんなが利用できるように配慮したため」だそうです。
子どもたちは小さなうちからスキーに親しみ、それがひいては、五輪の厚い選手層につながるのでしょうか?

で、「秋休み」(høstferie)についても触れましょう。
10月の初めに、やはり小中高の子どもたちが1週間ほど休みがあります。
6月半ば~8月半ばまで「夏休み」があり、ようやく学校が始まったと思ったら「秋休み」。
友達のJackに聞いたら、「何だかあんなに長い夏休みがあって、え?また秋休みって感じだったなぁ」と語ってくれました。
当のノルウェー人も「休みすぎ」と思っているようですが、実は「秋休み」の由来を調べてみると・・・

もともと「秋休み」は、「Potetferie」(じゃがいもの休み)と呼ばれていました。
昔の子どもたちは、ノルウェー人のソウルフード=じゃがいもの収穫を手伝うために、いわば働くための「休み」だったのです。

現在では・・・・はい、私の周りで「じゃがいもの収穫、手伝ったよ!」という声は聞きません。労働のための休みは形骸化し、単に「休み」として残りました。
やはり子どもと一緒に休んで、海外旅行へ出かける家族もいれば、ヒュッタで秋のノルウェーを楽しむ家族もいます。

今では当たり前のようにある「冬休み」と「秋休み」。それぞれの由来は、ノルウェーの歴史と深く結びついていて、面白い!と感じました。

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