ノルウェーの  児童文学と  女性文学について


立川市公民館主催の企画「女性セミナー2001"家族"パートU」の連続セミナーの一環で、同上タイトルの講演会が、3月10日(土)、立川市女性総合センター・アイムで行なわれました。
講師は、当サイトの発行責任者であるAokiです。当日は、実際に日本語に翻訳された児童文学やノルウェー語の絵本を持参し、朗読を交えながら、まだあまりなじみのない「ノルウェー文学」を紹介しました。



講演サマリー


1.はじめに

日本では、紹介される機会の少ないノルウェー文学。その背景として「言葉」の問題、また専門家・研究家が圧倒的に少ないことが挙げられます。しかし一度、ノルウェーの文学に触れてみると、その多様性、ユニークさに気付き、また、文学に描かれる家族像や自分探しに興味を覚える方も多いと思います。
今日の講演では、まず児童文学を、ついで女性文学を紹介します。ノルウェーの文学と聞いても、イメージがわかない方も、「スプーンおばさん」「ソフィーの世界」というタイトルを聞いたことはあるでしょう。児童文学では、ノルウェー語から翻訳されたものを中心に紹介しますので、講演後、そうした本に興味を持っていただけたら幸いです。


2.児童文学について

●作品からみる年代別の傾向

ノルウェーの児童文学の特色は、子供向け・大人向けの作品両方を書く作家が多いことがあげられます。まず最初に、戦後以降の傾向をふりかえってみましょう。

●戦後

児童文学花盛りと言われる期間。子供の数が増加、需要も増えます。また、ラジオの発展に伴い、子供向けのラジオ番組が爆発的な人気。ここから、多数の作家が誕生します。

まず、アルフ・プロイセン(1914-70)は、日本でもおなじみ「スプーンおばさん」の作者。方言を駆使した文体は、他の作家にも影響を与えます。彼は、また大人向けの小説も執筆。幅広い活躍をみせました。

アンネ・キャス・ベストリは、1920年生まれ。現在も、映画出演など活躍中。彼女のことを「ノルウェーのおばあちゃん」と形容する表現があるほど、知名度は高い。戦前の田舎を舞台にした児童文学とは異なり、彼女の作品では、オスロの郊外、新興住宅地が物語の中心になります。

ラジオから発展した子供番組は、後にテレビで「子供テレビ」(BarneTV)となり、現在でも国営放送で続いています。この番組があるおかげで、親が子供の世話から、ちょっと解放されるのは、いまだ変わりません。
ノルウェーの民話をはじめ、外国の優れたアニメーションや人形劇の紹介など、ノルウェー人に与えてきた影響は大きいです。余談ですが、以前、翻訳を手がけた「男女平等の本」の作者、アウド・ランボーさんのお母さん、ヒシュテン・ランボーさんは、このラジオ番組の主要な出演者の1人で、歌や語りを披露していたそうです。

●50年代

伝統的な児童向けの詩とは、異なる新しい詩が誕生。
インゲル・ハーゲループ(1905−1985)は、後半の女性文学でも紹介しますが、ナチス・ドイツのノルウェー侵攻に、抗議した詩を書いたことでも有名。1950年に、初めて児童向けの詩集「とっても変」を発表します。
今までの、児童向けの詩の特徴「教育的、教訓的な詩」とは大きく異なり、イギリスのマザーグースから、インスピレーションを得、言葉遊び、音やリズムの紡ぎ出す面白さを前面に出します。
「とっても変」の中から、「年老いたパン職人」を朗読します。

「年老いたパン職人」...インゲル・ハーゲループ
年老いたパン職人が住んでいるよ/ちっちゃな、ちっちゃな島に/パン職人はケーキやクリーム、ジャムにはもううんざり/なぜならね、まったくのひとりぼっちだから/このちっちゃな、ちっちゃな島にね/
小さな船や大きな船が、ポンポン鳴らしながら島を通り過ぎていく/そんな時、パン職人は、暖かいパン工房で泣きながら、白パンやクリスマスケーキを食べる/なぜならね、お客さんが1人も島に上がってこないから/まったくのひとりぼっち/このちっちゃな、ちっちゃな島にね/
むかし、むかし、年老いたパン職人が、ちっちゃなちっちゃな島に住んでました/パン職人は、とってもたくさんのケーキやクリーム、ジャムを食べ過ぎました/ついこの間、ダニッシュパンが積み上がった山の真ん中で死んでいました/そして今、このちっちゃなちっちゃな島には/パン職人はもういません

