そもそもノルウェー語には、「嫁」という単語も「姑」という単語もありません。
それぞれ「義理の娘」と「義理の母」という単語があるだけです。
・・・ということをお断りして、ただ日本語的には「嫁姑」と書いた方が早いので、そちらで記述しますね。
ノルウェーにも「嫁姑問題」ってあるんでしょうか?
私の交際範囲で見ていると、1人の「お姑さん」が執拗に「嫁」の悪口を言っているのを聞いたことはありますが、あとはみんな「あっさり」している印象です。
まず「同居」もありえませんし、介護も「嫁の仕事」なんて考えは現代のノルウェーでは考えられません。
個人を大事にする国民性。だから、多少の不満はあっても、「Yahoo知恵袋」や「発言小町」に投稿するレベルではないだろうなぁ・・・と思っていました。
さて先月のノルウェー旅行の帰国便にて。
軽めに読める雑誌ということで、「Hjemmet」(家)という女性向けの雑誌を買いました。
同誌は、日本の「婦人公論」のような読書投稿原稿がウリなのですが、その中に「姑がとうとう戦いに勝った」という見出しの原稿が目に留まりました。
「どれどれ?」と、好奇心が沸いた私。
皆さまにもご紹介しましょう(Hjemmet、2013年No.25)。
この投稿は女性からのもの。彼女=「私」は夫となる人と20代で知り合います。
「私」の家庭は、母親が病気で専業主婦、父は工場勤務でした。父は他の女性を見つけて「私」が10歳の時に家庭を捨てます。
当然、「私」と専業主婦の母の家庭の家計は苦しく、「私」は15歳からアルバイトをすることになりました。
「私」は大学進学をあきらめ、工場で働き、家元を離れささやかなアパート暮らしを始めます。その頃、夫となる彼と恋人関係になりました。
夫となる彼は、安らぎを感じる男性でしたが、彼の家族を訪ねた時に、「私」は「格差」を感じます。
彼の両親は二人とも教員で、母親はこんな質問を浴びせかけます。
「あなた、大学へは行かないの?あなたの母親は仕事をしたこともないの?」
(注:ノルウェーでは女性も仕事を持つのが一般的で、「専業主婦」は、あまり聞きません。)
「私」は彼の母からの厳しい言葉に耐え、また彼も「母の言葉なんて気にしないで」と慰めます。そして二人は結婚し、「私」は妊娠しました。
無事に赤ちゃんも出産しましたが、「私」の不満は残りました。夫は、姑に立ち向かうほどの強さがなかったのです。
姑は赤ちゃんを見て、こんな言葉を浴びせました。
「うちの家族には、教育を受けさせることが何よりも大事。私の孫には工場で働くようなことにはしません。」
「私」の母も、彼の家族と一緒に時間を過ごすのが苦痛でした。夫の母から皮肉を言われるのが常だったからです。
とりわけ、「私」の母が料理を作ることができず、クリスマス料理も満足に娘に教えられなかったことは、姑の格好の攻撃材料になってしまいました。
「私」は度重なる姑の皮肉に耐えてきました。
しかしクリスマスに、遂に事件は起きました。
「私」は気が進まなかったのですが、夫の両親もクリスマスに招待し、一緒に過ごすことにします。
クリスマスディナーの席、乾杯の時に姑はこんな挨拶をしました。
「嫁のリーセは料理も作れないから、あなたは皿洗い担当ね。息子は子どもとゲームするのが天才的よ。」
「私」は姑の冷たい言葉に、改めて怒りをおぼえます。いつものように夫は「そんなに気にしないで」と慰めますが、彼女は決心します。
これ以上我慢できない、離婚しようと。
・・・という経過を経てとうとう「私」は離婚を選びます。
姑の思惑通り、という気もしませんが・・・。
この記事を読んで、「こんな深刻な嫁姑問題ってノルウェーにもあるんだ~」って感動にも近い感情がこみ上げてきました。
相対的にはノルウェーの方が圧倒的に少ないと思いますが、でも人の感情の数だけ何らかの葛藤やいさかいは起こるんですね。
当たり前でしょうか?
|
|
|