インゲル・ハーゲループの詩に影響を受け、その後、様々な詩人が「子供向けの詩」ジャンルに挑戦。彼女の息子、クラウス・ハーゲループも著名な作家で、特に、児童向けの作品が有名です。

●70年代

児童文学のテーマが広がりを見せる時期です。今までは取り上げられなかったようなテーマ、孤独、不安、移民社会の子供たち、などのテーマが取り上げられるようになりました。

トールモー・ハーゲン(1945-)は、90年にノルウェー作家として初めて、国際アンデルセン賞を受賞。北欧のみならず世界的にも評価が高い作家です。日本でも、これから紹介する「夜の鳥」、「少年ヨアキム」を始め、何冊か翻訳されています。

ハーゲンの発言は興味深いものが多くので、引用してみたいと思います。「私は一度も子供のために本を書いたことはない。子供について、そしてまた大人について書いているのだ」
この発言は、彼が自分の作品を「児童向け」と限定していないことを意味しているでしょう。実際、彼の作品は大人の読者も多いのです。

山口卓文さんが翻訳された「夜の鳥」「少年ヨアキム」(ベネッセ)は、ヨアキムという男の子が主人公。
学校の先生になったばかりの父親は、すぐに登校拒否を起こし、急に家から消えてしまったりと家族の不安の種。お母さんは、衣料店で働いていますが、本当は保母になる教育を受け、夢を実現するはずでしたが、その計画は、夫の登校拒否により頓挫してしまいます。
ふたりの息子、ヨアキムは、繊細で、どんなウソも信じてしまう少年です。家では、両親のいさかいに、学校では、いじめや友達つきあいに心を痛めています。
父親は、精神病院に入院し、退院後は、両親は別居、離婚へと話しは進んで行きます。ざっとあらすじを聞いただけで、「心踊る楽しいお話し」でないことは分かります。

ハーゲンは、次のようにも語っています。「自分自身の子供時代が実際、どんなものであったか忘れてしまった大人が多すぎる。子供の時はとても楽しく愉快だったと言う人は多い。だが、子供時代は悲しみや痛み、喪失感に満ち溢れている」
実際、私もこの本を読んでいる間、子供時代にこわかったこと、つらかったことを思い出しました。

ヨアキムは、いわゆる「よいこ」とは一線を画します。いじめっこたちに、いじめられないように、自分より弱い子のいじめに、消極的ながらも、加担してしまいます。その一方、、精神的に弱っている父親や母親を支える、といった様々な面をあわせもった性格になっています。
ほかの子供たちも、普段はいじめっこでも、優しい面を時に見せたりと「ステレオタイプ」ではない性格設定が、不自然でないのが特徴です。

また、これらの作品から時代の先取りが見えてきます。
ヨアキムの両親はいわば「できちゃった結婚」。子供ができたために、結婚しますが、まず父親が大学に行って教員になる間、母親が働き、父親が働き始めたら母が大学に戻り、自己実現を目指す、というライフプランは、以前では考えられなかったもので、社会の変化を映し出しているでしょう。
別居、離婚は、ヨアキムのとっても非常につらく、痛みをともなう経験ですが、ラストは、ほんのりと明るさが見えてきます。従来あった「別居、離婚」=マイナスのイメージとは、トーンが異なります。

●80年代

70年代は、「女性運動」の盛り上がりから、文学においても、「女性とは、女性の生き方とは」を問うものが多いです
70年代の終わりから、80年代にかけて、今度は、「男性の役割とは、男性とは」を問う作品が増えましたが、これから紹介する「家に帰れなくなったパパ」(徳間書店)は、その問題を児童文学に取りこむことに、成功しました。

作者のラグンヒルド・ニルスツンは1943年、ロフォーテン諸島出身。女性問題に関心を持ち、小中学校の教師を経て、作家へ。大人向け、子供向け両方の作品を発表。

本書、「家に帰れなくなったパパ」は、伝統的な父親像にこだわるお父さんの姿を、ユーモラスに描くことに成功しています。
主人公の「パパ」は、「仕事が忙しい」が口癖の、どこにでもいる典型的なお父さん。ある日、バスで乗り合せた男の子が発した、素朴な質問、「パパってなんの役に立つの?」に端を発し、「自分探し」の旅に迷走していきます。
少年の問いに答えられなかったパパは、すっかり自信を失い、家に帰れなくなってしまいます。紆余曲折を経て、過去の自分を思い出したりしながら、「父親とは、男とは」、といった自分を縛っていたものから、解き放たれ、今までとは違う「パパ」に生まれ変わります。

翻訳者は、ノルウェーの児童文学を数多く、翻訳・紹介した山内清子さん。昨年末、思いもかけず急逝されたことは、非常に残念です。生前、この「家に帰れなくなったパパ」が、とても面白かったと言ったら、とても喜んでくれたことが、印象的です。

●90年代

児童文学にも、当時の社会問題などが、投影されてきたことがわかりましたが、今から紹介する93年に発表された、「月の精」は、現代病ともいうべき摂食障害の一つ、「拒食症」がモチーフになっています。

作者のシャスティ・シェーンは、1943年生まれで、芸術が専攻。イラストレーターや、ジャーナリストを経て、絵本作家としてデビュー。その後、成人向け、児童向けの作品のみならず、推理小説を発表するなど、「オールマイティ」と称されるほどの女性です。前述の「男女平等の本」第3巻は彼女のイラストによるものです。

97年、中村圭子さんの翻訳によって、日本で出版された「月の精」(文渓堂)は、中学2年生の女の子が主人公。
ルックス、成績ともに恵まれた少女が出会う様々な葛藤―恋愛、友達付き合い、そして家族の問題が描かれています。
また、少女が拒食症にかかってしまうまでのプロセス、そしてまたバランスを取り戻すまでのプロセスが描かれていますが、ノルウェーでも、摂食障害は大きな社会問題の1つで、特に、若い女性がなりやすいこの病気の理解を深める役目を果たしているでしょう。

主人公のシンディは、明るい外面とは違った、内面にある暗い感情に悩みますが、父も母もそれぞれ「運動」や「買い物」といった提案しかできず、娘とちゃんと向き合うことを、無意識に避けています。両親の仲も、けんかが多く、特に拒食症になってからは、「自分のせいで、家族みんなの仲が悪くなってしまった」とシンディは、自分を責めるようになります。
信頼できるセラピストとの出会いによって、シンディは、家族の問題を自分ひとりで背負わなくていいこと、思っていることを飲みこまないで言ってもいいことを教わります。
シンディの母は、前述の「少年ヨアキム」のお母さんのように、今はお店で働いていますが、本当は大学に戻って勉強をし、やりがいのある仕事をしたいと思っていますが、自分からあきらめています。
現状への不満ばかりを言って、シンディに寄りかかる母に対し、シンディは思い切って大学に行くように言い、母も決心します。それでもなお、シンディに頼ろうとする母親に対して、「ママがわたしの子供なんじゃない、わたしがママの子供なの!」と今まで言えなかったことを、爆発させます。この以前とは異なるシンディの言葉に、彼女の内面の変化がみてとれます。

●特徴

最初の方で述べたように、ノルウェーの児童文学の特色は、「子供向けと大人向けの文学を両方、書く作家が非常に多いこと」だと専門家は指摘します。この特色は、すでに19世紀の作家から当てはまります。
このことは、作家たちが、あまり子供向け・大人向けとはっきり境界線を引く意識が低いことのあらわれではないでしょうか?実際、私が紹介した「児童向け」とみなされる作品群は、大人が読んでも退屈しないものばかりです。

最後に紹介した、トールモー・ハーゲン、ラグンヒルド・ニルスツン、シャスティ・シェーンの描く家族は、いわゆる「仲良し家族」ではありません。特に、ハーゲンとシェーンは、リアルに家族の問題を描き出していますが、大人から受ける子供の影響が、繊細に描かれています
ただし、2人の作家とも、登場人物に対しても、読者に対しても、いわゆる「教訓めいたお説教」をしません。子供の抱える問題、大人の抱える問題、双方に対して、読者が理解、または共感できる作品になっています。

●ユニークな絵本

前半最後に「絵本」というジャンルを取り上げましょう。「かわいい、きれい」な絵本とは異質な、「ユニークでシュール」な絵本を数々、作り出しているファム・エクマン
有名なスウェーデンの俳優一家に、1946年に生まれた彼女は、両親の離婚をきっかけに、ノルウェーへ。オスロの芸術アカデミーで教育を受け、イラストレーターから絵本作家へと進みます。シェーンと同じく、「男女平等の本」第6巻でイラストを担当

今日、持参した「おびえた猫」(未翻訳、92)は、犬におびえる猫が主人公となって、コミカルに描かれています。絵同様、テキストも面白いです。
彼女の絵本は、80年に日本でも、「小さなジルはどこへ行ったの?(偕成社)が出版されていますが、現在では品切れ。私自身、翻訳、または紹介をしたい作家のひとりです。


2.女性文学について

●未知なる女性作家たち

今日の講演のため、日本で翻訳されたノルウェーの作品リストを、見なおしてみると、いわゆる「純文学」のノルウェーの女性作家が、皆無に近い状態を、改めて発見しました。
ノルウェーでは有名な女性作家でも、ここ日本では「未知の」存在。たくさんの女性作家の中から、大学の講義で学んだ、作家や詩人たちを中心に取り上げましょう。

配布したサマリーに名前を挙げた、カミッラ・コレット、アマリエ・スクラム、シグリ・ウンセットの3人は、ノルウェーの女性作家というと必ず名前が挙がる3人。コレットとスクラムは、19世紀の中盤から後半、ウンセットは20世紀前半に活躍しました。

●カミッラ・コレット

カミッラ・コレット(1813−85)は、何年か前までノルウェーの100クローネ札に印刷されていたり、また、王宮内にも銅像があるノルウェーを代表する著名な女性です。

彼女を有名にしたのは、様々な要因があります。
まず、彼女の兄は、19世紀のノルウェーにおいて、政治的・文化的にも多大な影響力を持っていた、ヘンリーク・ベルゲランという詩人。ノルウェーでは、5月17日の憲法記念日を、国を挙げて、盛大に祝う習慣がありますが、それをはじめたのは彼であり、「5月17日の父」とも称されるほどです。

妹のコレットは、兄のライバル、ヴェルハーベンという詩人に実らぬ片思いをしましたが、この不幸な恋愛は、当時のせまいオスロでは有名なことでした。
また、これから紹介する小説、「知事の娘たち」は、ノルウェー文学で初めてのリアリズム小説と言われ、重要な作品です。
加えて、コレットは、女性解放運動においても先駆的な役割を果たしました。ノルウェーの男女平等オンブッドのニュース・レターの名前は、「カミッラ」と言いますが、これは、彼女の名前から取ったものです。

「知事の娘たち」の中で、彼女は、当時のブルジョワ階級では、当たり前だった「強制結婚」、すなわち、親が、結婚相手を決める結婚を非難しています。
作品の女性主人公は、姉達が、金はあるがずっと年上の男たちと結婚させられ、不幸な結婚生活をしていることに反発します。彼女は、家庭教師に雇われた若い男性に恋をしますが、この男性は、あきらかに作者が片思いをした、ヴェルハーベンがモデルとなっています。

「女性にも結婚相手を選ぶ権利はある」、と訴えるこのデビュー作は、有名だった兄が死に、彼女が40歳を過ぎてから、堰を切ったように書き上げたものです。彼女の夫は、カミッラが生涯、自分とは違う男性を愛していたことを知っていましたが、小説執筆を支援した、「理解ある」夫として知られています。
その夫の死後は、カミッラ・コレットは、海外へ多く旅し、当時の女性としては珍しいほど、行動範囲を広げます。彼女の名は、「女性解放運動」を象徴し、今なお、引用されることが多い女性の1人です。

●アマリエ・スクラム

近年、とみにアマリエ・スクラム(1846−1905)に関する研究・再評価の気運が高まりましたが、彼女の在命中、その作品と、彼女の生き方は、あまりにも時代を先取りし過ぎて、スキャンダル騒動になってしまいました。
生前は、正当に作品が、評価されることが少なかったけれでも、屈することなく、作品を発表し続けたスクラムは、「妥協を許さぬ孤高の人」のイメージがあります。

コレット同様、「強制結婚」の実態を赤裸々に描いた作品は、彼女自身、強制結婚の犠牲となった経験に基づいて描いています。当時、2度の離婚を選択した彼女は、世間から、強い非難をあびてしまいます。

彼女のデビュー長編小説は、「コンスタンス・リング」。この作品を皮きりに、強制結婚をモチーフにした作品を次々と発表。
「コンスタンス・リング」は、スクラム同様、若くして何歳も年上の男性と、結婚させられたコンスタンスが主人公。夫の浮気に代表されるブルジョワ階級のダブル・スタンダートに、強く反発し、教会や母親に救いを求めますが、彼女の味方はいません。
事故による夫の死後も、彼女は愛した男性ふたりに裏切られ、自殺を選びます。
この作品は発表直後、各方面から、すざましい非難を浴びましたが、世間は、とりわけ不道徳な小説を「若い女性が書いたこと」に反発。デビュー当時から、彼女を悩ました非難と悪評は、彼女が死ぬまで続き、やっと、正当に作品が評価されたのは、死後のことでした。

スクラムは、ノルウェーで数少ない自然主義の作家。
ですから、「コンスタンス・リング」はペシミスティックな空気が支配します。
また、登場人物の衣服、表情から死体に至るまで、客観的かつ細密な描写が続き、正直、私も最初は読みつづけるのがしんどかったほどです。なかでも、主人公が嫌悪する夫の振るまいを、読者にも嫌悪感を呼びおこすような、執拗さで忠実に再現しています。
スクラムの女性主人公は、作者同様、妥協を許さない孤高の女性たち。ブルジョワ階級の女性たちの悲劇だけではなく、貧しく社会の底辺を生きる女性たちの姿を描き、社会の貧困、階級差も告発します。

●シグリ・ウンセット

コレット、スクラムに比べれば、紹介されたり、翻訳された機会があったのが、シグリ・ウンセット(1882−1949)です。それはやはり、彼女が、ノーベル文学賞を受賞していることが、一因でしょう。

歴史大作が名高い彼女の代表作は、3部作「クリスティン・ラブランスダッテル」です。第1部の「王冠」は、ノルウェーを代表する女優リブ・ウルマンが監督したことで、若い世代にも、よく知られた作品です。
主要な登場人物は、架空の人物ですが、中世のノルウェー社会を、細かく忠実に再現しました。また、ウンセットは、ノルウェーでは珍しいカトリックの信者ですが、まだ、プロテスタントが存在していなかった時代を、作品の時代設定に選び、自身のカトリック観を作品に強く反映させています。

●3人の詩人たち

今度は、詩人たちの紹介に移りましょう。

ハルディス・モーレン・ヴェーソス(1907−95)

彼女の父親も、夫も作家という芸術的環境にずっと身を置いてきた女性です。
今まで紹介してきた女性作家たちが、「女性として生まれたために受けた受難」を描いてきたとすれば、ヴェーソスの詩は「女性であることの喜び」にみちあふれている、と言えるでしょう。

彼女の詩は、まず恋愛詩が知られていますが、戦時中は、ナチスドイツに抵抗する詩も発表しています。その他、児童文学や翻訳など幅広いジャンルで才能を発揮します。
夫、タリエ・ヴェーソスはノルウェーを代表する作家の1人で、「おしどり夫婦」としても有名。
夫の死後、彼女が78歳の時、10歳年下の俳優と恋に落ち、素晴らしい愛の詩を発表しています。

「旅の思い出。1985年夏から」...ハルディス・モーレン・ヴェーソス
私たちは2階に住んでいる
それなら、エレベーターに乗るのはおかしい?
そう言わないで。私たちはいつもエレベーターに乗っている。上がったり、下がったり。
小さな箱の中に閉じ込められると、2人だけ。エレベーターが閉まるとすぐに、キスを交わす。
その瞬間、あなたの心の中はどんな感じか、私にはわからない
でも、私の心の中は、毎回、ちょっとした刺激が沸き立っている
間にあうかしら?
エレベーターが止まって、外に出なくちゃいけない前までに、間に合うかしら?
そう、間に合っている。いつもいつも
私たちはいつもエレベーターに乗っている

・インゲル・ハーゲループ(1905−85)

ヴェーソスと並び、ノルウェーを代表する女性詩人。児童文学の中でも紹介しましたが、彼女は戦時中、ナチスに抵抗する有名な詩を発表韻を踏んだ、わかりやすいリズミカルな詩で、国民の団結を呼びかけます

「Aust-Vågøy」...インゲル・ハーゲループ
De brente våre gåder .
De drepte våre menn.
La våre hjerter hamre
det om og om igjen.
(中略)
Står tusen andre samlet
i steil og naken tross
Å, døde kamerater,
de kuer aldre oss.

(注:韻とリズムをわかっていただきたいので、原文を掲載しました)

・グンヴォール・ホフモー(1921−95)

ヴェソース、ハーゲループが、「受け入れられやすい」詩を書いた詩人とすれば、このグンヴォール・ホフモーの詩は、絶望感、孤独感の強烈さゆえに、読む者を限定してしまいます。しかし、彼女の送ってきた人生と作品は、忘れがたい印象を残し、文学史上でも異色の地位を占めています。

ハーゲループの詩が、敵に対抗して、団結を呼びかけたのに対して、ホフモーの詩は、戦争という残虐行為を体験した後、また人々は、元の生活に戻ることができるのだろうか、と絶望的に問いかける内容になっています。
戦後の混乱期、46年に発表したデビュー詩集、「人間の家に帰りたい」から、有名な詩、「もはや日常はない」を朗読します。

「もはや日常はない」...グンヴォール・ホフモー
神よ、もしまだ見えるのならば:もはや日常はない/あるのはただ、声なき叫び/あるのはただ黒い死体/
赤い木にぶら下がっている/聞いて、なんて静かなんだろう/私たちは、家に帰ろうと向きをかえるが/
いつも、その風景に出会ってしまう/いつか私たちが気付くことは結局、彼らは意味もなく殺されてしまったこと
/もし、私たちが忘れることができるなら:彼らの灰を踏みつけて行く/
神よ、もしまだ見えるのならば:もはや日常はない

赤、黒といった強い色を使ったこの詩は、表現主義の絵画を思い起こさせます。
戦後、戦争をテーマに詩を作った詩人はたくさんいて、その内容は、国民の団結と、敵への抵抗を訴えるものでしたが、ホフモーの詩が初めて、そうした団結や協調といったものが消え、不安や孤独、空虚さが支配し、戦後、発展するモダニズムな詩の先駆的役割を果たしています。

彼女の詩に表現された深い絶望感には、とても仲が良かったユダヤ人の友達を、戦争で失ってしまった彼女自身の体験が、反映されています。
1946年から55年まで、5つの詩集を発表しますが、その後、精神を病み、オスロ郊外の集合住宅から、18年間、ドアの外へ出ようとしなかったことを、彼女の親戚が証言しています。このエピソードは、私が彼女の詩に興味を持ったきっかけでした。
精神を病んだ原因、またなぜ外に出なかったかの詳しい原因は、わかっていませんが、戦争、失った親友の悲惨な体験が一因だったとも言われています。

長い沈黙を破って、1971年、詩集を発表し、それから後も、詩集を発表し続けました。
ノルウェーを代表する、ヤン・エリック・ヴォルドという詩人が、ホフモーの未発表の詩を含めた再編作業を行い、彼の編集によるヴォルドの詩集が出版され、話題を呼びました。ヴォルドは、ホフモーが、ノルウェーにおけるもっともすばらしい女性詩人と賞賛しています。彼の尽力もあって、近年、ホフモーの詩はまた、注目を集めることになりました。

●70年代

そもそも、「女性文学」というコンセプトが生まれたのは、70年代でした。
その典型的なテーマは、女性が伝統的な性別役割分業に反発し、自己実現を目指す、といったもので、女性による、女性についての、女性のための文学とも言えます。

70年代は、ノルウェーも他の国と同様、女性運動、学生運動、環境運動が盛り上がり、既成の価値観への反発が、若者を中心に沸き起こりました。
この時代を代表する女性作家が、ビョルグ・ヴィーク(1935ー)。彼女は、いろんなジャンルを手がけましたが、その中でも、短編小説が有名

サマリーに書いた短編集「もうすぐ秋」に収められた1編、「アマンダ丘」は、アマンダ丘という地域に住む人々の、戦後から現在までの変化を、たくさんの家族のエピソードをパラレルに語っていきます。
作家の声は抑えられ、淡々としたエピソードを通して、読者は、登場人物と町の風景が、時代にともない変化していく様子を知ります。
例えば、お店を持った男性と結婚した女性が、段々、結婚生活に不満を持ち出し、当時、活発だった女性だけのの集まりに参加するようになり、遂には離婚。小さなアパートを手に入れ、教員学校に通い出した、というエピソードは、この時代、理想的と思われた女性の新しい姿を象徴しています。ヴィークの作品は、平易な単語と表現で構成され、読むのも決して難しくありません。

もう1人、この時代を代表する女性作家として、ガルド・ブランテンバルグ(1941−)が挙げられます。
「わかりやすい」ヴィークに対して、ブランテンバルグの作品は、するどい風刺と毒が特徴。代表作「エガリアの娘たち」を知ったのは、「男女平等の本に、一部が引用されていたことがきっかでした。

男女がすっかり入れ替わった国を舞台にした物語は、母親が外で働き、いばって、父親が家事や育児に専念しています。主人公の男の子が、「船乗りになりたい」というと、「男の船乗りなんかいるもんか」と家族中に笑われる始末。
普段、「当然、常識」と思っていることが、男女を入れ替えただけで、こんなにもこっけいなことなのか、と目から鱗が落ちる感があります。この作品は、多くの言葉に翻訳され、97年には韓国語にも翻訳されました。
また作者、ブランテンバルグは、自分が同性愛者であることを宣言しており、同性愛をテーマにした作品でも知られています。

●現代

政治的メッセージが、色濃く洗われた70年代。ポストモダンという言葉が、多用された80年代を経て、90年代の文学は、どんな特徴が見られたでしょうか?
ノルウェーの著名な文芸評論家は、「90年代は、家族をモチーフにした文学作品が多かった」とコメントしていました。確かに、現代ノルウェー社会には、もはや戦争や飢餓、貧困といった問題はなくなり、誰の目にも明らかな社会問題は、以前よりも見つけることが、難しいかもしれません。
「家族」という小さな単位に、再び、問題意識を見出すことは、ある意味で、自然な流れと言えるでしょう。

現在、ノルウェーにおいて、最も注目され、期待されている作家のひとり、ハンネ・ウシュタヴィーク(1969−)は、母と息子、母と娘といった最小の家族をモチーフに作品を発表しています。

97年に発表された、「愛」に登場する母は、ほとんど小さな息子に無関心で、逆に、次の「本当の自分と同じくらいの真実」では、娘に、過剰なまでに干渉する母親を、描き出しています。
どちらの作品でも、父親が全く、または、ほとんど言及されておらず、あたかも「父」という存在自体がないかのような印象を受けるほど。最新作「流れる時間」では、ようやく「父の不在」は解消され、主人公の父親が登場しますが、ノルウェー人なら楽しいはずの家族そろってのクリスマス時期が、緊張した息苦しいシーンとして描かれています。

ウシュタビークの描く家族像は、暗すぎて耐えられない、というノルウェー人もいますし、読んでいて愉快な小説ではありません。しかし、彼女が描く、家族という密接な間柄に起きているコミュニケーション不和・不成立は、程度の差はあれ、多くの家庭で起きている現象なのかもしれません。

●特色・まとめ

今日、私が紹介した女性作家たちは、ノルウェー文学史において、ほんのわずかな数に過ぎません。
「女性文学とは○○である」と言いきることは不可能なほど、テーマや表現方法は多様であり、一言でまとめるのは難しいのです。

カミッラ・コレットが、結婚から始まる家族の枠組みを、疑う作品を発表してから、150年経ち、ノルウェー人は、結婚相手を自由に選び、別居・離婚ももはやタブーではなくなりました。
だからと言って、みんなが結婚や家族にまつわる問題から解消されたわけではなく以前とは違った視点で家族をとらえなおす作業を、文学者たち、とりわけ女性作家たちは、取り組んでいるように思えます。

女性作家たちの文体上の特色ですが、もちろん例外はありますが、リアリズムな手法が多いことが挙げられます。
特に、70年代に多く活躍した女性作家たちは、「日常リアリズム」と呼ばれる文体で、作品を発表しました。作品に大きな仕掛けを組むよりも、平易な言葉と表現で、わかりやすい作品作りを目指したのです。

紹介する機会がなかなかない、ノルウェーの文学ですが、昨年末、ホームページを開設し、わずかですが、文学を紹介するコーナーを設けました。質量ともにまだまだですが、これからも地道に、紹介し続け、少しでも興味を持っていただけるように、努めるつもりです。


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